表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
モンスター・チェイサー ―ヴィクトリア朝ロンドンでモンスターを追う人たち―  作者: 書店ゾンビ
レポート3:人狼〈バージニアン〉
26/33

第六話 月狼

  〇


 衛生局に戻った時点で、ほとんどの部屋の明かりが落ちていた。

 ぼくは疲労で重い足を引きずりながら、保護した霊獣を管理している別館の方に向かった。

 別館の廊下には離れた間隔で燭台が置かれていて、暗くて寒い空間に細々と橙色の明かりを浮かべていた。その暗い廊下の先に、治療の済んだ月狼ルナウルフを保護している一室がある。他の霊獣たちが怖がるからか、その狭い一室には、檻の中で横たわる彼女しかいなかった。


 銃弾で傷き、横たわる、白銀色の狼。


 ぼくは月狼の檻の前にしゃがんで、その美しい毛並みを見る。

 よく観察すれば、包帯を巻かれた胴体が静かに上下していた。

 こちらの気配に気づいたのか、月狼は閉じていた瞼を持ち上げる。ぼんやりした琥珀色の瞳が、次第に焦点の定まったものになり、ぼくを見据えた。

 ゆっくりと傷を庇うように身体を起こして、「ハッ、ハッ」と舌を出す。ぼくの脳裏に一瞬だけ、脈絡のないビジョンが挿し込まれた。


〈鉄の匂い〉に加えて、〈檻〉と〈鍵〉のイメージ。


 この檻から出て、どこかへと駆け出したい衝動。


 落ち着かず、不安で、何か強烈な義務感のようなものが込み上げてきた。

 

 ぼくはそれをぐっと鎮めて、檻に向かって答えた。


「ごめんね。ここを開けることはできないんだ」


 そう言うと、月狼は舌をしまって身体を伏せた。

 ぼくは自分の発言に遅れて、先ほどのビジョンの意味を理解した。下水道のときに感じた、あの痛みと同じなんだ。

 

「そうか。これがキミの魔法なんだ」


 感覚や思考を共有する魔法。

 とても強力で、あまりに魅力的で、だから、多くの魔術師に求められて、結果的に月狼を絶滅の危機に追い込んだ、彼らの固有魔法〈共感シンパシー〉だ。


「でも、そんな傷ついた身体で、どこに行きたいんだろう……」


 そう呟いて、ふと思い至る。

 もしも、この子に事件のことを聞けたなら、一発で解決するんじゃないだろうか。いや、一発解決とはいかなくても、かなり多くのことがわかるはずだ。


「ね、ねぇ……キミはどこから来たの? あの下水道で何をしていたの?」


 自分でも何やってんだと思いながら、それでも訊いてみる。

 月狼は何も変わらない顔でそっぽを向くだけだった。「そりゃそうだよね」と、ぼくは自分のやったことが恥ずかしくなる。

 だいたい彼女とぼくたちじゃ、世界のとらえ方も、音や光、匂いの感じ方だって全然違うはずなんだ。感覚器官の作りが微妙に違うんだから。例え感覚や思考を共有しても、それを理解できるとは限らない。


 下水道のときだってそうだ。


 彼女の痛みを共感したのは、ぼくだけで、セアカたちは何も――


「あああっ、あのときは〈善き隣人(テュール)〉を一穴だけ緩めてたから……!」


 ぼくは自分の首もと、そこに巻かれた首輪型のワンドに手を伸ばす。

 あのとき、ぼくだけが強烈に彼女の〈共感〉を受けた。ずっと不思議に思っていたけれど、あれって、ぼくが感覚的に人狼の状態に近づいていたからじゃないのか。人狼の状態なら、今よりも月狼の感覚と共有できる部分が多かったはずだ。

 たぶんそれが、ぼくだけが〈共感〉の魔法にかかった理由だ。

 もしこの仮説の通りだったなら、この場で〈善き隣人(テュール)〉を緩めれば、もっと正確な情報を受け取れるかもしれない。


 ぼくは首輪の尾錠に指をかけて――躊躇った。


 杖の使用が許されるのは、中位霊獣との戦闘が避けられないような緊急時や、特別に許可が下りている時だけだ。ぼくの首輪にも同様の縛りがある。許可のない杖の使用は、当然ながら厳罰に処される。それどころか、ぼくの場合は下手をすれば〈ぼく自身〉が駆除の対象になりかねない。


 冷静に考えれば、やめるべきだ。


 でも、ぼくの背中には、商会での()()の視線がこべりついていた。


 トリガーさんの言葉が、残響していた。


『絶滅の危機に瀕している多くの霊獣たちを()()()にしている』


 首輪の穴を一つ緩めた。

 その瞬間、世界に匂いがあふれて、感覚が研ぎ澄まされる。

 同時に月狼がぴくりと身体を起こした。ぼくの感覚の変化を、彼女も感じ取ったようだ。首輪を緩めた影響か、再び〈共感〉の魔法を受信する。


 先ほども感じた不安や義務感が、先ほどよりも色濃く感じられた。


 何かを心配して、酷く焦っている。


 どこかに向かいたい。誰かのところに向かおうとしている。 


 続けて、ビジョンが浮かぶ。


 高速で地を駆けるイメージ。草原。鉄の板――これは線路か。そして、暗い道。下水道かと思ったけれど、ただの夜道だったかもしれない。

 判別が難しい。視点が低いのと、それに四脚で走る感覚に馴染めない。馴染めないと思った瞬間に、〈共感〉の魔法が途切れてしまう。


 ぼくはもっと正確な情報を知りたくて、意識を〈共感〉に没していく。


 より自分の感覚を彼女たちに近づけようとして、その過程で違和感を覚えた。最初は何がおかしいのかわからなかった。

 必死になって意識を集中させて、ようやく気づく。


 この違和感は、視点とか、体格の違いとかじゃない。


 数がおかしいんだ。


 ()()()()


