二十四話 ブリーフィング
「まず新しいメンバーのためにも、簡単に状況をおさらいする。警護対象である潘嵐航のことは、以下、NULLというコードネームで呼称する」
「なにもない、ね。意味深だな」
緒方が呟いた。
「屍によるヌルへの襲撃があったのが八時五十八分。当時、警護を担当していた隊員が応戦したが、死者は一名、負傷者が三名を出し、警護に失敗。ヌルは拉致された。ほぼ同時刻、黄金町のハナブサビルにも襲撃があった。こちらの死傷者数は不明」
二つの赤い点が画面上に示される。ハナブサビルとは黒豹が使っていたビルの名前だ。
「こっちの死傷者が十から二十。屍の方が五人から八人ってとこだ」
緒方の答えに、阪東が頷く。
「警護対象はほぼ無傷、あるいは軽傷と思われる。ウィスパーの電波を追跡した結果、シャングリラ・リゾート方面へ向かったことが判明している。しかし九時十一分に電波が消失。
その後、九時二十分時点に大さん橋のターミナルビル内で、ヌルらしき人物が監視カメラに映っているとの情報を入手した。ここまでで、なにか質問はあるか」
「その情報の出所は?」
京子は尋ねた。この期に及んで、嘘に踊らされるのはゴメンだ。
「オートマタ社より提供された。シャングリラにおける管理システムの八〇パーセント以上には、同社のシステムが用いられている。これらには設計時にあらかじめバックドアが組み込まれ、必要な際に管理者の許可を得ずにアクセスすることが可能だ」
彼らにしてみれば今更だろうが、阪東は京子をバカにするでもなく丁寧に説明した。
「で、嵐航はどこに連れてかれたんだ。オーストラリアにでも島流しか」
「同時間帯、大さん橋に国外へと向かう船舶はなかった。停泊していたのはダイユーのみだ」
阪東は潘俊豪が所有する大型クルーズ船の名前を挙げた。そこには当然、持ち主も乗っているはずだ。偶然か否か、当初の計画と目的の場所は同じ。違うのは高みの見物を決め込もうとしていた嵐航が、血みどろの舞台に放り込まれたということだけだ。
「自分を殺そうとした息子をわざわざ船に招くなんて、どういうつもりなんだか」
京子は言った。阪東はなにも答えない。憶測を述べるのが好きではないらしい。その代わりに、長らく黙っていたドミニクが口を開いた。
「彼はおそらく、悪い仲間をすべて引きはがした上で、ヌル――嵐航に今一度チャンスを与えるつもりなんだろう。殺すつもりならば、襲撃の時点でそうしていたはずだ。わざわざ生かして拉致したのは、まだ話し合いの余地があると考えているからだ」
随分と手ぬるい処置だ。それとも、親とはそういうものなのか。
なんにせよ、説得なり恫喝なりで嵐航が屈服した場合、京子たちは梯子を外され、シャングリラからは排除される。黒豹に至っては完全に抹消される羽目になるだろう。
これまでやってきたことの対価を得るためには、積み上げてきたものを無に帰さないためには、なんとしてでも嵐航を奪還しなくてはならない。
しかし京子としては、ダイユーに乗り込み、俊豪を射程に捉えられるのであれば、組織の利益や勢力図がどうなろうと構わない。
「ダイユーにはどうやって乗り込むの?」
「これから説明する。阪東、続けてくれ」
地図の中心が東に移動し、対岸の千葉までを含んだ東京湾が映し出された。
「九時三十分に大さん橋を出港したダイユーは、現在もこのポイント――北緯三五度三九分四〇秒、東経一三九度七六分一秒の位置に停泊している。今のところ他の港湾や外洋に向かうような動きはなく、普段の航行パターンから言っても、この後数時間に渡って留まるものと思われる。
次に接近の方法だが、作戦の第一段階では、三隻のRHIBによってダイユーの五〇メートル以内まで移動する予定となっている」
「アールエッチってなに?」
京子は話を遮った。銃器なら分かるが、船舶には詳しくない。
「平たく言えば軍用のゴムボートだ。最高速度は四〇ノット。時速換算で七四キロ。今回は、各々四人ないし五人が搭乗する」
「四〇ノットは結構だが、沿岸の警備はどうすんだ」
