31. 悪女の微笑み
「……この資料を見ていただければ分かるかと思いますが、予算配分があまりにも不平等です。恐れ入りますが、皇太子宮と人間騎士団の予算をこちらに回していただけませんか?」
レイラは笑顔で、ニナに圧力をかける。
資料はよく出来ていて、理由まで的確に書いてある。反論の余地を与えないよう、レイラが入念に準備したものだ。
ニナはそれに目を通して何かを言いたげだが、言葉は出てこない。
「……ソルはどう思う?」
困った顔をしながら、ニナはソルを振り返る。レイラが出した資料も渡し、彼の意見を求めるようだ。
ソルは受け取った資料を読み込んでいく。
(さて、彼はどんな反応を示すかしら……)
一時の沈黙ののち、ソルは口を開いた。
「良いと思いますよ。よく考えられています」
意外にもソルは肯定意見だった。
「では、」
「ですが、時期が悪いかもしれませんね」
早くも話が終わるかと思ったのも束の間、ソルは時期が悪いと言い出した。
「皇子宮の管理を担った途端に皇子妃のあなたが宮の予算を上げては、贅沢をするための策だと思われるのではないでしょうか」
ソルは真顔で、レイラにそう述べた。
案自体は肯定しておきながら、時期尚早だと言うのだ。たしかにそれは一理ある。
「しかし、事実はその資料にある通りです。私が贅沢をするためではないのですから、その心配はないと思いますが?」
「勿論我々はそれが分かりますが、問題は他の……民がどう思うのかです」
(世論を味方につける気ね……)
たとえどんな理由を付けようと、国政とは縁遠い民は、ソルの言うように考えてしまう可能性が高い。
と言うよりもおそらくは、そう考えるように世論を操作するつもりだろう。
偽物の聖女を作り上げられるくらいだ。ソルにはそれぐらいやってのける力がある。
「それは……怖いですね。でも大丈夫です」
ふむ、と少し考える仕草をしながら、レイラはソルの意見をはねのける。
「民がどう思おうと、事実が全てです。謂れない噂が立とうとも、私は気にしませんわ」
「! しかし妃殿下、」
「ご心配いただきありがとうございます。案自体は問題ないということなので、これで進めさせてください」
レイラの反応に、ソルは呆気に取られた。
恐らく後悔しているはずだ。
先に案を褒めてしまったことを。
ソルはレイラから見えないところで拳をギュッと握り締めていた。
「良いですよね? 皇太子妃殿下」
無言のソルは放っておき、レイラはニナに確認する。
突然話を振られたニナは慌ててソルを見ていたが、ソルがニナと視線を合わせることはなくニナはやむを得ず自分で答えを出すしかなかった。
「…………わ、分かりました」
おずおずと、ニナは頷いた。
それを見たレイラは満足そうに笑みを浮かべて、「ありがとうございます」と礼を言う。
「では失礼いたします」
そのまま立ち上がり、レイラはニナの部屋を後にした。
***
「……今のはあなたのせいよ?」
レイラが去ってから、ニナは侍女も下がらせて、ソルと二人きりになったところでそう投げかけた。
「はい。私の失態です」
ソルもそれは認めた。
「時期尚早と言えば引き下がってくれるかと思ったんですが。レイラ妃は意外と外聞を気にされない方なのですね」
自分の失態を淡々と振り返るソルに、ニナが鋭い視線を送る。
さっきまではおずおずとした態度だったのに、二人きりになった途端、ニナは遠慮なくソルを責め立てる。
「何を呑気な。皇宮管理にあの人が関わったら私たちの計画が……」
「そんなにめくじらを立てないでください。関わると言っても、皇子宮と獣人騎士団のみ。我々の計画にはさほど支障はないですよ」
「でも……」
「まあ、皇太子宮の予算を減らされたので、神殿に流せる金額が減ったのは痛いですが……。あくまで統括管理の権利はあなたの手にありますので、そこは奪われないように注意していきましょう」
ニナは不服そうだが、計画の主導者であるソルが問題ないと言うならそれまでだ。
「それから、これ以上予算を減らされないように備えておいた方が良いですね。皇太子宮の予算は満額使い切り、裏で神殿に横流しする分の支出項目については不正に気づかれないように偽の証拠を作っておきましょう」
「そこまで必要なの?」
「帝都に来るときに伝えたはずです。レイラ妃には気を付けてください、と。皇子妃となった途端、皇子宮の予算を是正した。さすがとしか言いようが無い。放っておいたらいつこちらの計画に気付くか……。念には念を、というところですかね」
「私がすることはある?」
「いいえ。聖女様は、彼女から皇太子妃の座を奪っただけで評価に値しますから。あとのことは我々にお任せを」
「……そう」
ニナは浮かない表情をしていた。
あとはソルが対応すると言うが、不安を拭い切ることはできない。
忘れてはいけない。
この計画がバレた先には、死が待っている。
家族のために選んだ道だけれど、こうして暴かれる危険が出てきてしまうと、どうしても最悪な未来を描いてしまいそうになるものだ。
「……今更、怖気づいたなんて言わないでくださいね?」
目の前のニナを見て、ソルは冷たく言い放った。
(そう。……今更ね)
どんなに嘆いても、もう戻れない。
帝都に来て聖女を名乗った瞬間に、ニナの運命は聖女として生きていくしかなくなった。
あとはどれだけ上手く演じるか。
どれだけ人を信じ込ませて、バレないように生きていくか。
今更、怖気づくだけ時間の無駄だ。
「……まさか」
ニナの口角がクッと上がる。
ソルの質問に笑って答えたニナだったが、その顔は清廉潔白な聖女とは程遠い……まるで悪女の微笑みだった。




