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エピローグ:霊獣を追う人たち(狼)

     〇


 ぼくとセアカは、月狼ルナウルフと一緒に新しい保護施設に到着した。

 そこは人里から随分と離れたところにある、旧軍事施設だった。

 少し前まで、霊獣の力を軍事利用するための研究を行い〈霊園〉と呼ばれていた建物。現在は霊獣保護のための施設へと様変わりしていた。

 ぼくたちがそこに着くと、白髪交じりの霊獣保護官さんが、人の好さそうな笑顔で出迎えてくれた。


「遠くからよく来たね。僕はここの所長ってことになってる〈ハルキ・シェルター〉だ。どうぞよろしく。さっそくだけれど、月狼を見せてもらえるかい?」

「はっ、はい」


 ぼくが月狼の檻を乗せた台車に案内すると、彼は目を輝かせて檻の前に座る。

 檻の中の月狼は「ぐるるるるる」と唸り声を上げたが、彼はお構いなしで見つめ続けていた。うっとりした表情で、ちょっと怖い。


「実に美しいね。さぁ、()()()()()()()()


 彼はそう言うと、謎の方法で檻の鍵を開けて、月狼を本当に出してしまった。

 解放された月狼は、ぼくたちの横を擦り抜けて、保護施設の裏手に広がる森に向かって駆け出した。そりゃそうだ。


 月狼は森に入って、完全に見えなくなった。


 ぼくもセアカも、思わず「「えええええ!!」」と叫んでいた。


 けれど、ハルキと名乗った男性は、「うん、元気がいいなぁ。聞いていた通り、怪我の回復も順調そうだ」とか、呑気に笑っている。いやいやいや。


「どどど、どうするんですか逃げちゃいましたよ!?」

「ああ、大丈夫。この保護区内にいる限り、勝手に外には出られないよ。どこにいるのかも、彼女にならお見通しだ」

「か、彼女……?」

「そっ、うちの本当の所長――いや、女王様かな?」


 ハルキさんが月狼の消えた方向に顔を向けた。

 彼の視線を追うと、そこには真っ白な霊獣がいる。背筋が一瞬でひりついた。その姿を視認した瞬間、その場に跪きたいような畏敬の念が沸き上がった。


 それは、白い毛並みを持っていて、額に一本の角を持つ、馬によく似た霊獣。


 最高の知名度を誇る、本物の伝説だ。


「あれは、一角獣ユニコーンッ……!?」

「その通り、ここは最高位の霊獣である彼女の魔界だ。この保護区の中では、彼女の意に沿わないことはできないようになっている。ここはある意味、人間社会から完全に隔離された究極の檻で、霊獣たちにとっての楽園なのさ。無論、主の許しを得られたら――だけどね」

「あら、私はそう話のわからない霊獣ではなくてよ?」


 ぼくとセアカは、開いた口が塞がらない。

 一角獣が喋っていた。

 いつの間にか、音もなく、魔法のように、ぼくたちのすぐ後ろに立っていた。

 そして、人間の女性の姿に変身している。

 白いローブに身を包んだ、神々しい輝きを放つ女神じみた女性だ。その溢れ出る魔力のせいか、空気がキラキラと輝いて見える。


 ぼくとセアカは、目玉が飛び出るかと思った。


 あまりのことに声が出ない。


「この人狼たちときたら、なんて顔をしているのかしら」


 その一角獣の女性は、呆れたような顔で笑った。


     〇


 月狼の引き渡しが終わり、一通りの手続きが終わった後。

 ぼくとハルキさんは、月狼が入っていった森の中にいた。最後にもう一度、彼女を見てから帰ろうと思って、森に入ったのが二十分ほど前のこと。

 セアカは「あたしは疲れてんの。森林浴なら暇なときにするわ」と施設の方に残っていた。だからここには、ぼくとハルキさんしかいない。

 ハルキさんはすっかり慣れた様子で、月狼の残したわずかな痕跡を追っていく。そして、世間話のような調子でこちらに話しかけてきた。


「そういえば、ウルフくんはどうする?」

「どうする、と言うのは?」

「いやね、人間社会に戻るか、ここに残るか、どっちにするのかな、という意味」

「えっ?」


 ぼくは思いがけない提案に足が止まる。ハルキさんは「ああうん、別に珍しいことでもないんだよ」と軽い調子で続けた。


「実際、多くの高位霊獣たちはすでに人間社会を見限っている。自分の魔界に引き上げて、彼らにとって最適な環境で、その一生を終えるんだ。

 ドラゴン、グリフォン、フェニックス――これらの高位霊獣たちが人前に現れなくなって、どれくらいの年月が経つと思う。うちの一角獣は変わり者だよ。人間の社会はもう、彼らと相容れないものに変わってしまっているんだ。


