(平穏な日々)20
月山富田城から軍が発せられたのは五日後であった。
長門や岩見の国人衆が揃うのを待って山陰道を上がって行く。
先鋒は小笠原長雄。
彼は生粋の尼子家臣ではない。
岩見の国人で、これまでは時に応じて従属先を変えて来た。
大内氏であったり、尼子氏であったり、毛利氏であったりと。
常に強者の側に立った。
けれど、けっして懦弱ではない。
その戦振りは誰もが認めるところ。
しかも、しっかりと情勢を読む。
それを認められて今回の先鋒に抜擢された。
翌日、第二陣の長門の国人衆が発した。
四日目は副将・佐世清宗率いる軍勢。
五日目は岩見の国人衆。
七日目にしてようやく大将・宇山久兼率いる本隊。
八日目に山中幸盛率いる小荷駄隊。
万を超す軍勢の場合、発する間隔が置かれた。
道中の混雑や、不意の事態に備えたのだ。
それから三日後、山陽道を上がる軍が発せられた。
先鋒は当然、本城常光。
これまた小笠原氏と同じく岩見の国人。
彼もまた小笠原氏同様に仕える主を変えた。
数は少ない、都合三人。
尼子経久から大内義隆、そして尼子晴久。
けれど彼を侮る者はいない。
晴久が見込んだ武勇に優れた者だあったからだ。
こちらには安芸や周防の国人衆はいない。
途次の備後三原で合流する予定が組まれていたからだ。
為に、動員された軍勢の多くが尼子氏の重臣達であった。
二日目に立原幸隆と久綱の兄弟率いる軍勢。
四日目に副将・ 多胡辰敬率いる軍勢。
五日目に米原綱寛と神西元通の軍勢。
七日目にして総大将・尼子晴久率いる本隊。
八日目に覚慶様率いる奉公衆と、三刀屋久扶率いる軍勢。
十日目に湯惟宗率いる小荷駄隊。
月山富田城の留守を預かるのは尼子義久と、
名を改めた尼子倫久の兄弟。
それを支えるのは亀井秀綱と松田誠保。
共に出雲の国人衆で尼子家の重臣でもある。
尼子晴久は、今頃は出立しているであろう安芸や周防の国人衆に、
事情説明の書状を出した。
覚慶様のご威光を最大限に利用し、新たな御内書に添える形にした。
備後三原で合流する予定の変更である。
毛利氏を攻めるので、それに与力されたし、と。
尼子氏全軍で毛利氏の本拠地、吉田郡山城を目指した。
先行させた物見から次々に報告が齎された。
「毛利氏が土地の者達を城に入れた」
「毛利氏が武具や食料を搔き集めている」
「吉川氏の手勢が吉田郡山城に入りました」
「小早川氏の手勢が吉田郡山城に入りました」
「宍戸隆家が手勢を率いて吉田郡山城に入りました」
「熊谷信直が手勢を率いて吉田郡山城に入りました」
「籠城するつもりのようで、各所で補修を行っています」
晴久にとって吉川や小早川の行動は計算の内であった。
戦国の世であるから、
家名を残す為に兄弟で敵味方に別れるのが当然なのだが、
この毛利三兄弟は常識に拘らないと推測していた。
それが当たった。
外からの助勢は望めないのに、籠城を選択、滅亡を選んだ。
それにしても宍戸隆家と熊谷信直には失望した。
状況が読めないとは・・・。
義理か人情かは知らぬが、毛利家に殉ずるつもりなのだろう。
副将・多胡辰敬が本陣を設営し、晴久を出迎えた。
「安芸や周防の国人衆の多くが我等に与力してくれるそうです」
「そうか、良く纏めてくれた」
多胡が渋い顔で頭を下げた。
「ただ、宍戸や熊谷は接触すら出来ませんでした。
声を掛ける前に入城されてしまいました。
誠に申し訳こざいません」
「気にするな、そういう事もある。
それで状況は」
「蟻の子一匹逃さぬ様に包囲しました」
晴久は多胡に全幅の信頼を置いていた。
彼が包囲したと言うからには、蟻が這い出る隙間はないだろう。
問題は、尼子勢ではなく安芸や周防の国人衆。
彼等に全幅の信頼は望めない。
何故なら彼等の多くは大内氏旧臣だが、時世の流れから、
陶氏、毛利氏、尼子氏と渡り歩いた者共。
今さら強者に付くのに二の足は踏まないだろう。
本陣で、一日遅れで着到された覚慶様が本城常光に尋ねられた。
「お主の陣はどこだ」
「表門を見据えられる丘です」
「そこからなら突入し易いのか」
「はい、丘を下った勢いが活かせます。
ですが覚慶様を招くことは出来ません」
気色ばむ覚慶様。
「何故だ」
本城は真摯に答えた。
「城に近いので敵からの夜討ちが予想されます」
頷く覚慶様。
「ほう、そう言えば、先代の毛利は軍略家だと聞いた。
小倅共もそうか」
「嫡男は実直、吉川は剛の者、小早川は小賢しい、ですかな」




