第八話 人狼
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目が覚めると、ぼくは檻の中にいた。
満足に手足も伸ばせない状態で、淡いランタンの光に照らされている。ぼくの視線の先には、同じように檻の中に閉じ込められた生き物たちがいた。
その生き物の中には、あの月狼の姿もあった。
衛生局にいる彼女より一回り大きく、檻の中に閉じ込められてなお貶められることのない、雄々しい姿をしていた。
でも、その月狼を隠すように、男の影が遮った。
「お待たせしちゃったね、ウルフ・バージニアンくん」
ハンサ・トリガーだ。月狼の檻の上に腰掛けて、猟銃を杖代わりに両手と顎を乗せていた。その顔には下卑た笑いが浮かんでいる。
その顔に釣られて、ぼくはセアカのように悪態を吐いた。
「そのままうっかり、自分の顎を吹き飛ばしちゃえ……」
「はははっ、相変わらず口の悪い子だ。衛生局は新人教育が不十分なのかな?」
笑いながら、トリガーは猟銃を持ち上げて弾倉を確認する。
ぼくは狭い檻の中から彼を睨み上げた。
「こんなところに霊獣たちを閉じ込めて、貴方は一体何をやっているんだ」
「何をやっているんだと思う?」
「ふざけているのか……?」
「茶目っ気というやつだ。会話は楽しむものだろう?」
どこまで真面目なのかわからない調子でトリガーは言う。猟銃に弾を込めて、うっとりした表情を浮かべた後で、ようやくぼくの質問に答えた。
「ここはちょっとした遊技場だよ」
「こんな迷路みたいなところで、鬼ごっこでもしてたのか?」
「当たってはいないが、遠くもない。私はある男から――まぁ、死んでしまったバザルジェットからなんだが、ここの地図を譲り受けたんだ。失われていたはずの下水道の図面だよ。最初は密輸だのなんだのに利用させてもらっていたんだが、上流階級との付き合いを始めてから、新しい遊びを思いついてね」
「新しい遊びだと……?」
「いい相づちだぞ、ウルフくん。そうだ、その調子だ」
バンッ。
トリガーの猟銃が乾いた声を上げた。
その直後、ぼくの背後で生き物の悲鳴が上がる。何かが撃たれたのだ。その銃声で興奮したのか、周囲の動物たちも一斉に騒ぎ出した。
ぼくが「やめろ!」と叫ぶのと同時だ。もう一度、トリガーは引き金を引いた。
ぼくの背後で、何かの命が事切れた。
獣たちの嘆きが聞こえないのか、トリガーは邪気たっぷりに笑い転げて言った。
「ほら、だから遊びだ。貴族どもが田舎に鹿を撃ちにいくようなものだよ。私はこの場所でもっとスリリングな体験を提供していたわけだ。
わざわざ遠出するまでもなく、この街の地下で、鹿なんかよりよっぽど殺しがいのあるモンスターを狩れるようにした。ここは楽しい狩り場ってわけだ!」
「ふっ、ふざけるなッ!!」
「ふざけてなんかない。私は実に真面目にビジネスをしていたさ。おかげで、商会をここまで大きくできた。それもあの馬鹿とコイツのせいで、全部パァになったがねッッッ!!!」
怒鳴りながら、トリガーが引き金を引いた。何度も引いた。
バン、バン、バン、はい死んだ。
また、ぼくの近くで何かが死んで、死に続けた。
血の臭いと、死の気配が、狭い檻の中に侵食してくる。
トリガーは生き物の死に様を見て溜飲が下がったのか、「ふぅ……」と息を吐いて酒瓶を手に取った。ぐいっと呷って、話を続ける。
「バザルジェットの馬鹿が、この狼に殺されたせいで――まったく厄介なことになってしまった。こいつだよ、こいつ。私のケツの下にいる狼だ。わかるか?」
「その子が、殺した?」
「ああ、そうだよ。そのせいで、私はあの死神のような魔術師にまで目を付けられてしまった。おぞましいことだ」
トリガーは酒瓶を呷る。こんなに不味そうに酒を飲む人は、初めて見たかも知れない。何かから逃げるように、酒瓶を傾けていた。
「本当にやっていられない。知っているかね、キミは。あの眼帯の男の――ウィンドミルの恐ろしさを? 噂通りの怪物ぶりだよ。まるで、この私の、何もかもを見透かすみたいな眼をして……」
「ミヅチさんは、動物を平気で殺すアンタなんかより、よっぽど優しい人だよ」
「あれが優しい? はははっ、面白くない冗談だ。私はね、動物殺しは楽しんでも、人殺しはしないんだ。けどね、あれはどう見ても人殺しの眼だよ。それにね、動物殺しを楽しんでいるのはお互い様だろう、衛生官?」
