第53話 玲奈はアイドル
「プロデュース……だって?」
「計画は成功だ。これで麗は僕の意のまま、世界一のアイドルだ!」
身を伏した俺をよそに、西川は愉快そうにその場を歩き回る。
「~♪」
麗は歌い続ける。
「大した才能だよ、まったく!」
言われるがまま、操り人形になったように。
その様子は、とてもプロデュースなんて言葉じゃ片付けられない。
「睡眠音楽とかいうの……それが原因なんだろ」
「ん? なんだ、知られてたのか」
くるっとこちらを振り返る西川。
俺の方は依然、立ち上がることも出来ない。
「どういうカラクリか知らねぇけど、とにかく麗に一服盛った。そういうことだろ!」
「……口が悪いなぁ。まぁ、そうさ。以前、海外ロケで知り合った催眠術師がいてね。彼女に作製してもらったんだよ」
やはり、こいつの仕業だった。
自分の都合の良いように全て仕向けていた。
「それを音楽アプリと偽って……眠る度に聞かせてたのか。そうか、麗は疲労で参ってたはずだ。だからこんな……!」
「あぁ、期待以上だね。サブリミナル効果というのは、どうも馬鹿に出来ない」
サブリミナル効果……映画や音楽で昔、使われてた技法だ。
本編が流れている間に、あるメッセージを瞬間的に何度も挟み込むと、鑑賞した人の潜在意識に焼き付く心理効果。
その刺激性の高さから、現在は全てのメディアで使用を禁止されている。
そんなものを使って、麗に暗示をかけたのか。
「そこまでして……一体、何のために」
「ふふっ」
「……うっ!?」
奴が微笑みながら指差した先――そこは沈黙した観客席。
観客は皆、オープニング曲を聞かされてからずっと心を失っている。
「どうだい、素晴らしいだろう?。全ての観客が作り手の思い通りになっている。もはやプロモーションやマーケティングも必要無い!」
声高らかに西川は笑う。
「前々から手ぬるいと思っててね。圧倒的な力を持ちながら、それを最大限に行使しない。そんな彼女の至らなさに、マネージャーとして後押ししたまでさ」
たしかに……改めて見ても圧巻だ。
これが現実の風景とは思えない。
「~♪」
「新たなビジネスだね」
――いや、違う。
こんなことを許しちゃいけない。
「何が素晴らしいだよ、こんなっ……」
感情を無視して、人が人を屈服させている。
ネイチャー・ハウリング……恐ろしい能力だ。
その力が持ち主を離れ、エゴを持つ人間の手に渡るとこんなことに。
「麗、もういいよ」
「~……」
麗が歌うのをやめる。
だが、俺の心を占領した恐怖はまだ消えようとしない。
「ふふふ。持続力も十分、と。余計な感情が伴わない分、性能もグンと上がってるね」
まるで機械を扱うかのように麗のことを…………くそっ。
今すぐ立ち上がって、こいつを殴ってやりたい……でも
「くっ、うぅ……」
「ククッ、何を思っているのやら」
過去のトラウマが続々と掘り起こされていく。
恵が車にはねられたあの道路、母さんが倒れていた夕方……つらい思い出にかぶせてきた蓋が、次々に外される。
心を落ち着かせて余裕を持とうとしても、そこへ次から次へ恐怖が侵入してくる。
「さてと。では世界配信に向けて――」
「ちょっと待ってください」
目線の位置が低い。
すると狭い視界の中に、スッと伸びる白い足が見えた。
「ファンが泣いてます。みんなを元に戻してください」
「……玲奈」
高石玲奈だ。
会場にいるほとんどの人間がうずくまる中、彼女は西川の前へと立ちはだかっている。
「大丈夫。客はもう用済みだ」
「……!? 用済み?」
玲奈もサンシャインのメンバーだ。
その彼女にとって、独壇場ともいえる今のステージはそう悪くない……ように見えるが。
「用済みって…………」
震えているのが分かる。
その理由は嬉しさなのか、それとも……
「玲奈?」
「ファンに向かって、そんなこと言っちゃダメッ!!」
――怒りだ。
剥き出しになったその感情が、ステージに罵声として響き渡った。
「おいおい、何をそう熱くなって――」
「みんな、あたしたちに会いに来てくれたファンですよ! それなのに……」
その声色は悲しく、そして誰かを想うからこそ。
「こんなの違う」
「……はぁ~」
「こんなのはアイドルじゃない!」
いた……!
