友達
私が学習したことの一つとして、死ぬのは簡単じゃないということだった。
「お母さん、泣いていたぞ。妹さんも。兄と父親は泣いてはいないが、意気消沈というやつだな。……何か言うことはあるか?」
タバセンが冷たい目で私を見ていた。その目は、どういう目だろう。見捨てたいのかな。
私は縛られてベッドで寝ていた。あの日、階段から落ちた私はその音で目覚めた母に発見され、手首からの流血で即座に救急車を呼ばれて、こうして入院することになったのだ。
傷口は深く、化膿してしまってはあわや手首を切断するかもしれないというほどらしく、しばらく経過を見ることが必要らしかった。
ここ数日のメンタルが酷いことになっていた私は、丸二日ほど眠っていたとか。
「死ねなかった」
「馬鹿野郎!」
大きな声で反射的にビックリした。何より、タバセンが声を荒げて怒るのを初めて見た。付き添ってた看護婦さんも慌ててる。
彼女はいつもふざけているし、どちらかというと生徒に怒られる側の人だった。ちょっとした校則違反に対して「バレないようにやれよ」なんて言うような人だったから。
だから、怒ったタバセンを怖いと思うより、ただ単純に驚いた。
彼女は泣いていた。
頬を一筋、透き通るように綺麗な涙が流れていた。
こんなきれいに、人は泣けるんだって、思った。
「……はぁ。全く、何から言ったものか、分からないが……」
涙を拭いながら先生は、少し鼻をぐずって、ぼんやりとつぶやいた。
「……みんな驚愕してたが、堀田だけ、少し違和感を覚えていたらしい。だが、家族もクラスメイトも、普段通りのお前だったと言ったよ」
「そうですか」
「私だって、昨日の今日で、こんなことをすると思わなかった。担任の寺井先生、すごく困ってたよ。クラスにいじめがなかったか、だとか、生徒の動向を見抜けなかったのか、なんて校長やらに怒られてた。分かるわけないよなぁ、だって家族だって全く気付けなかったのに」
ククッ、と自嘲めいた笑いに、私も気付かなかったという先生の悔しさが滲み出ていた。また泣きそうになったのか顔を腕で拭いながら、鼻をすする音が一層響く。
「私は――――君を見殺しにしたか?」
先生の言葉に、私は目を見開いた。
「それは違います」
「同じことだ。私は君のことを知っていた。色々しようとしたのに、肝心なことは何もできなかった。結果は、どうだ。もしご家族が発見しなかったら、私は君が死ぬことに気付かなかった!」
「だって、先生は、先生は一年の時からずっと私を気にかけてくれた!」
「――――じゃあ、君は何故、君がしたことに罪悪感を覚えるんだ?」
そんなのは――そんなのは、そんなの……。
「同じことだ。君が罪悪感に蝕まれるように、私もそうなる。私だけじゃない、君の家族も、クラスメイトも、みんなだ。君がたとえ死ななくても、君が自分をそうするまで追い込んだことに気付けなかった皆、そのことを気に病んでしまう。……君は、君のような人間をたくさん増やすようなことをしてしまった。…………そのことには、気付いてほしかったんだが」
先生の涙が、私に教えてくれた。
私は過ちを繰り返していた。自分の罪を上塗りしていたのだ。
「……だったら、私は、どうすればいんですか! 私が重ねた失敗はどうすればいいんですか!」
「甘えるな! 自分が死ねば解決するなど、自己中心的な考えはまず捨てろ! 君には、まだしなければならないことが沢山ある」
「そんなの……そっ、そんなの……わかりません……」
先生の説教は今までで一番効いた。自分の罪の上塗りに、情けなくて、悔しくて、涙が溢れて出てくる。
先生の指摘は全くもって正しい。私はただの自暴自棄で死のうとしただけだった。完膚なきまでそれが間違っていると言われて、それこそ恥ずかしさのあまりに一片も残さず消え去ってしまいたいほどだ。
こんなに辛いのに、生きなければいけないなんて、その方がもっと辛いに決まっている。
「だって先生……辛いです……こんなの……生きて、いけない……」
「甘えるな、久瀬。いいか、辛かったら、甘えるんだ」
先生の言葉は一瞬で矛盾した。そのまま彼女は優しく、私の頭を撫でた。
親のような慈しむ動きに、ますます涙が溢れる。もう、何も分からないくらい、先生に甘えたくなった。
「もう、自分でなんでも解決しようとするな。みんながショックなのは君がただ死のうとしたことじゃない。死のうと思い詰めているのに、全く誰にも話さなかったからだ。もし死のうと思っているなんて、誰かに言えば、絶対に君を放っておかない。君を心配して、一緒にいて、慰めて、また元気に生きる活力をくれるさ」
「せんっ、せんせぇっ……」
「みんなにショックを与えたことは謝らなくちゃいけないけど、みんなだってそれに気付けなかった罪があるんだろう? お互い様だろ、久瀬。少しくらいデカい顔して元気な姿を見せてやれよ」
そんな、そこまで自信過剰にはなれない。
ただ先生の優しさに埋もれていた。苦しくて辛い気持ちを、先生は全て受け止めてくれる気だった。
本当に、恥じ入ることばかりだ。先生は優しく言ってくれるけど、私は本当に、どうしたらいいか分からない。
家族に会わす顔がない、教室に出す顔がない、堀田さんや文尾さんに――。
美鈴。美鈴は、どうしているんだろう。
寂しくてとても会いたい気持ちと、彼女にだけは会いたくない気持ちが生まれた。
