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モンスター・チェイサー ―ヴィクトリア朝ロンドンでモンスターを追う人たち―  作者: 書店ゾンビ
レポート3:人狼〈バージニアン〉
30/33

第十話 決着

     〇


 下水道でみんなに散々迷惑を掛けた後のこと。

 ぼくは多頭蛇ヒュドラー事件のときにお世話になった病院で、ベッドに括り付けられてた。


 処分保留――その上での治療と拘束。


 だから、その後の事件の顛末を、ぼくは病院のベッドの上で聞くことになった。

 スワンさんが、見舞いの品のリンゴをクルクルと剥きながら、スラスラと調べたことを教えてくれた。


「まぁ、というわけで、下水道で見つかった〈ハンサ・トリガー〉とかいう名前の人は生きたまま捕まったってさ。密輸やら何やらの罪状で起訴、余罪から何からみっちり取調中って話よ。

 それと、衛生局にいる月狼ルナウルフに関しては、リュウたちが必死になって動いてる。新しい保護管理計画とか、適性な予算配分の資料とか――あの子を守るためのいろいろな書類を作ってる。やっぱり難しいみたいだけど、リュウは『頑張る』って言ってたから、可能な手は全部試しているはずよ。あの子がああ言って、半端に終わらせるはずないから」


 リュウさんについて語るとき、彼女はとても優しげで、気遣わしげだった。


「はい剥けた。口開けて」


 そう言って笑うと、腕を縛られているぼくに「はい、あ~ん」とリンゴを差し出してくれる。ぼくはもう慣れた感覚で、スワンさんからリンゴを受け取った。

 しゃりしゃりと咀嚼して、すっかり食べ終えてから質問する。


「その、ぼくの処分は、結局どうなりそうですか?」

「う~ん。たぶん期間付きの謹慎と減俸くらいかな。結局、ウルフくんは誰も殺してなかったわけだし、杖の不正利用は厳罰っていっても、まぁ、これくらいよ」

「えっ、でも、ぼくはあの姿に戻ったのに……」

「ああそれね。()()()()()()()()()()()()()


 ぼくは目を丸くする。どういうこと?


「なかったことに?」

「うん。ミッチーがね、『高位霊獣が顕現したのだとして、棄獣課程度の装備で対処できるだなんて、本当に思っているのですか?』とかなんとか、聖騎士局を丸め込んじゃったの。たぶん裏ではもっとえげつない取引してると思うんだけど、とにもかくにもそういうわけで、()()()()()()()()()()()()()


 スワンさんの話を聞いて、ぼくは戸惑った。

 そして、ズルいと思った。

 ミヅチさんがじゃない。ぼくが――だ。


「そんなの……いいんでしょうか?」

「何が?」

「だって、ぼくだけが……他の霊獣たちだったら、きっと……」


 そう、他の霊獣たちはもっと簡単に殺されてしまう。もっと簡単に〈棄獣〉として、この街のルールに殺されている。


 だったら、ぼくだってそのルールに従うべきじゃないのか?


 スワンさんは自分でもリンゴを一つ摘まみながら、ベッドに腰掛けて足をぷらぷらと動かす。「う~ん」と考える素振りをしてから、ぽつりと零した。


「良いか、悪いかなんて難しいこと、私にはわかんないけど。でもさ、手の届く範囲内のものくらい守りたいって、誰だって思うじゃない? 今回、ウルフくんはたまたま手の届く範囲内にいたのよ。救えない命があるからって、救える命まで見捨ててしまいたくないじゃない?」