感情の無い人間と、感情を殺された人たちでひしめくこの会場で1人、感情を重んじるまともな人間が。
「いいかい、よく聞くんだ玲奈。これは君にとっても大きなチャンスなんだぞ」
「……」
「バンドメンバーの調整は完了したし」
ステージ後方のバンドメンバーは観客と同様、沈黙している。
たぶんオープニング曲の影響だ。
今、恐怖と戦ってるのは俺だけか。
どうやら麗の歌声は、範囲や相手の指定まで可能になったらしい。
「彼らは麗のしもべとして、的確な演奏をしてくれるだろう。そしてこれから世界配信を行うんだ!」
世界配信って……今夜、フーチューブに流される動画のことか。
今日まで散々、ハレーションとアクセルターボで宣伝してきた。
マズイんじゃないか?
ネイチャー・ハウリングの影響力は確実に飛躍してる。
もし生声だけでなく、放送に乗せても同様の効果が及ぶとしたら……それを観た人全員が。
「なぁ……想像出来るか? 今夜、サンシャインは国境を越えたスターになれるんだぞ」
「世界……」
「分かったら踏み越えるんだよ。ここで!」
ステージ後方から中心にかけて、大きな半円状のデザインが施されている。
麗と西川はその境界線の内側に、俺や玲奈は外側の位置にいた。
「あたしが、世界に……」
玲奈の足下が線へと近付く。
そして距離が縮まると、180度の方向転換をした。
彼女は今、観客席と向き合っているらしい。
「世界中の人たちが、こんな風に……心を奪われて」
迷ってる……欲に目がくらんだか。
さっきはあんなに立派な言葉を並べてたのに。
結局は彼女も意志の弱い人間――
「それって意味あるんですかぁ?」
くるっと向き直り、玲奈は再びステージ中央と対峙した。
足下は、線の外側から一歩もはみ出さなかった。
「何だと?」
「分かってませんね。アイドルのこと」
俺は見誤っていた。
……この娘のことを弱いだなんて。
「な……何を言う、君はスターになりたくないのか! どうしてここまでやってきた?」
「どうしてでしょう~。ふふっ、分かります?」
か、片足だけ……かろうじて持ち上がる。
目線が少し上がって、玲奈の悪戯っぽい笑顔が覗けた。
「……ファンがいるからですよ」
立て、立つんだ……。
1人の女の子がこんなに凛々しくしてるのに、男の俺が……寝ていられるか!
「くっ、バカなことを。他人のために何が出来るって言うんだ」
恐怖は、全て過去の思い出だ……俺は未来を恐れてなんかいない。
踏み出せば、そこに求める光があるはずだから……!
「他人だから、です。あたしがステージの真ん中に立つように、みんなにもきっと自分が主役の人生がある。それなのに応援してくれるから……元気がもらえた」
もう何も邪魔するな!
俺の心は生まれた時から死ぬまで、ずっと俺のものだ。
「どんなに有名になれたって、アイドルはファンがいなきゃ台無しですよ」
高石玲奈。
サンシャインの名は伊達じゃなかった。
眩しくてクラクラする……へへっ、でもようやく同じ目線に立てた。
西川め、圧倒されて口をポカンと開けてやがるぜ。
「……クッ。な、ならばもういい。僕の計画に君は必要ない!」
「別に構いませんよ。もう付いて行けな~い」
「あぁ。だがその前に、麗を放せ!」
心の中が熱い。
溢れんばかりだった黒いモヤは、灰となって消えた。
ネイチャー・ハウリング……俺はそれを克服出来たようだ。
「本城あゆみ。君までもが……だが、麗は渡せんな!」
西川が麗の肩を掴み、強引に引っ張った。
「麗! 歌を……」
「往生際が悪いぞ、もう諦めろ」
そして何かを耳打ちしている。
今さらどうあがいたって、俺も玲奈も……あっ、そうだ!