私は私が重く感じていた罪を、彼女にまで与えてしまった。私は彼女に更なる重荷を与えてしまったのだ。
だけど彼女は私を憎んでもいる。私なんて死ねばよかった、そんな風に思っているのかもしれない。
怖い。震えそうなほど怖い。美鈴に会いたいのに、会いたくない。
「……先生、美鈴は?」
それでも尋ねずにはいられなかった。彼女は事も無げに言う。
「そこにいる」
「えっ?」
思わず声が上ずった。なんで? 今、そこ? どこ? 先生は廊下の方を指さしているみたいだった。
「君が自殺未遂で入院したことは隠すこともできなくてすぐ大っぴらになったが、その日のうちに彼女は狂気めいた様子で学校に来て、それはひどい有様だった。堀田から連絡を受けて、着の身着のままで来たんだろうな。当然追い返されたが、通ってきて、今は疲れ果てて廊下の椅子で寝てる。君がずっと寝てるからいけないんだぞ」
「……私のこと、なんて言ってますか?」
「それは自分で聞け。学校に来て授業を受けることを条件に、面会殆ど謝絶なのにわざわざ私が車で枇々木を連れてきているんだぞ。感謝しろよな」
はぁ、と先生は溜息を吐いて、廊下の方に行った。
ちょっと待って、それって美鈴を起こす気じゃ……。
鼓動の高鳴りが一瞬で最高潮に達した。不安とか期待とか、複雑な気持ちが入り混じる。
「あの、絶対安静なんですよ、本当に」
「う、すみません」
入り口で先生が叱られてた。まあ、それはそうだよねって感じだけど。
おかげで気が抜けた。ちょっとだけ、心の準備ができる。
……けれど、今まで以上の罪悪感と、反省の気持ちは強い。まともに顔を合わせることも辛い。
だけど。
美鈴の顔を一目見た瞬間。
涙がにじんだ。
「なんで?」
美鈴の声が震えていた。そして、うぅ、と小さくしゃくって、大声で泣き喚いた。
「な~ん~で~!?」
びえーん、なんて効果音がぴったりくるくらい、子供みたいな、大騒ぎな泣き方だった。
先生が後ろで睨まれているけど、そこは看護婦さんを抑えている。
私は、それを見て笑ってしまった。だって、美鈴があんまり面白いから。
あぁ、やっぱり私は美鈴のことが好きなんだなぁって思った。
「なんで、って?」
「だっ、だってっ、だっ、な、なんで~!」
もう言葉もめちゃくちゃで何が言いたいかも分からなかった。あまりに進展がないから先生と看護婦さんが美鈴を抑えて、宥めてる。「うっうっ、ぐすっ、おえっ」、泣き過ぎて吐きそうなくらい、美鈴は泣いてた。
その姿があんまりにも面白くて、笑って、笑いながら、私は泣いた。
今日で一生分は泣いている気がした。だけど、元気で、感情を表に出す美鈴を見ていると、それだけで安心する。
ありがとうって言いたい。けど、その前に色々と話さないとダメだ。
そして、美鈴もようやく、泣きに泣いてるけど、話せる状態にまで戻ったみたいだ。
「なんでっ、なんで死のうとしたの~!?」
「それは……ごめん、軽率だった」
「私、また失くしたと思った。…………本当に、梨香のこと、複雑だった。人が嫌で、引きこもってて、そんな嫌な人の代表みたいなところに梨香がいるって、信じられなくて、今でも不思議で」
本当にその通りだ。はっきり言えば美鈴は私を憎んでいたのだ。だから嫌われて当然だと思ったし、私達の関係はもはや破綻したものだと思った。
だけど美鈴はここにきて、私のために泣いてくれた。
「でも、梨香までいなくなったら……私は、本当に駄目になるから、もう失くしたくない!」
「……でも、美鈴にとって、私は……」
「梨香は私の一番の友達だよ!」
その言葉を聞けて良かった。
一番の友達に、私の罪を許してもらうこと。
もっともあの出来事を引きずっていた彼女に、許してもらうこと。
そして、私の贖罪が間違っていると自覚できたこと。
やっと私は、過去を清算できた。
罪と呼ぶかどうか曖昧なそれであったが、決してそれが消えることはない。
それでも私は心の底から、ようやく安らぎを得ることができた。
だって……これが幸せなんだって、そう確信できるから。
「ありがとう、美鈴。私の、一番の友達」
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小学生の時は、面倒見がいい方で姐御肌なんて言われてた気がするけれど、だんだん大人しくなって中学の時は今みたいになってた。
正しくは、他の小学校と生徒が混ざって、どんどん垢抜けた友達についていけなくなって、私は誰ともほとんど関わらない孤独な存在になっていた。
それでも、人が苦手になってた私はそれでよかったし、やっぱり誰とも関わる気がなかったのだ。
「僕と、友達になってくれませんか」
中学の男子と女子が、そんな風に話し合えば、非常に恥ずかしくて、告白のようなものであって、答えは絶対にノーになるだろう。
私は、そういう恥ずかしさもあったけど、それでも、いじめられっ子の友達なんてやっぱりいらなかったから。
「友達はいらないから」
そんな風に言った。
岡倉才人が自殺したのはそれから何か月も後だったから、それがどれだけ関係のあることか分からない。
だけど、その出来事は私の胸に深く食い込んで離さない。
あれからも人と関わるのが微妙に苦手ながら、誰かを助けられたら、同じような状況があったら、そんな風に考えていて――
私は枇々木美鈴と出会ったのだ。
第一部完
以降はGLとか百合とか言われる感じ




