第11話 救いのための道標
バイトの当てもなく、変わり映えのしない毎日。
そんな暗闇にいた俺のもとに、突如として現れた光。
あれを辿れば、きっと――
「おや……おやおや? あ~、顔が笑ってる! やっぱ、その気になったんじゃないの」
室井さんは顔を覗きこんでくると、表情をほころばせた。
俺、笑ってたのか……まぁ、そりゃそうかもな。
「正直、効きましたよ。かなり……」
「おっ、やった! 堕ちたわね! じゃあ早速、事務所の中へ――」
意気揚々と室井さんは俺の手を引こうとする。
でも。
「少し考えさせてください。契約とかそういう話はまだちょっと」
「あら……そう?」
拍子抜けさせるようで悪いが、さすがに今ここで結論を出すのは早計だと思った。
躊躇いだってまだあるし……何より今、たぶん俺は浮き足立っている。
「なんか気持ちが舞い上がってて……判断力に自信がないんですよ。今日はまず家に帰って、冷静になってからまた考えます」
おそらく、今の俺は迂闊だ。
気付かぬところで、きっと足元がお留守になっている。
――そこを相手に絡め取られてからでは、もう遅い。
「……あんた人生、失敗しないタイプね~」
室井さんは呆れるような感心するような、どちらとも取れる表情でそう言った。
誉め言葉と受け取っておこう。
もうあの時のように、偽の契約書を仕立てられるのはゴメンだからな。
「じゃあ俺、帰ります」
「あぁ、待って。帰りはちゃんと送るわよ」
「…………」
「そう警戒しないでよ。これはただの親切……っていうか、お詫び。勝手にこんなとこまで連れて来ちゃったからね」
…………一応、嘘じゃないみたいだ。
この人の行動は何かと常識に反してるからな。疑い過ぎるということは無い。
ともかく俺は、車に戻った。
「それじゃカオルちゃん、よろしくね」
「りょ~か~い」
やがて車は発進し、もと来た道を辿るように走っていく。
室井さんは社内で仕事があるそうで、車の中は俺とカオルちゃんだけだ。
悪は去った。これでようやく安心できる。
カオルちゃんは全く迷うことなく、車を走らせていく。
一度通っただけで、もう道を覚えてしまったんだろうか……なんかこの人、いろいろハイスペックだな。
ふと窓から外を見ると、いつの間にか見慣れた景色が広がっている。
この辺まで来ればもう少しでアパートだ。
そう思った矢先に、俺はふと気付いた。
「あのさ、カオルちゃん。そこ右に曲がってもらっていい?」
「え? さっき通った時は、このまま真っ直ぐだったけど……」
「いいから。寄りたいとこがあるんだ」
車は信号を右に曲がり、交通量の少ない道へと入っていく。
「――ここだ。ここで止めてくれれば大丈夫」
「ここって……病院じゃないの」
そうして着いた先は、こじんまりとした病院。恵の入院する岬診療所だ。
「ありがとう。そのうち返事を持って事務所に行くからって、室井さんにはそう伝えておいてくれ」
「あ、うん……わかったわ」
そう言い残して車を降りると、カオルちゃんは再び車を走らせていった。
「さて…………あっ! そういや今、何時だっけ?」
今日は元々、時間が出来たら恵のお見舞いに行こうと思ってたんだ。
それを思い出したのはいいが、つい時間をチェックするのを忘れていた。
辺りはもう暗い。
慌てて携帯を取り出し、時刻を見ると
『午後19時53分』
――アウトだ。もう面会時間はとっくに閉め切られてる時間だ。
せっかく来たのに結局、無駄骨になってしまった。
思わずガックリきてしまう。
俺はその遺憾を埋め合わせるように、まだ明かりの灯る病室の窓を見上げてみた。
視線の先は、203号室。
恵のいる病室だ。
「…………」
ここからでは、カーテン越しに映る蛍光灯の光しか見えないな。
でも、きっとあの狭い病室の中で恵は一人ぼっちでいるんだろう。
これまでの4年間、そしてこれからも……それが今のあいつの運命なんだ。
「……!」
俺は何のために生きて……そして、何をするべきなのか。
今ここで分かった気がした。
「さて……と」
その翌日、俺はアクセルターボのビルの前に立っていた。
とはいえ、昨日の今日だ。
「冷静になって考える」とか言った手前、これはなんか入りづらいな。
ビルの周辺をウロウロし、入ろうか止めようかと二の足を踏んでいると――
「来ると思ったわ~、歩くん!!」
いきなり背後から何者かにガシッと肩を掴まれた。
「む、室井さん……」
「さぁ、答えはどっち? イエス? オア、ノー?」
あえて確認するまでもなく、その人物は室井さんであった。
開口一番、いきなり本題に入ってくるか。
「…………イエス」
答えもう決めていた。そして実際に口に出した今、覚悟も決めた。
こうすることで恵が救われるなら、俺はやる!
「コングラチュレーショ~ン! はい、プレゼント」
その言葉と共に、室井さんは俺の頭に何かをかぶせてきた。
見覚えのある藍色の毛並みが数本、頬を撫でる。
これは……あの日、俺がつけてたウイッグだ。
「これからここに来る時は、必ずそれを付けてちょうだい。あなたは今日からアイドル。ハレーションの新メンバーとしてデビューするんだから、くれぐれも正体がバレないようにね!」
覚悟の上とはいえ、こうなるとやはり抵抗が出るな。
これからここで会う人、そしてゆくゆくは世間にいる大勢の人間に向かって、俺は女のフリをすることになるのか。
……でもまぁ、しょせんは慣れない女装だ。いずれはバレる日が来る。
だが、せめてその時までに1000万円は稼いでおかないとな。
「ん~と、メイクの方は……必要ないか。どう見ても女の子だもんね」
…………怒るな。いいじゃないか。
それってつまり、バレる心配が無いってことだぞ。アイドルとして金を稼ぐのに好都合って意味だ。
思わず反応してしまった男のプライドを、俺は理性で以ってなだめた。
そして俺と室井さんは、ビルへの中へと入っていった。
受付の前を通る時に、早速バレるんじゃないかとヒヤヒヤしだが
「わぁ、可愛い子~。新人さんですね、どうぞお通りください」
――全くの杞憂に終わった。
ついでに室井さんの口からは「ブフッ!」という笑い声が漏れていた。
……でも、もうそんなことをいちいち気にしちゃいられない。
このビルは既に郷の中。
この中に入ったら、もう俺は……女だ! 男を捨てるべきなんだ。
「今日は顔合わせね。ちょうどメンバー全員、ここに来ることになってるから」
連れられるままエレベーターを昇ると、ある一室へと通された。
そして部屋のドアを開けると、そこに――
「おっ! 現れたな~、ルーキー」
ふわふわの長い髪に、小さく束ねたツインテール。
あの日、ステージで会ったあの娘が俺を待ち構えていた。




