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モンスター・チェイサー ―ヴィクトリア朝ロンドンでモンスターを追う人たち―  作者: 書店ゾンビ
レポート3:人狼〈バージニアン〉
29/33

第九話 家族

     〇


 幼いころの記憶は、痛みに溢れていた。

 登場人物は、魔女とあたしと一匹の獣。

 舞台は、暗い地下室と、明るい食卓と、清潔なベッド。


 魔女は、定期的に私の皮を剥いだ。


 剥いだら傷薬を塗って、治ったらまた剥いだ。あたしの背中はいつも血だらけで、ぐちゃぐちゃで、痛かった。でも、そうされることに疑問を抱かなかった。だって、ずっとそうだったから。そういうもんだと思ってたんだ。

 それどころか、あたしは皮を剥ぐことを除けば、アイツのことを〈優しいひと〉だと思っていたんだ。その魔女のことを慕っていたんだ。


 まるでそう、母親のように――。


 今思うと反吐が出る。


 獣は地下室にいて、時々吠えたり、唸ったりしていた。


 あたしはいつも、その獣の隣で皮を剥がされた。


 そして、ある日。


 魔女は私に一本の首輪を見せた。「ようやくできたのよ」と笑って。それはあたしの皮で作られた、あの首輪だった。


 高位霊獣を隷属させるためだけのワンド――〈善き隣人(テュール)〉。


 あの美しかった獣を、あたしのごとき姿に貶めた忌まわしい道具だ。


     ◇


 ミヅチとシラコ、そしてセアカは、ウルフを探して下水道の中を走っていた。


 風車の魔術である〈杖追跡ワンドストーカー〉の恩恵だ。


 ウィンドミルの魔術師たちは、杖の素材を媒介にして、同様の素材を使用した杖を追跡することができた。今回の場合で言えば、セアカの皮を媒介にして、セアカの皮で作られた〈善き隣人〉の在処を突き止めたのである。


