②
アマルが12歳の時の事。
毎年夏の終わりに皇都に向かう子爵。
夏の終わりには地方貴族も全員が皇都に集まり、領地に関する報告をすることになっている。
その時期は社交シーズンでもある為、多くの貴族が1ヶ月程皇都に滞在する。
特に社交の必要がない子爵も、半月ほどは議会への参加の為皇都のタウンハウスに向かう。
いつもは父親を領地から送り出すアマルであったが、この年は違った。
「お父様、アマルも皇都に行きたいです」
普段は達観した娘の可愛いおねだりに、子爵も相好を崩す。
本来であれば、5,6歳頃から地方貴族の子女も、両親と共に皇都に滞在している。ただ観光の為である場合もあるが、大抵は人脈作りとお見合いである。
しかし魔力を持たないアマルはお嫁さんにしたい女子からあぶれてしまっている為、どこからも茶会のお誘いが無いのだ。
お茶会などに出ればアマルが傷つけられる可能性がある為、そういった場所にアマルを連れて行く予定は無い。しかし女の子は大体が煌びやかな皇都に憧れるのも事実である。
娘の女の子らしい憧れに、子爵はホッとする。
(雑草だけが趣味でなくて良かった)
「皇都で何がしたいんだい?」
子爵の無邪気な質問をブッタ切ったアマルは、やはり普通の子では無かった。
「皇后様とスーパー薬草について議論するんです」
「・・・え?」
「わたし、絶対皇后様と仲良くなれると思うんですよ」
「アマちゃん、その自信はどこから出てくるんだい?」
目をキラキラさせてスーパー薬草と皇后の話をするアマル。嫌な予感しかしない子爵。
「アマちゃん。皇都は君にはまだ早い。もうちょっと待ちなさい」
子爵のその一言にブチ切れたアマルは、人生1周目らしい、しかし12歳児がするには少々目を見張る行動に出た。
絨毯の上をゴロゴロ転がりながら手足をバタつかせながら叫び出したのだ。
「行きたい、行きたい、行きたいよ~~~!!! うわ~~~ん!!!」
娘の急な奇行に驚いた子爵は、つい了承してしまった。アマルの作戦勝ちである。
*****
そうして12歳の夏に子爵と皇都に向ったアマル。
まだ4歳の弟と夫人は今回はお留守番である。
「アルタン、お土産を買ってきますからね~」
弟のふくふくのほっぺをつんつんして、アマルは元気よく馬車に乗り込んだ。
ユルディズ子爵邸から皇都へは馬車で3日かかる。
アマルは初めて領から出るので、終始興奮しっぱなしであった。
アマルの皇都に行きたい理由のせいで最初は戦々恐々としていた子爵であったが、今では娘が雑草以外に興味を持ってくれることを願って、皇都では色んな所に連れて行ってあげようと考えていた。
将来は帝都一の商家の跡取りの嫁になるのだ。趣味が雑草だけでは友に申し訳ない。
窓の外を流れる景色に興味津々で、窓に張り付いて眺めている娘が愛らしい。
鼻が小さく低いせいで邪魔されることなく、おでことほっぺをしっかりと窓にくっつけて眺めている。
「・・・お父様、あなたに似たのですよ」
窓に反射された父親の目尻が下がった顔を見て、彼の考えている事を察したアマル。
「ははは、ごめんね~。母様に似たら、もうちょっと鼻が高かったのにね。でもそんなアマちゃんが可愛いよ~」
親の欲目である。
3日目の午後に皇都の邸に着いたアマルと子爵。
皇都の邸は一等地から少し離れたテラスハウスである。潤沢な資産を持つ子爵家であるが、低位の地方貴族である事に変わりはない。
庭付きの豪邸を構えようものなら、出る杭は打たれてしまう。
それに子爵家のタウンハウスは一等地から少し離れている分、ショッピング街からは近い。隣近所は付き合いのある伯爵家である。
子爵は外に居たお隣さんの執事などにも気安く挨拶し、アマルを紹介した。
アマルは目にする全てが珍しく、お隣の伯爵家の執事の洒落た口ひげにさえ興味津々である。
