第15話 アイドルの基本
そうして、俺のもう一つの顔。
アイドル 本城あゆみの日常が始まった。
アクセルターボと所属契約を交わした俺は、それから毎日のように事務所内のスタジオでレッスン漬けの日々を送っている。
休日は朝から晩まで。平日も学校が終われば、ここに直行だ。
おかげで最近は、恵の見舞いにもロクに行けてない。
でも、あの変わり映えのしなかった日常が、今は目的に向かって動き出している。
そう実感することが出来た。
「ほら、また! あゆみ、そこ大事なアピールポイントなのよ」
そして現在、俺たちハレーション4人は冴子さんの指導の下、ダンスレッスンに励んでる真っ最中だ。
「あ……くっ、すみません!」
音楽に合わせて踊る……ということ。
観ている時には気付かなかったが、これがなかなか大変だ。
振り付け、リズムの取り方、動きのキレ……これら全てを体に覚えこませて、ようやく見られるものになる。
「あ~、ほら由香も! あんたら2人、それでもアイドルのつもりぃ?」
「……ごめ、ん、なさい!」
俺と……そして由香は、特に苦戦していた。
スタジオの壁一面を覆う巨大な鏡に自分達の姿が映っているが、俺と由香のダンスは、美咲といつきのそれに比べて明らかにレベルが低い。
一緒にやってて、恥ずかしくなるくらいだ。
「はい。ワン、ツー、ワン、ツー……そこで美咲のパート!」
「はいなっ!」
美咲はくるっとターンを翻すと、にぱっと笑顔を見せた。
「続いて、いつき!」
「……ふっ」
流れる音楽と寸分違わぬリズムで、いつきもバシッとポーズを決めた。
本人は無表情だが、その見事なタイミングの取り方には迫力すら感じてしまう。
「あと1コーラスよ。みんな、踏ん張りなさい!」
終盤になると、疲れのせいか動きにムラが出てきてしまう。
着ているTシャツも、既に汗でビッショリだ。
身体が重い。
鏡は、そんな自分の醜態を冷静に映し出している。
俺と由香の踊る姿は、もはやあまり人様に見せられる代物じゃない。
同じように踊っている美咲といつきは、ほとんど汗もかいてないっていうのに……。
「……はい、終了よ! みんな休んでいいわ」
やがて音楽は止まった。ダンスはひとまず終了だ。
ほっとした俺は、ハンドタオルで汗を拭った。
全身が汗まみれだ。
ハンドタオルの少ない面積で拭いきれるか、思わず不安になってしまうほど。
「――はぁ、はぁ!」
由香は冴子さんの合図を聞いた途端、その場で座り込んでしまった。
息を乱しながら、心ここにあらずといった模様……相当、疲れてるみたいだ。
「……ほら、由香。タオルとドリンク」
「あぁ、うん……ありがと……」
そこにいつきが駆け寄ってくる。
彼女と、あと後ろでゴクゴクと美味しそうにドリンクを飲んでいる美咲には、まだまだ余裕がありそうに見えるから恐ろしい。
「む~……やっぱり美咲といつき、由香とあゆみの間には、かなりのレベル差があるわね~。まぁ年季の違いだからしょうがないとしても」
おでこに手を当てて悩む素振りを見せながら、冴子さんはふとこちらを見た。
「あゆみ、ちょっと笑ってみなさい」
「……えっ?」
反射的にドキッとしてしまう。
……どうやら冴子さんには見抜かれてたようだ。
アイドルを始めた俺が最も苦手とするもの。
それはダンスでも、歌でもなく……
「あ~……えっとぉ……こ、こう?」
言われるまま俺は口角を上げ、目尻を下げて表情を作り出す。
それはどんな表情かと言われれば、おそらく笑顔にあたる。
マニュアルでいえば、間違ってないはずだ。
「ふぅ~……ぜんっぜんダメ! 鏡を見てみなさい」
「……うっ!」
冴子さんから視線をずらし、鏡の中の自分と見つめ合った。
…………見るに耐えない。
どう見ても、それは笑顔とは言いづらい。
贔屓目に判断したとしても、せいぜい苦笑いというのが関の山。
とにかく、無理矢理作りました感がハンパない……。
こんなのを人前に見せた日には、相手の気分が明るくなるどころか、むしろ気まずくなる一方だろう。
「にゃはは~。よ~し、あゆみたん! ここは美咲姉さんがお手本を見せてあげよう」
意気消沈する俺の肩をポンと叩き、代わって美咲が前に出た。
「むむむむむ~……どやっ!」
そうしてしばらく唸った後に出た表情……それはまさしく笑顔。
さっきの俺のように、わだかまりや迷いを含ませた濁った表情とはまるで違う。
純度100パーセントの完璧なスマイルだ!