 三人は、ランタンを手にして薄暗い地下水道を駆け抜ける。


 セアカは、背中の皮を剥がされたばかりで、顔色に血の気がなかった。


 それでも、歯を食い縛って懸命に二人の後ろを走っている。シラコたちには休んでいるように言われたのだが、彼女はそれを固辞したのだ。


 悪い予感がしていた。


 そして、その予感は下水道を走っている途中から、すでに現実のものになった。


「おい、ここから先どうなってんだ……?」


 シラコは、眼前の光景に目を疑った。

 思わず立ち止まって、呆然とその異常事態を眺める。代わり映えのない下水道を走っていたはずなのに、目の前の通路から先で、様子が一変していたのである。


 それは、銀色の草原だった。


 下水道の少し先が、白銀に輝く草原になっていた。キラキラと輝く異質な芝生が壁と床を覆って、眩しいくらいになっている。

 ミヅチは咄嗟に地面に触れて、それが幻覚の類いでないことを確かめた。魔術と魔法の専門家として、その異常事態に答えを出す。


「魔界化が始まっている。高位霊獣による世界への干渉、ウルフくん、首輪を外してしまったのかッ」


 ミヅチは表情を取り繕うことも忘れて、苦悶の表情を浮かべた。

 魔術師である彼は、知っているのだ。首輪を外したウルフはもはや、彼らが携行しているワンド程度では、太刀打ちできない相手だと。


 高位霊獣と化したウルフを止めるには、聖騎士局レベルの杖や聖剣を使う武力集団が必要だ。けれど、聖騎士局に〈容赦〉の二文字はない。


 彼らが介入した時点で、ウルフの死は確定する。


 だから、ミヅチは惑った。どうするべきか。


 だから、セアカは即断した。誰より先に駆け出した。


()()()ッッッ――!!」


 背中の傷口がじゅくじゅくに痛んで、包帯を真っ赤に塗らしながら走った。

 朝から走り回って、棒のようになった足で、蒼白な顔に脂汗を浮かべて、それでも、シラコもミヅチも置き去りにするほど、ひたすらに腕を振って前に進んだ。


 異変がより顕著な方向へ。


 原始的な魔力が吹き荒れる嵐の方角へ。


 自分に何ができるかなんて知らない。でも、何をするべきかは知っていた。


 ただ――守るのだと。





 白銀に輝く広間があった。

 膝丈まで伸びた不可思議な草が、まるで海原のように風に靡いていた。

 そう、地下なのに風が吹いていた。

 天井を埋めるのは、半透明の鉱石たちだ。それがシャンデリアのようにその空間一体を照らしていた。

 地下だというのに、満月の下にいるみたいだった。


 その輝きに満ちた世界の中心に彼はいた。


「ウルフ……」


 セアカが名前を呼ぶ。

 白銀の狼が、むくりと振り返った。

 その巨躯は、伏せている状態の時点でセアカよりも大きい。けれど、正確な大きさは、相対しているセアカにもわからなかった。立ち上がった白銀の狼の輪郭は、ゆらゆらと揺らめいて、彼のスケール感をあやふやにしていた。


 白銀の狼は、魔法のような静かさで、セアカとの距離を一瞬にして詰めた。


 セアカは顔を上向けて、眼前に迫った狼の顎を見た。


 その顎は、セアカを丸呑みするように開かれていた。万物万象を噛み砕く牙は、しかし、寸前でセアカに届かない。金縛りにでもあったかのように、セアカの直前で牙は止まった。


「ウルフっ!」


 ただ、白銀の狼の意志ではなかった。


「動けッ、セアカ・バージニアンッ!」


 ミヅチが、黒い杖〈邪眼イビルアイ〉を構えながら叫んでいた。


     ◇


 シラコが、セアカを押し倒す。

 次の瞬間、セアカのいた場所で巨大な顎が空を切った。

 ミヅチは、〈邪眼〉の拘束が強制的に解除されたのを見て、改めて高位霊獣の規格外な力を実感させられていた。

 

 自分の魔術を強引に引き千切られる手応え。


 こんな経験は、今まであり得なかった。


 ミヅチは白銀の狼から視線を逸らすことなく、セアカに指示を出した。


「セアカさんッ、この近くに〈善き隣人〉があるはずだ! 僕とシラコさんで時間を稼ぐッ、キミは〈善き隣人〉を探して! 彼を止めるにはあれしかなッ――!!!」


 言葉の途中で、ミヅチは口を閉じて大きく飛び退いた。

 その直後、天井から細長い槍のような鉱石が降り注いだ。避けるミヅチを追い立てるよう、頭上の鉱石は次々に襲い掛かる。

 何度か避けながら、ミヅチは〈邪眼〉によって硬化させた右腕で、それらを打ち払った。けれど、注意を天井に逸らした瞬間を狙って、今度は本命の牙が迫る。


「チッ――!」


 呪文の詠唱が間に合わない。

 ミヅチは両腕を硬化させて、正面から狼の顎を受け止めた。腕を支え棒のようにして耐えるが、高位霊獣の牙は、硬化した腕ごとミヅチを噛み砕こうする。牙が制服を切り裂き、皮膚を刻んで、骨を軋ませる。

 ミヅチの頬を獣の熱い吐息が撫でた。

 今にも押し潰されてしまうそうなのを必死に堪える。


「ミヅチぃぃぃいい!!」


 シラコが、電撃を放つ警棒型の杖〈明滅ブリンク〉を叩き込んだ。白いスパークが、狼の横っ面で弾ける。並の中位霊獣なら今の一撃で昏倒していた。


 だが、白銀の狼はわずかに怯むだけだ。


 ミヅチはその隙に顎の間から脱したが、人狼の咬合力をまともに受けたせいで、両腕の感覚が麻痺していた。荒い呼吸を繰り返しながら、だらりと腕をぶら下げる。

 シラコは〈明滅〉の柄頭をスライドさせて、空の蓄電管カートリッジを排出した。そして、すぐに次弾を装填する。

 雷撃を放つには、一発ごとに蓄電管の交換が必要なのだ。連発はできなかった。


「こっちの打撃力が足りてねぇ」


 シラコは、白銀の狼を睨みつけたまま言う。

 ミヅチも、「……はい」と苦しそうに肯定した。

 二人の使用する杖は、どちらかといえば、対象を生きたまま捕獲することに向いた性能をしている。そのため、単純な〈破壊力〉に関して言えば、それほど高いわけではなかった。シラコの〈明滅〉に至っては、あえて威力を抑えてすらいる。