次の日は馬車旅の疲れをとる為に、2人は皇都の邸でゆっくり過ごした。
「お父様、アマルも皇城に行きたいです」
「アマちゃん、それは無理だよ」
「わたし絶対皇后様とマブダチになれますよ?」
「・・・本当に、どこから来るの? その自信は」
大事な会議があるため、子爵はもう出なければいけない。
「会議が終わったら、皇城の庭園にお父さんが連れて行ってあげるから。それまでは皇都で遊んでなさい。アルタンとバイラムにお土産買って来たら?」
そう言って仕事に向かった子爵の背に向けて、アマルは思いっきりふくれっ面を送った。
「来て早々にお土産買う人間がどこに居るのよ」
結局ショッピングに向ったアマルは、皇都に来て早々に、母親とアルタン、そして愛するバイラムにお土産を買ったのであった。
「はぁ~あ。お父様、忘れ物しないかな? そうしたら私が皇城に忘れ物を届けに行って、そこで皇后様と友達になれるのに」
アマルのそんな呟きを聞いた執事長は苦笑を漏らした。
「そんなにガッカリなさらずとも、旦那様の皇城でのお仕事は5日もすれば終わります。その後は社交がありますが、その間に皇城の庭園に連れて行ってくれますよ」
「・・・それじゃぁ遅いのよ」
アマルの呟きにキョトンとする執事長。
「遅いとは?」
「今皇后様と仲良くなったら、領地に帰るまで何度もお城に遊びに行けるでしょ? でも帰る直前にお城に連れて行かれたら、せっかく仲良くなっても、もう遊びに行ける日が無いかもしれないでしょう?」
アマルの回答に、執事長は子爵と同じ事を思った。
(どこから来るんだ、その自信は・・・)
*****
次の日、子爵は忘れ物をした。アマルにとても都合の良いタイミングで。
子爵は今日必要なその書類を、昨日いの一番に鞄に入れたから、自分が大事な書類を忘れた事にショックを受けていた。それはそうだろう。
昨日のアマルの呟きを聞いていた執事長が子爵の傍にいれば、彼はここまで落ち込む事は無かっただろうに。
(もう年かな・・・?)
子爵は少し悲しくなりながらも伝言係に、自分の邸に行って執事長に書類を持って来てもらう様頼んだのであった。
そしてその伝言を受けた執事長の横で、いつでも皇城行ける様、余所行きの服にお気に入りのポシェットを斜め掛けしたアマルが、満面の笑みでスタンバイしていたのであった。
皇城に着いたアマルは、騎士と侍女を引き連れて父親に書類を渡すというミッションをコンプリートした。
執事長に伝言を頼んだ子爵であったが、皇城に行きたがっていたアマルを思い出し、嫌な予感がしていた。そして的中した。嫌な予感とは当たる物である。
「フラフラ寄り道しないで、真っ直ぐに帰りなさいよ」
「はい」
「庭園は後日連れてきてあげるから、今日行ってはダメだよ」
「はい」
良い返事である。
普段、人生2周目の様なアマルの行動は、親としては安心出来る程のしっかりとしたものである。
しかし何故か子爵は不安であった。
物凄く、不安であった。
「アマちゃん?」
「はい」
いつも何が入っているのか不思議になる程パンパンに膨れ上がったポシェットの紐の部分を、キュッと掴んで小首をかしげて返事をするアマルは、とても子供らしくて可愛い。親の欲目抜きで可愛い。
だから子爵は不安を胸に抱きつつも、アマルが子爵が指示した通りに侍女と騎士を連れている事に背中を押されて、アマルをそのまま帰した。
城の誰かに馬車止めまで送るようお願いする事もなく。
それが誤りであったと後で気付いても、もう遅いのである。
アマルは、来た道とは違う場所を通って歩く。
迷いなく進むお嬢様に気づいた侍女は、アマルに声を掛けた。先ほど子爵に真っ直ぐ帰るよう言われていたからだ。
「お嬢様、さっきと帰り道が違いませんか?」
「大丈夫よ、お城の地図は全部入っているもの」