 スワンさんはぼくの頭を撫でながら、優しく微笑んで続けた。


「でもそうね。いつの日か、どこまでも手が届くようになるといいわよね。そのために、あの子だって手を伸ばしているのだから」


 そのときだ。

 病室のドアが開いて、不機嫌そうな顔が飛び出した。その不機嫌さんは、スワンさんに「こんにちは」って頭を下げると、ぼくの頭をゴツンと殴った。痛い。


「愚痴ならあたしが付き合うって言ったでしょ!! なんなのアンタ、そんなに歳上が好きなわけ!? どんだけ歳上が好きなわけ!!?」


 とよくわからない怒り方をして、ぼくの頬を引っ張る。痛い痛い。

 スワンさんはお腹を抱えて笑っていた。

 セアカ・バージニアンは、どこから話を盗み聞きしていたのか知らないけれど、すっかり頭に血を上らせてぼくを叱り飛ばした。


「アンタは考え方が根暗すぎんのよ!! あたしが生きろってんだから黙って呼吸してりゃいいのよわかった!!?」

「いや、それはどんな暴論なんだ」

「うるさいうるさいうるさい! いいからアンタはその不健全な死にたがりをとっと治しなさい! 治さなきゃあたしが絞め殺すからね!! わかった!!?」


 真面目に議論していると、真っ当な会話にならない。

 いつものセアカだ。そして、ぼくは彼女に抵抗されると、強く出られないのだ。だからもうしばらくは、彼女の隣で生きていようと思う。


 これが、ぼくにとっての月狼事件の終わり。


 ウルフ・バージニアンが、衛生官として語れるのはここまでだ。


     ◇


 ウルフを下水道で救出した夜のことだ。

 月狼とは別件で、もう一つの決着が訪れようとしていた。それはこの街の外れの、細い入り組んだ路地の先、厳重に隠匿されていたとある魔術師の工房で起きていた。


「……おや、これはこれは夜分遅くのご来客どなたかと思えば邪眼卿ではございませんか。今宵は一体どのようにしてこちらに……?」


 様々な霊獣の臓器が並べられた、異様な地下室。

 ジーン・クリスパーダは、何の予兆もなく訪れたミヅチ・ウィンドミルを見て、混乱していた。表情こそ取り繕っているが、ミヅチにはその動揺が見て取れた。


 ミヅチは興味のない顔で工房を一瞥し、「もうわかりましたか?」と問い返した。クリスパーダの顔には脂汗が滲んでいる。ミヅチに指摘された通り、すべてを理解していた。理解したからこそ、自分が追い込まれていることも悟っていた。


 ミヅチは冷めた右眼で見下して言った。


「タネさえ割れてしまえば、実に下らない」


 ミヅチは右手に握っているもの放り投げる。それはほとんど炭化した月狼の眼球だった。下水道で死亡していた月狼から、ウルフ救出後に摘出したものだ。


 そして、それはクリスパーダが隠し持っている杖の素材でもあった。


 人の心を読み取る魔法〈共感シンパシー〉を使うための杖――クリスパーダが、ミヅチの心を読んでいるかのように動けた理由だ。

 なんのことはない。

 稀少な杖の力を借りて、本当に盗み見ていただけなのだ。


 クリスパーダの持つ杖〈月狼の瞳(ルナ・アイズ)〉。


 それは保護区から失われた最初の月狼〈アベル〉の成れの果てだ。ハンサ・トリガーの密輸を経由して、幼い月狼はクリスパーダの手に渡っていた。月狼〈アダム〉の牙はついぞこの犯人に届かなかったが、その亡骸はミヅチを導いた。


 杖追跡ワンドストーカー。同じ素材を使われた杖を追う風車の魔術は、父の亡骸から子どもの成れの果てを見つけ出していた。


 アダムの復讐は、ミヅチを介すことで成就しようとしている。


「落とし前を付けさせてもらおうか、()()()()()


 ミヅチが手ぶらで宣言する。

 クリスパーダは張り付いた笑顔に怒気を滲ませて叫んだ。


「いくらタネが割れようと、思考を読める優位に変わりはな――――」


 ミヅチの拳が、心を読んでいるはずのクリスパーダを殴り飛ばした。

 クリスパーダは自分が殴られるなんて思っていたなかったように吹き飛んで、驚愕の表情で立ち上がる。「い、痛いッ!?」と叫んで、情けない言葉を吐き出した。


「なんで読めないのッッッ!!?」


 しかし、ミヅチは何も答えない。


 そして、その思考はやはり、クリスパーダには読めなかった。


 クリスパーダは考える。何が起きているのか。〈桃の灰〉を使われても、中位霊獣である月狼の魔法は破れないはずだ。

 では、他の理由があるのだ。

 そこで思い至る。〈共感〉の魔術は、思考や感覚が近いもの同士でなければ上手く発動しない。月狼の感覚を共有できたのが、ウルフだけだったように。人間が使う場合も、相手が人間としての感覚を持っていなければ、読み取ることはできない。


 ミヅチは確かに人間だ。


 だが、魔術師は杖を使用する際、可能な限りもとになった霊獣の環世界に近づくよう薬や呪文で、自分の感覚を狂わせる。もしも、それと同じ要領で感覚を人間からかけ離れたものに変えていたら、共感は発動しないかもしれない。

 

 とはいえ、普通は別の生き物の感覚を完全に理解・再現するなど不可能だ。少なくとも、クリスパーダにそのような技術はない。何年かかろうと不可能だ。


 けれど、ミヅチは、ウィンドミルの家系は――超一流の魔術師だ。


「可能だというのか、お前には……?」


 クリスパーダの顔が、劣等感や憤りでぐちゃぐちゃに歪んだ。バネ足の杖を燦めかせて、猛然とミヅチに襲い掛かった。


「馬鹿にしやがって、七光りの分際でええあああッッッ!!!!」

「ぐるるるるるらあああああああああッッ!!!」


 ミヅチが獣の咆哮を上げて迎え撃った。

 野人のごとき連撃が、棄獣課で鍛えられた確かな身体から放たれる。心を読む魔術に頼り切りだった男は、易々と殴り落とされて、その痩せ細った貧弱な身体に拳をねじ込まれた。