ハレーションのみんなは!?
「……~♪」
くそっ、1人でうずくまってる内にみんなのことを忘れるなんて!
麗が歌い出したけど、それよりも今はいつきたちの方が心配だ。
俺はみんなのところへ走り出した。
「みんな、大丈夫か!?」
「う、うぅ~……」
3人とも、ステージ脇で身を寄せ合うように縮こまっている。
まるで、さっきまでの俺と同じ症状だ。
「お姉ちゃんが……遠くへ……」
「……やめて、怖い……」
怯えてる。俺のことも分からないのか。
……この娘たちは朝、倉庫の中で本当に怖い目に会ったばかりなのに。
ここからどうやって、この娘たちを救い出せばいいんだ。
「美咲、いつき! そんなとこでウジウジすんな!」
ずかずかと足踏みさせて、玲奈もこちらにやって来た。
「玲奈。みんなネイチャー・ハウリングで恐怖が……」
「はぁ? ったく、だらしないな~。ほらっ、オラオラオラ」
そうしてみんなの肩を揺さぶったり、頬をはたき始める。
乱暴な……女同士とはいえ、遠慮がまるで無い。
「ふあっ? 玲奈たん……」
「玲……奈?」
「あ、ここは……」
あっ、気が付いた。
なんだ。こんなことで良かったのか……
「玲奈たん、じゃないの! 今、大変なんだから。さぁ立って」
「うん…………あ、あれ?」
でも、足はすくんだままだ。
やはりそう簡単なことじゃ無かった。
「~♪……」
そうこうしてる間に、ステージ中央で麗が歌い終わる。
西川に命じられたままに。
…………ここに来て背中がゾクリとした。
俺はもしや、選択を間違えたのかもしれない。
衝動に駆られて、事態を解決する絶好の機会を逃してたんじゃ――
「ハハハッ! 間抜けな奴らめ……今度は無事じゃ済まさんぞ」
スタンドマイクを使い、西川が吠える。
何だ、奴は何をした……?
「あ~っ! ファンのみんなが!」
すぐ横で玲奈の嬉しそうな声が響いた。
見ると、観客席の辺りがざわついている。
歌の効果が無くなったのか!
みんなそれぞれ、意識を取り戻していってるみたいだ。
「なんだ……もう反省したのか」
脅かしやがって。
諦めたんなら、素直にそう言えよ。
――おや? でも観客がみんな席を立ってる。
そして、ステージの方へ……ゾロゾロと歩き出して?
「お、おい! あんた何を」
「こう命令したんだよ! アイドルを憎め、とね」
何だって!
じゃあ、あの観客たちはまだ意識を取り戻していなくて……
「ふふっ、君らはよほどファンが大事らしい。ならば彼らの情欲のたぎりまで、面倒見てやるんだな!」
「なんて事を……あぁっ!」
西川が言葉を放つと共に、ステージ中央から後方にかけての半円が突然、舞台上から高さを増していった。
その部分だけがまるでタワーのように高く、高く……ドームの天井近くまで伸びていく。
「西川義充は、これよりアイドル業界に新たな時代を切り開く! 古い時代の産物は、そこで化石とな――」
やがて、そのマイクの声も届かなくなっていった。
「玲奈、あいつとんでもないことを」
「……」
観客たちはステージを目指す。
演奏設備が消え、玲奈、美咲、いつき、由香……そして俺だけが取り残された空っぽのステージへ。