そう言ってアマルは自分のこめかみ当たりをトントンと人差し指で差した。
アマルが小さな頃から側にいるこの侍女は、アマルが見聞きした事のほとんどを覚えている事を知っていた。文字も一度で全て覚え、誰がいつどんな話をしたのか、ほとんど覚えていた。ほとんどというのは、アマルにとって興味の無い事は覚えていないからだ。
だから侍女は、この道は来た道とは違うが、帰りの道であるのだと信じた。
不思議なものである。
アマルの顔は、美人ではない。
くりくりの瞳と小さくて低い鼻は、カヤ帝国の美人の定義からかけ離れている。
しかしその顔はとても愛嬌がある。
そして人とは、愛らしい子供は素直で純粋だと思い込むのだ。華やかな美人が冷たい人間であると思い込むように。
先ほど子爵に真っ直ぐに帰るように言われたアマルが、1分もしない内に約束を破るとは思いもしないのだ。
10年以上もアマルを見て来た侍女であっても。
人間の不思議である。
そうしてアマルが道とは言えない場所を通って辿り着いた先にいるのは、同年代の子女達が集まる皇城のお茶会であった。
侍女の開いた口が塞がらなかったのは言うまでもない。
しかも正規ルートでは無い場所から現れたアマルに、お茶会を警護していた皇城の騎士から待ったがかかる。
「ユルディズ子爵家の長女、アマルでございます」
高位貴族と見まがう程の完璧なカーテシー。
「お父様のせいでお茶会に遅れてしまった上に、迷って変な所から来てしまいました」
てへっと聞こえそうな困った笑顔で首を傾げるアマル。
その愛らしい姿は、やはり騎士には嘘を言っている様には見えない。
しかもユルディズ子爵家と言えば、低位貴族ではあるが潤沢な資産を持っている。つまり皇子殿下の婚約者候補を探すこのお茶会に、参加していても何ら不思議では無い。
アマルが魔力を持っていない事をしらない騎士は、アマルを通してしまった。
しかし侍女と騎士は許されない。
「このお茶会に参加できるのはお嬢様のみです。侍女の方と騎士の方は控室でお待ちください」
「「え? え?」」
「じゃぁ、行ってくるわね」
愛らしく手を振って走っていくお嬢様を見送るしか出来なかった侍女と騎士。
子爵に伝えるにも、主人は既に会議に参加してしまって伝える事が出来ない。
「「えええ~~~~~!!!」」
確実に侍女と騎士の胃に穴を開けたアマル。恐ろしい少女である。
お茶会に辿り着いたアマルは辺りをキョロキョロと見渡した。
突然現れたアマルに気付いた貴族令嬢達は、見定めるようにアマルを上から下まで注視する。しかし余所行き用のドレスを着たアマルであるが、皇城に行くには不十分なドレスであった。しかも年季の入った田舎臭いポシェットを斜め掛けにしている。
美の定義からかけ離れたアマルに、少女達はすぐに興味を失った。彼女たちはここでやらなければならない事があるからだ。
そんな周りの状況も一切気にせず、アマルは辺りを見渡した。
アマルのいる場所から遠く離れたテーブルに、一際大きな密集地帯がある。そこの中心にいるのは、くすんだ金髪に夜空色の少年。この国の第一皇子だ。
しかしアマルのいる場所からは、少年の瞳が夜空色なのか黒色なのか見分けがつかない。
アマルは少年から興味を失い、近くにあったビュッフェコーナーに向った。クッキーを1つ手に取った。高級なバターをたっぷり使ったクッキーは、領地で食べる物よりも断然に美味しかった。アマルは母親やアルタン、バイラムにも食べさせてあげたくて、もう1つクッキーを取ってポシェットに入れようとしたが、既にポシェットはパンパンである。
クッキーを持ち帰る事を断念したアマルは、残りのクッキーを食べながら”夜空色”について考えていた。
どうして黒色ではなく、紺色でもなく、”夜空色”なのか。
(高貴な人の色はそうやっておしゃれな言い方をするのかな?)
