第29話 開かない扉は打ちこわす
「帰って……それで、どうするの?」
ドアノブに手をかけようとする冴子さん。
その後ろに続く美咲、いつき、由香。
彼女たちを睨むようにして、俺は静かに問いかけた。
「残念だけど今日はもう……ね。外に車があるから、みんなを家まで送るわ」
「そうして一晩、枕を濡らして……朝になったら今日のことは水に流せって言うのか……」
みんなが控え室を出ようとする中、俺は一人そこから動かなかった。
「そ、そんな言い方……あのね、あゆみ! あなたはまだ知らないだろうけど、こんなのはアイドルの世界じゃよくあることよ。時にはガマンも大事なの。上の人間もね、きっといつか、またチャンスを――」
「……! そのいつかってのは、いつなんだよ!?」
なだめようとする冴子さんに、俺は怒鳴りつけてしまった。
「……!」
「たった今、チャンスが潰されたんだぞ! あんたが言う上の人間って奴らに……」
すると冴子さんは、ビクッと身をすくめた。
その素振りには、思わず彼女の意外なか弱さを感じてしまう。
もともと心が弱っていたところに、さらに追い討ちをかけているんだ。
無理もない……でも俺の心の高ぶりだって、もう止められないんだ。
「落ち着いて、あゆみちゃん。辛いのはみんな同じだよ」
辛い……か。
その割には、由香。
ずいぶんと帰り支度が早かったじゃないか。
「あゆみたん……ねっ。どうどう。女の子がそんな汚い言葉使っちゃダメだよ」
美咲が駆け寄り、俺の背中をぽんぽんと撫でる。
「ショックなのは分かるよ……分かる。でもね、ケンカはダメ。仲良くしなきゃ!」
すると美咲は、途端に顔をほころばせて俺の顔を覗きこんできた。
そして互いの両手を繋ぐと、それを振り子のようにゆっくりと左右に動かす。
まるで泣いた子をあやすようなその仕草。
「ほら……ね。笑顔! みんな笑顔でいる方が一番だよ~」
なぜ美咲は、こうも笑おうとするんだ。
今は怒ったりとか泣いたりとか……そういう時じゃないのか。
「美咲……」
加入して間もない俺なんかよりも、彼女の方が今、よっぽど大きな挫折感を味わっているはずなのに。
「そこに鏡あるからさ、見てみなよ…………ひどいツラだね」
彼女の両手を振りほどきながら、俺はそう告げた。
間近で見た美咲の表情は……
段々と角度を下げる眉、震え出す瞳。
それらを矯正するように笑顔をキープしていた。
きっとそれは、彼女が自分を抑え込んでいる証拠。
――とても見られた顔じゃない。
「…………きついなぁ、あゆみたん」
美咲は顔をハッとさせると、やがて苦笑いを浮かべた。
……ふふっ、その方が上等だよ。
「どうして思ってることを言わない……なんで、そう無理に笑おうと――」
「だってあたし、アイドルだもん!」
こっちが言い終わる前に、力強く答えを返される。
その不意打ち気味な迫力に、俺は思わずたじろいでしまった。
「……」
「アイドルは悲しい顔しちゃいけないんだよ。悲しいことも笑顔で乗り越えて……そうしてみんなを元気にするの」
…………ごもっとも。
「そういうさ……ステキな世界のはずでしょ、ここ。アイドルになるのって、女の子みんなの夢だよ……」
そうだな、俺もそう思う。
……いや、思ってた。
「でも……あたし今、なんでこんな気持ち……」
美咲……。
みんながみんな、君みたいに優しい人間ばかりなら良かった。
…………でも、違う。
このアイドル業界――
少なくとも、これまでに幾度と君にそんな歪んだ笑顔を作らせてきた連中は、優しくなんかない。
「……いいじゃん、それで。そのままでいいよ」
そして俺たちアイドルは、そういう奴らと渡り合わなきゃいけないんだ。
「あゆみたん……」
「笑顔なんて……表情なんてさ、所詮上っ面だよ。そんなんでさ、誤魔化せないだろ……今の美咲の気持ちは」
目の前の少女は、とても苦しそうだった。
自分が信じていた理想……そして現実。
目を逸らすことも敵わないそのギャップの大きさに、彼女は――
「あゆみたん…………あたし、あたしさぁ……」
ストレスを与えられると、人は心から闇が生まれる。
でもこの娘は、それを外に出すまいと懸命に蓋をしてきた。
でも、もうこだわるな。
アイドルだから何だっていうんだよ。美咲は美咲……
生きている女の子だ!