「ぼくたちは……楽しんでなんかないッ!」
「いやいやいや、そんなはずはないだろう。この間だって、うちの商品で随分と楽しんでくれたじゃないか。くくくっ、街中であんなに派手に吹き飛ばしてさぁ!」
「なんの話を――――」
そう言いかけて、思い至った。
下水道に現れて、その後、街中で駆除された中位霊獣がいる。
オグロさんとリュウさんが倒した、あの多頭蛇だ。
あれもここにいたのか。
ここから逃げ出した霊獣だったのか。
トリガーは、ぼくが思い至ったのを表情から読み取っていた。
にやり、と白い歯を見せて言う。
「まったく、実に楽しそうに殺してくれたものだよ。あのお嬢さんからも、本当なら料金をいただかないとなぁぁぁあああ!!」
「貴様ぁぁぁぁあああッッッ!!」
ぼくの脳裏に、リュウさんの言葉が浮かぶ。
『掛ける言葉を探しています、ずっと』
『楽しいと感じたことは、一度もありません』
引き金を引くとき、いつだって掛ける言葉を探している彼女。一度だって、この仕事を楽しいと感じたことのない、あの強くて優しい女性のことを思う。
こんなクズ野郎と同じじゃない。
目の前のクズ野郎は、檻の中のぼくを見て、ゲラゲラと下品に笑い転げた。
「はははっ、実に小気味いい声で鳴いてくれるじゃあないか。ああ、ああああ、おかげで最後に少しだけ、私の気も晴れたというものだよ」
「最後だって?」
「ああ、私はこの国を出る。貿易で培った人脈は、この国でしか活かせないものではないからね。まぁ、花の都にでも逃げて、再起を図るとするさ」
「お前ぇ、逃げるのかッ……」
「そりゃ逃げるよ。風車の魔術師は怖いからね。はぁ、よっと」
トリガーは、月狼の檻から飛び降りた。
だらりと腕を垂らして、猟銃の銃口を雑に月狼に向ける。
アイツの指先が、引き金にかかった。
アイツは恍惚とした笑みを浮かべて、ぼくに視線を寄越す。
ぼくはあらん限りの力を込めて叫んだ。泣き叫んだ。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッッ!!!!」
「こんなに楽しいこと、やめられっかよ」
乾いた銃声が、月狼の額を貫いた。
月狼は――死ぬ瞬間の痛みを、怒りを、憎悪を、焼けるような情動のすべてを、ぼくに〈共感〉してくれた。
その鋭い牙で、トリガーの喉笛を喰らい潰すビジョンを。
彼の最期の望みを、ぼくに託して死んでいった。
「あははははっはははっはっはは、次は貴様だぞ、ウルフ・バージニアン!! 私は知っているのだからなぁッ、貴様の正体を!! 人間もどきの人狼風情が、人がましく喋るんじゃああああないッッッ!!」
トリガーが、猟銃をこちらに向けた。
その瞬間、ぼくは〈善き隣人〉を最後まで引き抜いた。
ぼくを〈ウルフ・バージニアン〉たらしめている戒めを――セアカの皮で作られた特殊な杖を外して、ぼくは完全な人狼になる。
「ぐるるるるるるるるがががががががあああああああああ――ッッッ!!!!」
暴力の奔流。認知の変容。身体の変貌。
鉄製の檻など、二秒と保たずに崩壊する。
膨れあがる原始的な魔力の嵐が、圧倒的な暴力と化して吹き荒れた。周囲の人間がどうなったかなんて、わかるはずがない。そんなことを気に留める自我すら、この嵐の中では形を留められない。
人狼としての力の全解放は、ぼくの人格すら呑み込んで荒れ狂った。
◇
霊獣には、三つの位がある。
その内の二つ――低位霊獣と中位霊獣は、人間が管理する上で作られた基準だ。
低位に分類されるものは、一般家庭でも飼育が許されている霊獣だ。大きな害を及ぼす恐れのない、比較的に弱い魔法を行使するものが、ここに該当した。
中位に分類される霊獣は、その強力な魔法によって、特別な研究機関や保護区でのみ飼育が許されている。また、その危険性から市街地に現れた場合は、杖による駆除も許されている。
これらの二つは、人間による、人間のための線引きだった。
だが、最後の一つだけは、違う枠組で動いている。
高位霊獣。
それはこの世界に存在する正真正銘の魔法使いの名前だ。
生殖を介さずに世界に顕現し、原始的な魔力によって世界の在り方すら変質させてしまう、本物の怪物。
他の生き物とは決定的に違うルールで生きている存在だ。
そして、人狼は高位霊獣である。