 キミだって、多くのことに縛られているだろう。


 例えば、キミが衛生官であるのは、その首輪を使う〈許可〉が必要だからだ。杖の使用許可を得るために、あの子と一緒に衛生局に所属している。そうする以外の選択肢がないと思っている。


 だけど、本当はもっと自由でいいんだ。


 それを可能にするだけの力が、キミにはある。


 本当のキミは、一国一城どころか、自分のだけの〈世界〉を持つ正真正銘の魔法使いなんだぜ。人間の都合に縛られる理由は、これっぽっちもないんだ。キミはまだ力を制御し切れていないようだけれど、一角獣に教わればすぐに慣れるだろう。

 キミが衛生官である必要はないんだ。キミは同胞たちを傷つけなくていい。霊獣たちを狩らなくてもいい選択肢が、キミにはある。僕はそのことを伝えたい」


 声の調子は軽いけれど、彼の双眸は真剣そのものだった。

 彼は、本気で憤っているのだ。

 人間の都合で、ぼくたち霊獣が縛られていることを。人のルールが、霊獣たちを殺してしまう現実を。だから彼は、霊獣保護官の道を選んだんだろう。


 ぼくは夢想する――ぼくだけの世界を。


 殺していい命も、殺さなくていい命もない。

 命の線引きがない世界。

 多くの命を守るために、少数の犠牲を強いることのない世界。

 ハンサ・トリガーのような人間がいない世界。

 ぼくが――何の制約もなく、生きていていい世界。

 人間社会とは、一切の関わりを捨てた世界。


 それはたぶん、ぼくしかいない世界。

 

 そういう理想郷。


「ぼくは――――」


 ぼくが森の中で立ち尽くしていると、ペロペロと指先を舐める存在がいた。

 あの月狼だ。

 リュウさんが、衛生局のみなさんが、もっと多くの人たちが、必死に手を伸ばしたから救えた命だ。


 手の届くところにいたから、救えた命。


 そして、手を伸ばせる距離にいる人たちだけが、救える命だ。


 誰の手も届かないところにいちゃ、ぼくは誰にも手を伸ばせない。


「ぼくは、やっぱり戻ります」


 ハルキさんは「そうかい」と残念がるでもなく、どこか納得した様子で頷いてくれた。

 それから、ぼくは月狼に最後のお別れを告げて森を出た。

 すると、上半身裸のセアカが満面の笑みで突進&ダイブしてきた。あまりにも意味不明過ぎて、ぼくは咄嗟にキャッチしたけど、やっぱり意味不明だった。

 

 これはどういう状況なんだ。


 セアカは上半身裸で妙に興奮しながら、ぼくの腕の中でぴょんぴょんと何度も跳ねている。

 すごい嬉しそう。幻覚かも知れない。


「ねぇねぇ、ちょっと見てよ、見て見て、ウルフ!!」

「いや、いろいろ見ちゃダメでしょ! というか見えちゃダメでしょ! 年頃の女の子がそんな格好で走り回っちゃダメだよ!!!」

「今さら何言ってんのよ。ガキのころからお互いの裸なんて見飽きてんでしょ?」

「この間はおんぶだって渋ったくせに……」

「あのときはあのとき、今は今よ。というか、それより見てよ、ほ・ら・ほ・ら!!!」


 セアカがクルッと後ろを向いた。嬉しそうに両手を開いて言う。


「じゃじゃ~ん!!」


 そこには、真っ白な背中があった。それだけ。


 何もない普通の背中だ。


 傷一つない、〈善き隣人〉の爪跡のない背中がそこにあった。


 ぼくはそれを見て、呆然と立ち尽くした。

 一角獣を見つけた瞬間より驚いていたかも知れない。だってほら、セアカの背中からあの忌まわしい傷跡が消えているんだ。

 彼女がずっと気にしていて、気にしていることをぼくに隠していた、一生背負うしかなかったあの傷が、綺麗さっぱりなくなっていたんだ。


「どう? あの一角獣の人がただで治してくれたの!!」

「…………グスン」

「って、なにやだ。ウルフ、アンタ泣いてんの? 大袈裟ねぇ!」

「大袈裟じゃない! 大袈裟じゃないよ!!」


 ぼくは思わずセアカに抱き着いて、その後はもうわんわん泣いてしまった。嬉しかったんだ。上手く言葉にできないけれど、救われた気がしたんだ。

 セアカは呆れたように笑って、「はいはい、アンタは相変わらず泣き虫ね」と赤ん坊をあやすみたいにぼくの背中を撫でた。

 撫でながら、まるでぼくのお姉さんみたいな顔をして、セアカは笑った。


「もう傷つけたくないから、あたしの隣から勝手に離れんじゃないわよ?」


 ぼくはぐずぐずに泣きながら、何度も、何度でも頷いた。



〈完〉

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