「うぐっ、ああ、痛い痛い痛い、痛いよぉ、酷いよぉ……!!」


 クリスパーダはぐじゅぐじゅに泣き崩れて、殴られた頬と脇腹を押さえる。

 ミヅチが一歩近づくと「ひぃッッ!」と悲鳴を上げて跳び退った。手近なものを手当たり次第に投げつける。怯える子どものような豹変ぶりだ。


「もう嫌ッ、逃げる、逃げさせてネッッッ!!」


 クリスパーダは、ミヅチを無視して、高く跳び上がった。

 そして、いつの間にか天井に張り巡らされていたロープに絡まって、宙づりになった。

 その姿はさながら、蜘蛛の巣に引っ掛かった蛾のようである。

 ミヅチが「ふぅ」と息を吐くと、彼の表情に人間味が戻った。


「うちの課には、捕縄術の達人がいてね、これはその技術だ。お前に跳び回られるのは鬱陶しいからね。先んじて、罠を張らせてもらった」


 ミヅチはゆっくりとクリスパーダに近づく。その右眼は、ゴミかクズでも見るような無関心さで、三流魔術師の無様を眺めていた。


 そして、いつの間にか、その左手には黒い杖が握られている。


 クリスパーダは逆さづりの状態でバタバタと藻掻く。どうしても逃れられないと察した瞬間、ふと強気な顔で笑った。


「だだ、だが、あんたは俺を殺せないはずだ! そうだろ? 杖の不正使用――それも殺人をしたとあちゃあああ、あんた自身が聖騎士局に――親父様の部下どもにぶっ殺されちまうからな!!」

「そうだな。俺が殺ったと、誰か一人でも証明できればな」

「あ、あああん?」

「アンタ、ウィンドミルが何で有名になったのか、忘れてないか?」


 ――証明不能な殺人魔術。


 クリスパーダは思い出して息を呑む。本気か確かめようにも、ミヅチの思考は黒く塗り潰されていた。何を考えているのか、わかるはずもない。

 

 真っ黒な右眼で見据えながら、彼の詠唱が始まった。


()()湿()()()()()()()


「嫌だ……」


()()()()()()()()


「嫌だ、嫌だ、嫌だ」


()()()()()()()


「死にたくない、死にたくない、死にたくない」


()()()


「なんとか言えよ、おいおいおい」


()()()()()()()()()()()()()()()()


「やめろやめろやめろやめてぇぇぇええ!!!」


()()()()()()()()ッッッ」


     ◇


 ミヅチがその地下室から出ると、冷たい夜風が頬を撫でた。

 狭くて薄汚い、街の外れの路地である。そんな場所には似つかわしくない人物が、ぽつんと月明かりを浴びて立っていた。


 古い魔術師の見本のような男だ。


 どこに立っていようと、その王様のよう威厳に変わりはなかった。すべてお見通しのような顔で、そして、杖の力など借りなくともすべてをお見通しだった。


「殺さなかったのだな」


 カイト・ウィンドミルは、自分の息子の顔を見てそう断じた。


「いや、殺したよ」

「つまらん反抗はよせ。貴様のそれは人を殺した顔ではない。私はそれをよく知っている」

「ちっ」


 ミヅチは面白くなかった。だが、確かに殺さなかった。

 詠唱の真似ごとで、ちょっとだけ脅しつけただけだ。まぁ、それでもクリスパーダは意識を失うほどに怖がったけれど。

 ミヅチは自分の父親を見据えて、クリスパーダの工房を指差した。


「アンタの仕事を片付けたんだ。今度はこっちの頼みを聞いてもらう」

「あの人狼のことか。聞いてやる義理はないな」

「ウルフくんを守れるよう、手を貸せ」

「高位霊獣は危険だ。管理ができないのであれば駆除するしかあるまい」

「対価を払う」

「どのような」

「俺が、アンタのもとに戻る」

「…………」


 カイトは、わずかに両眼に力を込めた。ミヅチが自分の夢を捨てる覚悟なのだと悟ったからだ。それほどまでにウルフを守ろうとしている。


 親子の間だからわかる、その決意の重さ。


 人の笑顔のために魔術を使うという、儚い願いだ。


 カイトはその夢を、一度は愚かだと笑った。つまらない反抗期だと。だが、その夢のために、ミヅチは片眼すら捨ててみせた。それ以来、息子の覚悟を笑うことができなくなった。


 その息子が、今度は夢すら捨てようとしている。

 

 カイトは、ひっそりと歯を食い縛り、絞り出すように答えた。


「人を殺せぬ魔術師など、ウィンドミルには不要だ」


 そう言うと、ミヅチの隣を擦り抜ける。


「人狼のことは、少し待て」


 それだけ残して、古い魔術師はクリスパーダの工房へと消えていった。


「ありがとう……」


 ミヅチは、寒空の下でひとり呟いた。






(レポート3:人狼〈バージニアン〉了)


 


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