「お、おみそれしました……」
「ふっふ~ん。おっ! 感じるぞ……これぞ先輩風」
ご機嫌な美咲に、俺は頭が上がらなかった。
「ハレーションの笑顔担当といえば、もう美咲だもんね。……ちょうどいい機会だわ。次は由香、あなたもやってごらんなさい」
「えっ、私も……!?」
なんかいつの間にか、メンバー全員の笑顔チェックが始まってしまった。
続いて由香も、おずおずとしながら鏡に向かいあう。
「え~、え~と……んっ」
そうして作り出した由香の表情は……意外や意外、見事なものだった。
緩やかに下がった眉毛と目尻。そして、ほころんだ口元。
さきほどの美咲の活発なイメージとは違う、おしとやかな雰囲気……見る者を穏やかな気持ちにさせてしまう静かな微笑みだ。
てっきりこの娘のことだから、またつまずくものだと思ってたが、とんだ見当違いだったみたいだ。
なんか、ますます俺の立場が無いな。
まぁそもそも、男の俺が女の子達と笑顔で競い合ってること自体が無茶なんだけど。
「いいわよ、由香。あなたにはあなたの魅力があるから……それを忘れないようにね。じゃあ次は、いつきね」
いつき……そ、そうだ!
いつも大して表情の変わらない、いつきなら……。
おそらく、こういうのは苦手なんじゃないか?
「はい……」
いつきは俯き加減で鏡の前へと降り立った。
こいつなら……きっと俺の二の舞を演じてくれるはず。
頼む……頼むぞ!
――傷ついた自尊心を守りたいあまり、俺はとんでもない期待をいつきに寄せている。
「…………きゃふんっ!」
そんな歪んだ期待を背に受けて、いつきが作り出した表情……というか、そのアクション。
「? ……!?」
目に飛び込んだ光景。そのあまりの違和感に、俺は思わず二度見してしまった。
今のいつきの仕草。
それはグーにした両手を口元まで持っていき、さらに体の角度を30度ほど曲げ、目線は上目遣い――いわゆる、ぶりっ子ポーズ。
いつもは半分閉じてるような瞼が、今は全開に見開かれている。
その背格好と相まって、見る者に対してなんともプリティでチャーミングな印象を与えてしまうことだろう。
普段のいつきからは、まるで想像出来ないパフォーマンスだった。
「……ふぅ。しんどい……」
しばらくそのポーズを維持した後、やがていつきは元に戻った。
瞼が半分閉じ、猫背でどこか気だるい印象を伴わせる、いつものいつきだ。
「あんたさ~……いつもその感じでいることって、出来ないかしらねぇ」
「やだ、めんどい」
名残惜しそうな冴子さんの提案を、彼女はあえなく却下した。
「……まぁね。ご覧の通り、先輩方はちゃんとやることやってるわけよ、あゆみちゃん! 笑顔はアイドルの基本だから、これから要研究すること!」
くっ!
……全く立つ瀬が無ぇ。
そもそも俺は、普段からあまり笑う方じゃない。
どっちかっつーと、ムスッとしている割合の方が多い人間なんだぞ。
みんなのような作り笑顔なんて、今さら…………とか言っても仕方ないか。
「さ、レッスン再開よ!」
これも1000万円という遠い目標に辿り着くためだもんな。
帰ったら、鏡で自分の表情とにらめっこするか……。
「じゃあ、これから30分の休憩に入るわね。その後、最後にもう1曲流して今日は終わりにしましょう」
あれからまた、1時間のダンス練習が続いた。
今日のレッスンも、もう終盤だ。
少しずつだが、ダンスの感覚とやらが身に付いてきた気がする。
この分なら、いずれいつの日かハレーションのメンバーとしてやっていけるかもしれない。
そんなことを思いながら、俺はふと用を足しにスタジオから抜け出していた。
ちなみに行き先は女子トイレ。
不本意だが、これもカモフラージュの一環だ。致し方ない……。
「あっ……」
手を拭きながらトイレを出ると、そこに誰かが立っていた。
「おつかれさま、あゆみちゃん」
――由香だ。
トイレの順番待ちをしてるのかと思ったが、他にも開いてる場所はあった。
じゃあ、なんで……
「ちょっと……いいかな?」
どうやら由香は、ここで俺を待ち受けていたらしい。
一体、何の用だろう?