「沿岸警備を無力化する手段は、当初の計画と変わりない。オートマタより提供されたマルウェアでシステムを攻撃し、混乱させる」
「オートマタ様様だな。いっそ全部任せるか」
緒方の冗談めかした言葉には、ドミニクが答えた。
「彼らがこれほど強力に我々をバックアップするのは、ヌルとの繋がりが公になるのを避けるためだ。そしてどのような状況においても、ネットワークやソフトウェアが最終的な解決手段となった試しはない」
自信に満ちた指揮官の声。それでいて表情に浮ついた高揚はない。
「我々がやるのだ。我々が銃火を潜り抜け、血で手を濡らし、目的を達成する」
「……ご高説どうも。それで、第二段階は? 中尉殿」
どんなときにも不遜さを失わないという意味では、緒方も見上げたものだ。京子も大概生意気だと言われるが、さすがにこれほどではない。
「ダイユーに肉薄したあとは、ジェットパックを使用して甲板に到達する」
ジェットパック? あの背負って空を飛ぶジェットパック? 眉をひそめた京子に対して、阪東が尋ねる。
「ジェットパックの使用経験は?」
「河川敷で飛んでるのは見たことある」
「軍用ジェットパックは、先の内戦でも小規模ながら投入されていた。汎用性という点ではスマートAIを搭載したドローンに劣るが、特定の場面では有効に働くことが実証されている。
例えば今回のように、高低差のある場所へ素早く人員を投入するケースだ。また設定や調整次第で、両手を空けたまま移動できるという点も強みになる」
「私でも動かせる?」
「標準的なスケジュールで言うならば、基礎プログラムを終了するのに二週間かかる。しかし私の経験上、優れた平衡感覚と反射神経を持つ者は、一時間以内に基本的な動作を習得できる。体格や筋力による差はほとんどない」
付け焼刃でもやってみろ、ということだ。ダメならロープを垂らしてもらうしかない。もっともそんな悠長にしていれば、遠からず海の藻屑だろうが。
「じゃあ、それでいい」
「よろしい。次に、これを見てくれ」
阪東は地図を消し、代わりにホログラムでダイユーの立体図を表示させた。床や壁は半ば透過され、全体の構造が一目で見て取れる。
「ダイユーは全長一四〇.八メートル、船幅二一メートル、排水量一万一〇〇〇トンの巨大船舶だ。二十一ある船室のほか、二つのヘリポートとミサイル防衛システムを備えている。
普段航行する際には三十人からのクルーが必要。今回はそれと同程度の護衛がいると予想される」
部屋の数が意外と少なく思えたのは、京子が客船をイメージしていたからかもしれない。実際のところ、これは潘俊豪のためだけにあるもので、あとは彼が招いた客だけを遇すればよく、多くの乗員を詰め込む必要などどこにもない。
広々としたスペースは、プールやダンスホール、いくつものラウンジ、レストランと見紛うような食堂、スイートタイプの客室などで占められている。
「ダイユーは五階層から成り、ヌルがどの場所にいるか現時点では分からない。従って我々はブラッドフォード大尉が率いるアルファと、私が率いるブラボーの二チームに分かれて捜索をおこなう。
二チームははじめ船の後方にあるヘリポートに着地する。そこからアルファチームは敵を排除しながら下層を制圧。ブラボーチームは周囲を掃討しつつ上層へ向かう。
赤羽京子、緒方戒の両名は、一人ずつアルファとブラボーに加わってもらうことになる。これまでの話で作戦参加の意思が無くなったのでなければ、今この場で、どちらのチームを希望するか選んでくれ」
阪東は言葉を切り、京子と緒方に決定を委ねた。
「中尉殿、こいつは真面目な提案なんだが」
「聞こう」
「俺と京子には独自の行動を取らせてくれ」
「その選択肢も考慮したが、危険が大きいと判断した。わざわざ希望する理由は?」
「一つ目。俺と京子は班行動の訓練を受けてない。半端なチームワークを要求されるくらいなら、別行動の方が能力を発揮できる。二つ目。単純に捜索の手が増える。
で、本命の三つ目。ダイユーに黒豹の裏切り者が乗ってるかもしれない。ソイツと会ったとき、アンタらに邪魔されたくない」