 可能な限り、霊獣を生かして捕まえるための杖。


 それが今回は裏目に出ていた。


 規格外の能力を持つ高位霊獣に対して、彼らの装備では時間稼ぎ以上のことができない。けれど、セアカが首輪を巻き付けるには、少しの時間、あれの動きを止める必要がある。


 打撃力が不足していた。ミヅチにはわかっていたことだ。


 白銀の狼は、悠然とした態度でミヅチとシラコを見下ろしている。その落ち着き払った姿はまるで、彼らが障害たり得ないと看破しているかのようだ。


 絶対強者の風格。その異様な世界の支配者にふさわしい。


 正真正銘の魔法使いを前にして、人間の身体はあまりにも脆弱で、杖の操る魔法は子供騙しの偽物に見えた。格が違う。


 だが、二人の衛生官は膝を折らない。立ち止まることもない。


「見くびってくれるなよ、ウルフくん……」


 片眼の魔術師は、震える左腕を持ち上げると黒い杖を構えた。


     〇


「あった、〈善き隣人(テュール)〉だ……!」


 草原を散々掻き分けて、あたしはようやく〈善き隣人〉を見つけた。


「でも……」


 顔を上げて、目の前で繰り広げられている光景を見る。

 巨大な狼と、二人の衛生官の攻防。

 シラコさんも、ミヅチさんも、本当にすごい人たちだ。

 高位霊獣を相手取って、こんなにも時間を稼げるなんて。彼らの優秀さは、疑いようがない。いや、疑ったことなんてないけれど。


 それでも、人狼との実力差は明白だった。


 二人はすっかり疲労困憊の様子で、肩で息をしていた。制服もボロボロで、紙一重のところで攻撃を凌いでいるような状況だ。

 それに対して、白銀の狼には依然として余裕があった。今のウルフからすれば、この程度のことは児戯に違いない。


 文字通り、生き物としての位階クラスが違う。

 

 あたしは、手の中の〈善き隣人〉を握り締める。この杖を発動させるには、これをウルフの首に押し当てて、いくつかの鍵言葉キーワードを唱えなきゃいけない。そのためには、二人にどうにかウルフの動きを封じてもらわないとダメだ。

 

 ダメなんだけど、でも……。


「そんなこといったって、あんなの無理じゃん……」


 あたしは、首輪を握り締めて立ち尽くす。

 そのときだ。

 鉱石の槍を避けようとしたミヅチさんが、何かに躓いた。銀色の草の下に何かあったらしいのだ。ミヅチさんは足下を見て、その何かに意識を奪われる。「なっ、ハンサ・トリガー!?」と、その対象に呼び掛けていた。


 それがマズかった。


 降り注いだ鉱石の槍が、彼の左手から黒い杖を弾き飛ばした。


 その瞬間、硬化の魔術が解ける。


「――――ッ!!」

「ミヅチッッ!!」


 シラコさんが叫ぶ。

 でも、彼はフォローに入れる距離にいなかった。

 ミヅチさんの目の前で、狼の巨大な口が上下に割れた。月でも太陽でも呑み込んでしまえそうな顎が、無防備なミヅチさんに襲い掛かる。









()()()()()ッ、()()()()()()()ッッッッ!!!」



 





 聞き慣れない声がした。

 その直後、ちょっとあり得ないことが起きた。あたしも、ミヅチさんも、シラコさんも、唖然とした。その光景に度肝を抜かれた。


 だってわけわかんないんだもん。


 リュウ・ライトハウスさんが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 高位霊獣に対して――位階の違う本物の怪物モンスターを相手にして、なんの躊躇いもなく突っ込んで、普通に蹴ったぞ、あの人。

 リュウさんは、事情の説明もないまま、このめちゃくちゃな状況で、さらにめちゃくちゃな最善手を一瞬で叩き出したんだ。

 というか、いつの間にここに来てくれてたの?


「ありがたいけど、でも――危ないッ!」


 あたしは叫ぶ。跳び蹴りのおかげでミヅチさんは助かったけど、人狼の大顎が、今度は着地前のリュウさんを狙う。空中では避けようがない。

 けれど、リュウさんはいつもの冷静な顔を崩さず、腰から銃を――銃型の杖を抜き放ち、流れるように引き金を引いた。


 ――――キィィィィィィィィン!!!! 