「悔しい……」
漏れ出た一声。
「アイドルだから、こんなこと思いたくない。でも…………玲奈にも、事務所の人にもバカにされて…………あたしもアイドルなのに! 悔しい! 悔しいよぉ!!」
溢れ出る感情。
仮面を捨てた1人の少女の素直な気持ち。
「そうだよな。俺も今、そういう気持ちだ……あっ!?」
すると美咲は感極まったのか、俺に向かって飛び込んできた。
この平らな胸に、顔をうずめてくる。
『……重大発表だよ! なんと次回のライブは……』
静まり返った控え室に、ステージにいるサンシャイン 高石玲奈の嬉しそうな声が届いてきた。
向こうは、こっちの様子など知りもしないんだろうな。
ただ大きな仕事が舞い込んで、浮かれているだけの……羨ましい身分だ!
『ワァァアアァ~~!!』
そして、続く客席からの大歓声。
今まさに、月形ドームでのライブ開催を発表してる最中なわけか。
「!」
そうか。
今サンシャインはステージでMCをやっている……
これって、もしや……でも流石に…………
「……みんな」
ふと見渡すと、この控え室の中。
笑ってる者は1人もいなかった。
美咲も、いつきも、由香も、冴子さんや……それに俺だって、みんな揃ってロクな顔をしていない。
気付けば他人に蹴落とされ、流されついた…………負け犬の顔だ。
だから、俺たちがこうして泣くことで笑ってる奴らがいる。
それを忘れちゃならないんだ。
「あゆみたん……」
俺はそっと美咲の頭を撫でてやり、彼女を引き離した。
「ありがと、美咲。さっきの言葉、聞かせてくれて嬉しかった。……やっぱアイドルってさ、笑ってなきゃね…………本当の笑顔で」
そして身体を返し、控え室のドアノブへと手をかける。
「どこ行くの……?」
追いすがるような美咲の声をよそに、俺は控え室のドアを開けた。
「チャンス、取り返してくる」
そうしてバタンと扉を閉め、廊下を突き進む。
相川ホールは結構、広い。
いくつもの控え室に、機材置き場。
「あれっ、君……」
ひたすら歩く俺に、すれ違うスタッフの人たち。
皆、こっちを見て怪訝な顔を浮かべている。
……そりゃ、そうだろうな。
「ねぇ~、麗さん! サンシャインもとうとう月形ドームでライブですよ~。あ~、今から楽しみだな~」
「そうね……」
ここまで近付くと、サンシャインの声はもうハッキリと聞こえるな。
あぁ……そして姿も捉えた。
ステージからはみ出るスポットライトの光がまぶしい。
――ドクン、ドクン、ドクン
自分の心臓の鼓動もまた、ハッキリと聞こえる。
明らかな興奮状態…………無理もない。
こんなことを仕出かすのも、いや思いついたのすら、生まれて初めてのことだ。
今、自分の脳内にあるビジョン。
これを現実のものにしようとしたら、一体どうなるのか…………想像するのも怖い。
――でも忘れるな。
奴らはネギをしょった鴨……!
「すぅ~…………ふぅ~!」
一旦、気を落ち着けて深呼吸。
覚悟を決めろ……
世界が俺たちを分かってくれないと言うなら…………分からせるまでだ!
「みんなもぜひぜひ、またライブに……えっ?」
「お姉さま~! ひどいですよ、ハレーションを置いていくなんて~……」
さぁ、サンシャイン……麗、玲奈。
このケンカ…………買ってもらうぜ!




