第50話 砕けた仮面
ワゴン車は月形ドームを目指して、道路の中を走っていく。
日曜日のせいか、今日は交通量が多い。
「…………」
運転手のカオルちゃん、助手席の冴子さん、2列目の席に座る美咲といつき。
そして3列目の由香と俺。
乗車してからもずっと、みんな寡黙を貫いている。
――あの地下倉庫から脱出してすぐ、みんなは月形ドームへ向かうことにした。
村岡たちの処遇は、冴子さんと一緒に来てたアクセルターボの社員の人たちに任せて。
奴らに問いただしたいこともあったけど、そんな猶予は無かった。
「……冴子さんはさ、知ってたんだね」
これまでの長い沈黙を破る美咲の一言。
尖らせたような声の調子から、彼女の不機嫌な心情が感じ取れた。
「……えぇ」
「一応、私も」
冴子さん、そしてカオルちゃんもあっさりと白状する。
数々のウソで固めてきた本城あゆみという虚像、そのメッキが無残に剥がれ落ちていく。
「そっか」
そうして露になるのは、歩というただの男。
こんな男が女装して、アイドルをやっていたという事実だ。
「……じゃあ知らなかったのは、わたしと美咲と由香だけってこと……」
いつきもまた、つぶやき出した。
「同じメンバーなのに……ずっと騙されてた……」
彼女もまた同様に、失望している。
……罪悪感と孤独感で胸が締め付けられてくる。
パーカーの下の素肌も、何だか肌寒い。
――すると、座席の上からいつきがスッと顔を出して
「……うそつき」
寂しそうな目で一度睨むと、また引っ込んでしまった。
拒絶されている……言葉にされなくても分かる。
ハレーションとして紡いできた絆、それまでもが崩れようとしているのが。
隣りに座る由香も、窓際の方に身を寄せて俺を見ようとしない。
「……!」
たまらず、誰もいない窓の方へと目をやった。
すると自分が今、ウイッグを付けていないことに気付く。
あの後、Tシャツがダメになったからパーカーは回収したんだけど、そっちには気が回らなかった。
……まぁ仮にあったとしても、こんな状況で付けられるわけないけど。
でも、ライブはどうしよう。
いや……そんな心配も、もういらないかもしれない。
「ねぇ、名前なんて言うの?」
「……え?」
ふと美咲が、俺に向かって尋ねてきた。
ようやく話しかけてくれた微かな嬉しさが……いや、違う。
この期に及んで、俺は!
「本城……歩」
訊かれたまま、素直に答える。
かといって、今さら誠意もへったくれも無いけど。
「歩くん、か。結構そのまんまだね」
「まぁ……」
彼女らしくない抑揚のない声。
それに気付いていても、俺はただ様子を伺うことしか出来ない。
「じゃあさ、なんで……今までみんなを騙してきたの、歩くん?」
声のトーンは変わってても、中身はいつもと一緒だった。
回りくどい言い方はよして、いきなり本題に入るか。
「…………」
俺が黙ると、みんなも黙る。
息苦しい。
どうにもいたたまれない気分だ。
ハレーションのメンバーとして、みんなと一緒に過ごしてきた時間。
それがそのまま、自分の罪の重さへ変わっていく。
「あのね、みんな。歩くんにはきっと事情が――」
「待ってくれ」
たまらず冴子さんが出してくれた助け舟、俺はそれを追い返した。
「話す……全部、話すよ」
もう観念しよう。罰は受ける。
でもせめて、腹は自分の手でさばきたい。
「まずあゆみに……アイドルになったのは偶然だった。いつかのサンシャインのライブの時、いなくなった由香の代わりを頼まれて」
「あ……」
淡々と話し出すと、隣りで由香のハッとする声が聞こえた。
「それから、冴子さんにスカウトされた。人気アイドルになれれば大金が入るって言うから……迷ったけど、話に乗った」
あの頃を振り返る。
あの頃もずっと、俺は求めていた。
「俺にはどうしても金が必要だったから」
「なんで?」
「いや、それは……」
さすがにそこまで話すの、は――
「……」
重い空気だ。
疑惑の念が漂ってるみたいで。
「なんで言えないの?」
美咲は問い詰めるのをやめない。
こうなるともう、死に化粧も出来ないってか。
「妹がケガで入院してるんだ。6年前に俺がバカやったせいで……その手術費が1000万円いる」