隊員たちの表情がわずかに動いた。勝手な態度に憤ったというよりは、理解できないといった態度だった。
おそらくそれは無理もない反応なのだろう。暴力、功利、不屈。黒豹とユピテルには共通する要素もある。しかし今、緒方がもっともらしい二つの理由で押し通そうとしているのは、結局のところ目先の合理性とはそぐわない、アウトローの意地とメンツなのだ。
「緒方、君は今、『俺と京子は』と言った。それは二人の総意と取って構わないか」
「この人と同じような思考回路だとは思われたくないけど」
京子は言った。
「別行動には私も賛成」
それを聞いた阪東は、自分たちの指揮官であるドミニクに目を向けた。彼は先程から腕を組んだままこのやりとりを見守っていたが、まるではじめからこうなることが分かっていたかのように、落ち着いた様子で口を開いた。
「別行動を取るということは、本来得られるべき支援を放棄するということだ。もしそのデメリットを甘受するならば、君たちには我々との協力関係を損なわない範囲で、制限を受けることなく行動する自由がある」
勝手に行動するのは許す。しかし尻ぬぐいをするつもりはない。もしここがブリーフィングルームでなければ、もしドミニクが指揮官としてここにいるのでなければ、彼は京子に対する同情や葛藤を示したかもしれない。
しかし今この場における判断や発言に、そういった感傷は微塵もなかった。この局面において人間とは尊重すべき個でなく、状況を左右する変数に過ぎなかった。
「結構」
阪東は異論を差し挟まなかった。
「作戦開始時間は二〇〇〇J、日本時間の二十時だ。作戦はフェーズ1からフェーズ3より成る。フェーズ1においては――」
そこからはジェットパックで甲板に降り立ってから嵐航を発見し、救出するまでの具体的な手順の説明だった。敵の配置、嵐航の位置、考えられるいくつかのパターンごとに、あり得る捜索ルート、撤退の段取りなどを予習しておく。
とはいえ得られている情報は少なく、状況は極めて流動的。計画通りに事が運ばないということは、その場にいる全員が理解していた。ダイユーで待っているのは十中八九、作戦もへったくれもない殺し合いだ。
ブリーフィングは一時間足らずで終わった。京子と緒方は備蓄の缶詰で腹を満たしてから、ジェットパックの操作を叩きこまれることになった。
倉庫に一角に積んであった大きなジュラルミンケースから、黒くツヤのない機体を取り出し、まずは装着方法を習う。
重量およそ十キロ程度。背中と接する部分には軟質のシリコンが使われていて、三か所にあるベルトを締めれば、装着してもさほど運動性は損なわれない。
外側は風の抵抗を減らすための流線形になっていて、そのシルエットはどこか高級車を連想させた。値段も同じくらいするのかもしれない。
教官役は中尉の阪東。時間節約のため構造や動力の詳しい説明は省かれ、本当に必要なことだけを伝えられる。
補給なしに使用できる時間は三分弱。垂直上昇の最高時速は三十六キロ。肩のあたりから伸びる二つのレバーで速度と方向を調整するが、かなりの程度まで自動制御が利いているため、複雑な操作は必要ない。
最低限の講義を終えると、訓練は速やかに実践へと移った。一時間で基本が身につけば上出来、と阪東は言ったが、京子にとって重心のコントロールや精密な運動は生来の得意分野だ。
三、四度試したあとは、倉庫の中を飛び回るのには不自由しなくなった。はじめ阪東の目と声色にあったわずかな侮りは、訓練開始から十五分で感心へと覆った。
片や緒方はというと、京子ほど飛行への適性を示さなかった。まず、度胸と筋力で解決できないことを納得するのに時間がかかった。顔には出さなかったが、背中の痛みも多分に影響しただろう。しかしひとしきり重力と喧嘩したあとは、一時間半の練習を経て、なんとか十メートルの高さを墜落の恐れなく昇降できるようになった。
二人がジェットパックの操作を習得するまで、阪東はもっと長くかかると踏んでいたらしく、意外に早く済んだというような態度で訓練の終了を告げた。時刻は午後四時過ぎ。
「次の集合は一九〇〇。それまで身体を休めておくように」