「ああ、あああ、あああああ、キミたちはつがいなのか……!」


 もう一つあったんだ。

 目の前の月狼だけじゃない。

 今、この街にはもう一匹いるんだ。檻に入れられた月狼が、もう一頭。眼前の彼女と対をなすもう一匹の月狼がいる。

 目の前の彼女は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「…………助けなきゃ」


 もう一頭いるとわかった瞬間、彼女の不安も、焦りも、すべてが自分のことのように感じられた。彼女の焦燥が自分のものになり、自分の手足が彼女の感覚と結び着いていた。


 気づくとぼくは四つ足で走り出している。


 身体が勝手に動き出し、勝手に動き続ける。


 でもやっぱり、自分の意志のような気もする。


 この身体を動かしているのが誰か、自分でもわからなくなっていた。


 曖昧な自覚のまま衛生局を飛び出すと、暗い街路を川沿いに走り、排水口から下水道へと侵入した。ぼくは繋がっている糸を手繰るように、ある種の確信を持って下水道を駆け抜けていく。


     〇


 道順は覚えていなかった。

 はっと我に返ったときには、ぼくは下水道のかなり深部まで潜っていた。

 空気が澱み、悪臭が立ち籠めるこの街の地下。

 細い路地が入り組んだ迷宮、そのはずだった。


 でも、ぼくの目の前にあるのはもっと別の光景だ。


 光の届かない暗い地下空間に、突如として現れた広間。


 暗さのせいで正確な大きさはわからないけれど、少なくともテニスコートくらいはありそうだ。

 少し確かめてみると、どこか倉庫のような雰囲気で、雑多に荷物が並べられているのがわかる。積み上げられているのは、大きな木箱のようだ。

 

 匂いはいろいろなものがある。


 果物のような匂いや、生き物の匂い、それから鉄と火薬の匂い。


 手近なものに近づいて、中身を覗いてみる。箱の中には、小さくて細長い金属が入っていた。手に取って、顔に近づけて詳しく確かめる。


「銃弾だ……」


 手の中の冷たい鉄の感触に、ぞっと寒気を覚える。

 そのとき、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。首輪の穴を一つ緩めていたおかげで、かなり遠くからでもわかった。

 足音の数は二つ。

 歩幅的に考えて、大柄な男性たちだ。ここに置いてある銃弾の主だとすると、あまり見つかりたい相手じゃない。ぼくは隠れる場所を求めて、空の木箱を探した。嗅覚を活かしてすぐに見つけると蓋を持ち上げて潜り込む。そして、足音に神経を尖らせた。


「生きていても、死んでいても、厄介ごとばかりの男だったな……」


 狭い通路を反響する、男性の話し声が聞こえた。


「それに棄獣課だと? 衛生局はいつから警察の真似ごとまでするようになった。あの屑の死体から、私のところまで嗅ぎ回って来るだと?」


 男性たちの足音がこの広間に入ってきた。

 しばらくすると、ガサガサと近くの荷物を漁る物音が聞こえてくる。ぼくは呼吸を抑えて、必死にやり過ごそうとした。心臓がバクバクと鳴っている。


「ここでの催しも店仕舞いだな。足の着きそうなものは今夜のうちにすべて回収する。アグロ、お前でも運べないようなものはまとめて焼いてしまえ」

「隣のブロックの生き物は、どうしますか?」

「霊獣どもか。今は後回しだが、結局は処分する他ないだろう。まぁ、精々私自身で楽しむことにするさ」


 ぼくは会話を盗み聞きしながら、ふとその声音に覚えがあるような気がした。というより、ほんの二、三時間前に聞いた声に似ている。


 ハンサ・トリガーと、その使用人の声だ。


 ぼくが箱の中に隠れているとも知らず、使用人の男性は問い返した。


「処分ですか、それは――()()もですか?」


 その名前が出るのと同時だった。

 ぼくの入っている箱の蓋が開けられて、ランタンの灯りが射し込んできた。こちらが抵抗するより早く、野球グローブのような掌が、ぼくの顔面を鷲掴みにする。


「うぐッ……!」


 万力のような握力がこめかみに食い込み、ぼくは軽々と宙に引き上げられた。割れるように頭が痛い。ぼくは必死に抵抗したけれど、いくら藻掻いても丸太のような腕からは逃れられそうになかった。

 アグロと呼ばれた男性が、無様に暴れるぼくを無表情に見つめて言った。


「社長、それでこちらは――()()()()()()()()?」


 ハンサ・トリガーは、一瞬目を剥いた後、凶悪な笑みを浮かべて返した。


「今何時だと思ってる、()()()()()()()()()()()



 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