「えっ……そ、そうだったの」
みんな、少したじろいだ。
たぶん気を遣ってくれてる。
「同情はしないでほしい……そういうつもりじゃない」
このままお涙頂戴という路線で行けば、おそらく俺の有利になるんだろう。
……そんな恵を侮辱するようなこと、死んでもやらないけど。
「……そういうことが。でも……イマイチだったでしょ?」
やがて今度は、いつきの方が訊いてきた。
「あぁ、正直言ってガッカリした。みんなを利用して1000万円を手にしたら、いっそ逃げようと考えてたけど……それどころじゃなかったな」
いつの間にか、こちらを見ている由香。
悲しい目を向けてきた…………まぁ、当然か。
彼女が信頼を寄せていた本城あゆみの正体が、コレなんだから。
「だから、俺は抗った。状況を変えて金を稼がなきゃって、焦った」
「じゃあ……」
「サンシャインのライブに乱入したのも、動画投稿を思いついたのも、目的は1つだった」
もう破れかぶれだな。
自分にも、彼女たちにも何一つフォローが無い。
「全ては金のため、自分のためにやったことなんだ。みんなのためを思ったことなんて……1度も無い」
残酷なことを言ってる……けど、その通りなんだからしょうがない。
みんなには悪いけど、ハレーションの本城めぐみは所詮、作られた――
「……うそ」
突然、由香のつぶやく声。
そのか細い声は、ハッキリと聞き取れた。
彼女はいつの間にか、俺のすぐ側まで来ていた。
「あゆ……むくん。それって本当に自分のためだったの?」
目をまっすぐに見つめてくる。
「あぁ。そうだよ……ガッカリしただ――」
「い~や、ウソだね!!」
今度は美咲だ。
今朝以来の張りのある声とともに、座席の上から顔を覗かせてきた。
……なぜか笑ってる。
「か、庇わなくていい。理由はどうあれ、俺は私利私欲のためにハレーションを利用した男で――」
「……いい加減にしろ」
さらに、いつきまで。
ピョコッと顔を出したと思いきや……呆れた表情を浮かべてる。
「自分のため……それだけじゃないよ。歩くんはきっと、私たちのことも考えてくれてた」
由香が優しく笑いかけてくる。
いや……違う、違う。こんな展開はおかしいぞ。
「買いかぶらないでくれ。俺にはそんな、人を思いやる余裕なんて無いんだ」
「ぷふっ……あのさ」
冴子さん?
なんで笑ってんだ。
「前々からいつか言おうと思ってたんだけどさ~、歩くんってカッコつけ過ぎなのよ。もしかして酔ってんじゃない?」
「なっ……」
何だと!? 何を言い出すんだ、この人。
「伊達男」
「……サムライ」
「実はナルシスト?」
美咲、いつきに由香まで。
みんなニヤニヤしやがって。
「みんな……な、何だよ」
俺は今、釈明してるのに。
それはもはや、仮面をなくしたピエロ。笑われることすら叶わない。
……あ、こういうところを言われたのか。
「ふ~っ……安心した」
「うん……」
美咲といつきは、示し合わせたように安堵の表情。
分からない……なぜもっと怒ったり、悲しんだりしないんだ。
「やっぱり、あたしの知ってるあゆみたんだった!」
そうして、にぱっと笑顔を向けてくる。
「あゆみ……って呼ばせてもらうよ。こっちの方が慣れてるから……」
「あ、あぁ」
いつきにも普段の穏やかさが……戻ってる。
「たとえどんなつもりでも……あゆみがやったことは、ハレーションに道を示してくれたよ……」
「うん! あゆみたんいなかったら、あたしたち今もきっと塩漬けにされてたね。ゼッタイ!」
うんうんと頷く2人。
それはまぁ……そう、なるのかもしれないけど。
「私も変われた。自分のこと、今のこと……ちゃんと向き合って、正直になれたよ」
「由香まで……みんな! それは、たまたまそうなっただけで」
「たまたま、さっきも助けてくれたの?」
「あ……えと……」
みんなのリアクションがさっぱり分からない。
説明が下手だったのか……いや、そんなことも無かったはず、だけど……
「あ~、もうっ。いいの!」
みんなの顔をキョロキョロ見回す俺を見て、何やら美咲が逆上した。
両手をグーにして、座席の上をボンッと叩く。
「キミが誰でも問題ないの。あたしたちみんなさ、あゆみたんのことが大好きなんだよ」
だい……好き?