 撃たれたのは、高音を奏でる杖〈別れ(ワダーウ)〉だ。

 殺傷能力のない杖。しかし、下手な攻撃より、この爆音は聴力の強化されている人狼に有効だった。白銀の狼が音に竦んで隙を見せる。

 リュウさんの動きに淀みはない。着地と同時に次の行動に移る。


「固めなさいッッ!!」


 リュウさんはよくわからないことを叫んだ後、今度は美しくて凶悪なサマーソルトキックで、人狼の顎を蹴り上げた。


 もはやどっちが人狼ベルセルクなんだかわからない。


 白銀の狼は顎を強く蹴られて、ぐいっと頭を仰け反らした。


()()湿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ッッッ!!」


 ミヅチさんが、黒い杖を拾い上げて唱える。

 先ほどの「固めなさいッッ!!」はミヅチさんに向けての言葉だったんだ。風車の魔術が、白銀の狼の頭を仰け反った状態で固定した。


 そこに今度は、野太い男の笑い声とシラコさんの怒声が響く。


「無理無理無理無理ッ、無理だってんだろ、あほオグロッッッ!!」

「四の五の言わずに決めてこいッ、へたれシラコッッッ!!」


 熊のような体格の衛生官――オグロさんが、シラコさんをぶん投げた。

 泣き言を叫んでいるシラコさんが、頭を仰け反らしている人狼のすぐ真上に放り込まれる。シラコさんは覚悟を決めて、蓄電管を即座に入れ替えた。バリバリと雷光を放つ〈明滅〉を大きく振り被る。


「死んだら恨むぞあほオグロおおおおおッッッッッ!!!」


 打ち込まれた〈明滅〉が、白銀の狼の鼻先で激しくスパークした。すると、今までは平気だったはずの人狼が、膝を折って崩れ落ちた。

 あたしは驚いて、すぐに理解した。どうして今の一撃が効いたのか。


 たぶん、()()()()()()()()()


 無理な姿勢で首を固定していたから、衝撃の逃げ場がなくなっていたんだ。

 普通は当たった際に首を振ったり、身体を曲げたりして衝撃を散らすけれど、今は意図的にそれができないようにしてあった。

 リュウさんが無理な姿勢を作って、ミヅチさんに固定させていたからだ。杖の打撃力が足りないのを見越して、足りない威力を技術で補ったんだ。


 これが〈戦闘チーム〉と渾名される、実動第二班の実力。


 すごい。すごいすごいすごい。


 ホントにすごい!!


 あたしは〈善き隣人〉を握り締めて走る。走りながら、鍵言葉の詠唱を開始した。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――」


 その銀色に輝く毛皮へと、あたしは首輪を押し付けた。

 最後の一節を唱える。


「――()()()()()()()()()()()()


 高位霊獣を縛る杖が、細長い一本のリボンとなって狼の首を囲う。

 それが次第に小さく、小さく、引き絞られていった。

 気づけば、素っ裸のウルフが私に持たれかかってくる。それでお終い。高位霊獣の魔力で魔界化していた下水道も元の姿へと戻っていた。

 ミヅチさんやシラコさんが、周囲の死んだ霊獣たちを見て驚いたりとか、地べたに転がって震えているおっさん(誰あの人?)を捕まえたりしているけれど、あたしは全然興味ない。その辺のことは、優秀な先輩方が上手いことしてくれる。


 だから、あたしは自分の上着をウルフに引っ掛けて、腰を下ろした。


 ウルフも目を覚まして、あたしを見て、ミヅチさんやシラコさんのボロボロ具合を見たりして、くしゃっと顔を歪めた。そして、馬鹿みたいなことを言い出した。


「セアカ、ぼくを駆除してくれ……」


 あたしは雑にウルフの背中を撫でて言う。


「ねぇ、ウルフ、ちょっとこっち見て。あたしさ、今朝からずっとアンタを探し回ってさ、もうすっかり足が棒なわけ。背中も皮を剥がされたばっかりで泣いちゃいたいくらい痛くてさ。さっきまで慣れない大立ち回りとかもやってんの。とにかくマジで疲れてんの、わかる?」


 あたしは、間抜けな顔を――あたしによく似たウルフの顔を見る。

 ああ、ダメだなこいつ。全然わかってない顔だ。

 どんだけ手間のかかるヤツなんだ。くそデカい溜息が出る。


「だからさ、愚痴なら明日付き合ってあげるから、今はちょっと黙りなさい」


 あたしは、馬鹿なことを言う馬鹿の頭を叩いて、大馬鹿な主張を突っぱねた。

 


 


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