少しずつ第一皇子に近づいて、瞳の色を見ようとするアマル。色の表現方法が気に入らないらしい。
アマルの瞳と髪の色は茶色である。他の表現は、無い。
(高貴な人が茶色の瞳を持ってたら、別の言い方するのかな?・・・枯れ葉色?)
全然おしゃれでは無い。
そんなくだらない事を考えながら、第一皇子の瞳の色を見ようと目を凝らしていたアマルは、第一皇子の様子がおかしいことに気付いた。
どんどん顔が真っ青になり、呼吸が荒く、喉を押さえだした。
そうしてもがき苦しみながら地面に転がる。
「「「キャーーー!!!」」」
突然の事に驚いた子供達が叫ぶ中、アマルは小さな体を活かして人垣を掻き分け、皇子の傍に膝を付いた。
皇子の侍従らしき男が大きな声で指示を出す。
「侍医と魔法士を呼べ! 殿下! 殿下!!!」
皇子に声を掛けながら周りに指示を出す侍従は、皇子の傍で膝を付くアマルに全く気付かなかった。それをいい事に、アマルは皇子の状態を見定める。
そして何かに気付いたアマルはポシェットから大量の薬草を取り出した。そこでようやくアマルの存在に気付いた侍従は、少女の行動の奇異さに驚いて、声を掛けそびれた。
ポシェットから大量の雑草をぶちまけた少女が、そこからいくつかを取り上げると、辺りを見渡し、そしていきなり自分の口に入れて噛みだしたのだ。
それからはあっと言う間だった。
誰もが動けずに居る中、アマルは薬草を噛みながら皇子に近づき、そして彼の鼻を塞いで顎を押さえて口を開かせたかと思うと、そのまま口の中のかみ砕いた薬草を口づけをしながら皇子の口の中に押し込んだのだ。
「なっ!」
侍従が金縛りから解放されて声を上げた時、遠くから魔法士が来るのが見えた。
アマルは、皇子が口の中の薬草を吐き出してしまわないように鼻と口を押さえると、皇子が嚥下するのが見えた。
それを確認したアマルは魔法士に大声を出す。
「魔法士さんですか? 至急治癒魔法をお願いします!」
見知らぬ少女に指示を出された皇城の魔法士は、皇子と侍従を交互に見ながら「え?」「え?」と、右往左往する。
その間にも、皇子の呼吸は収まってきた。しかし顔色は悪いままだ。
「毒消しの薬草を飲ませましたが、破壊された内臓はスーパー薬草を持っても元には戻せません! 早く治癒をお願いします!」
「は、はい!」
アマルの覇気に押されて、12歳の少女の指示に従い魔法士が治癒魔法をかけると、皇子の顔色は元に戻っていった。
そうして集まった皇城の騎士によって皇子は運ばれていったが、侍従はまだ回らない頭でアマルに話しかけた。
「あ、あなた、帝国の尊い小さな獅子に、口の中の物を飲み込ませましたね?」
呆然と告げたその内容に、周りで固まっていた子供達も我に返り、顔を真っ赤にする。
「あ、はい。しょうがないです。人命救助ですから」
あっけらかんと返事をするアマルを、信じられないという表情で見つめる貴族子女達。
「しょ、しょうがないって、あ、あなた。この国の宝である小さな獅子のせ、接吻を!」
侍従にそう言われて、アマルは少しだけ頬を染めた。
「あ、はい。こんな事もあろうかと思って、だけど初めては愛する人と、こんな人命救助じゃなく愛を込めてしたかったから。もう愛するバイラムとの初チウは済ませてあります。
・・・うふふ。イヤン」
真っ赤なほっぺに手を添えて、イヤイヤをするようにアマルは顔を振った。
(そっちじゃねぇ~~~!!!)
侍従の心の叫びは、きっとその場にいる全員の総意であったことであろう。