女の子に正面切って言われた。
こんなの生まれて初め…………いやいや!
ここはそういう意味じゃない。
「…………わたしも好き」
「私も、大好きだよ!」
みんな……うっ、なんだこの感覚。
胸の奥から、じわ~っと何かがこみ上げてくる。
目の奥がうずく。
「みんな……それじゃ、俺を許してくれるって言うのか」
「ていうか……うん、逃がさない。えっ……あ、あ~あ」
今までみんなに隠してきたウソ。
それを吐露してもなお、みんなが俺を受け入れてくれるなんて…………あ、あれっ?
「あゆみたん、もうすぐライブ! おめめが真っ赤になるよ~」
数滴の雫が頬を伝っていく。
止まらない……俺は泣いてるのか。
「うふふっ。よしよし……」
由香が見兼ねてか、頭を撫でてくる。
彼女の方が年下なのに。
よしてほしい……でも感情が高ぶって、今はそれどころじゃない。
「落ち着いた?」
「う……うん」
やがて俺が泣き止むまで、みんな待っててくれた。
優しさが身にしみて……情けない。
「じゃあ……これ付けて」
いつきが座席から何かを取り出して……あっ!
あれは俺の、あゆみのウイッグ!
「猪瀬いつき……泉野由香……篠原美咲……そして、本城あゆみ。ハレーションはこの4人……だから」
じっと見つめてくる。
彼女だけじゃなく、美咲や由香も。
「お願い、歩くん。もう1度……あゆみちゃんに戻って!」
注がれる熱いまなざし……みんな!
「もうすぐ月形ドームよ~」
運転席から、カオルちゃんの声が届いてきた。
決戦は……もう目の前。
「分かったよ」
いつきの手からウイッグを受け取り、頭にセットする。
「あ、あ、あぁ~……」
喉元に手をあて、声のトーンを高く調節。
「……うん」
「おぉ~!」
「わぁ」
窓に映っているのは、藍色の髪をなびかせたアイドル……本城あゆみだ。
「よ~し、燃えてきたぁ~! みんな、これからサンシャインのライブ、あたしたちで乗っ取ってやろう!」
『うん!!』
ハレーション……みんなとの絆は、最初はウソで始まったものだった。
でもだからって、それはもう簡単にほどけるものじゃ無くなってたんだ。
「今まで一緒に、いっぱい頑張ってきたんだもん。一緒にライブして、一緒にレッスンして、一緒に……」
これまでのことを振り返りだす美咲。
でも、途中でふと言葉が止まった。
「あ……あっ……」
ワナワナと震えてる。
どうしたんだろう。感極まったのかな?
「ありがとう、美咲。その気持ち、すごく嬉しいよ」
「あゆみたん。あのさ……いつだったか一緒にシャワー室に入ったこと、あったよね?」
「へっ!?」
あ……た、たしかに。
でもそんなこと、今思い出さなくたって。
「……あ~」
「あぁっ!?」
いつきと由香も、表情を豹変させる。
さっきまでとても優しい顔をしてたのに、それが見る見る内に……マズイ!
「いや、あの時はその……逃げようにも手段が無くて……でも、すぐ」
必死に弁解する。
弁解するも、みんなの恨めしそうな顔は一向に変わらず――
「言い訳すんな~!」
それから会場に着くまでの十数分。
その間ずっと、俺はみんなからのやっかみを受けるはめになってしまった。




