(狸ヶ原)6
近藤は敵の動きを見て、止太鼓を打たせた。
この場合は追撃禁止の意味を持つ。
次に備太鼓。
これは再布陣の意味を持つ。
勝利に驕ることなく、敵の奇策に備えよ、と。
土方が近藤に問うた。
「このまま黙って見送りますか」
「そうも行かんだろう。
土方、お主の組で見送れ。
追撃ではなく、大物見だ。
稲葉山城からも兵が出ている筈だ。
それと連携して、しっかり見送れ。
急ぐ必要はないぞ。
途中で落伍した武田家の雑兵共が盗賊になっては困る。
その辺りも考慮してな」
土方が満足そうな顔をした。
「敵の別動隊を考慮すると、この辺りが落としどころですかな」
「そうだ、六四で当家の勝ち。
欲張るのも、どうかと思うぞ」
土方の組下にいた長倉金八が戦場を見回した。
「倒れているのは多くが武田家の将兵。
六四ではなく、少なく見積っても七三、
もしくは八二で当家の大勝ちでしょう」
これに同僚の斎藤一葉が深く頷いた。
「そうだな、八二。
当家の被害は小さい。
死傷者は千を超えぬだろう」
聞いていた土方が諫めた。
「二人とも、ここだけの話にしておけ。
兵卒が増長せぬとも限らぬからな」
近藤が言う。
「今回のは武田家にとっては手探りだった筈だ。
次からは鉄砲隊に正面から挑む事はせぬだろう」
「何らかの手を打つと・・・」長倉が問う。
「でなければ、ただの馬鹿だ。
もっとも、ただの馬鹿であれば当家としては嬉しいのだがな。
・・・。
こんな無駄話をしている暇はない。
土方、直ちに出立しろ」
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☆
武田信玄は騎上にあった。
知らぬ田舎道を愛馬に跨り、敗走していた。
久しぶりの敗走だが、周りはしっかり固められていた。
何れも信頼のおける馬廻り衆。
夕刻近く、前方に軍勢の影を認めた。
信玄は馬を止めた。
先を行かせていた物見が駆け戻って来た。
「あれは信繁様です」
飛騨口から美濃に侵攻した別動隊に出くわした。
予想よりも早い実弟との合流に信玄は顔を綻ばせた。
「兄上、間に合いましたな」
信繁が馬を寄せて来た。
「知っておったのか」
「こちらも物見を放っておりますからな。
報告を聞いて急ぎ進路を変更し、ここにて待っておりました。
後方が広い草地ですので、
味方を受け入れるのに支障は御座いません」
信繁自らの案内で陣に入った。
急ごしらえにしては整えられていた。
これなら明智家の追撃に余裕を持って対応できる。
殿を任せていた内藤昌豊隊と真田幸隆隊も無事に生還した。
信玄は主な武将を本陣に呼び寄せた。
開口一番、頭を軽く下げた。
「各々方、済まぬな、ワシの頑固な面が出た。
それで負けた」
代表して内藤昌豊が口を開いた。
「お館様お一人の責では御座いません。
我らも同罪です。
事前に聞いてはおりましたが、それでも明智家の鉄砲隊を我ら一同、
お館様同様に軽んじておりました。
まさかあれほどの威力を発揮するとは思いませんでした」
真田幸隆も同意した。
「某もそう思います。
これを次に活かせば、死んだ者達も浮かばれましょう」
信繁が放っていた物見が駆け戻って来た。
「敵勢が接近して参りました」
「数は」
「東濃方向から三千。
稲葉山方向からも三千」
「して、その後続は」
「迂回させた物見は一人として戻りません。
おそらく明智家の忍びか山窩衆の仕業でしょう」
信玄は陣幕内を見回した。
欠けた顔が多い。
原虎胤、三枝新十郎、室住虎光、秋山虎繁、馬場信春。
名のある武将だけでも五名。
将来性のある中堅も、幾人もが欠けていた。
悲しさ悔しさを押し殺して物見の将に視線を戻した。
「敵勢の動きはどうだ。
攻め寄せて来る気配があるのか」
「それらしい気配は御座いません。
一定の距離を保ち、こちらに物見を放っております」
信繁が口を開いた。
「こちらの敗戦が越後に伝われば、
長尾は必ずや北信に乱入して参ります。
急ぎ戻るべきです。
ここからは某が殿を致します。
どうか、お戻りを・・・」
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