第五話 商人
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「方舟商会ってなんでしょう?」
遺族の方のもとを離れた後、ぼくは先を歩くミヅチさんに尋ねた。
ミヅチさんは時折路地の標識を確かめながら、迷いの少ない足取りで仕事終わりの人でごった返す街路を進んでいる。〈方舟商会〉が何で、どこにあるのか、わかっているんだと思う。
ミヅチさんは、ぼくの声に気づいて少しだけ顔をこちらに向けた。歩調を落として僕の隣に並ぶと、人混みの中でも不思議と聞き取りやすい声音で説明してくれる。
「方舟商会はここ十年くらいで大きくなった貿易会社だよ。主にお茶や飲料に使う植物を扱っていたはずだ。規模的に考えると、そろそろ上流階級との付き合いが欲しい時期だろうから、落ち目とはいえ上流との付き合いのあるバザルジェット家に取り入る理由は、わからなくない気がするね」
言いながら、ミヅチさんは表情を曇らせた。
いや、表情というか、変わったのは匂いだ。
何かこちらを心配しているような感じがした。
人狼であるぼくの鼻だから悟れる程度の、ごく微妙な変化だった。
「あの、どうかしましたか?」
「いや、ウルフくんは着いて来ない方がいいかもしれない」
「その、お邪魔でしたか……?」
「そうじゃないんだ。ただ、時間的にもう遅いからね。セアカさんと同じように休んでいてくれてもいいんだよ? こちらは僕とシラコさんの担当でもあることだし」
ぼくはミヅチさんを見て、シラコさんにも視線を向ける。シラコさんは軽い調子で肩を竦めた。「自分で決めたらいい」ということだろう。
ぼくは考える。
たぶんだけど、ミヅチさんは気を遣ってくれたんだ。この先の商会で発生するであろう会話が、気持ちのよくないものになると予想しているんだ。
ミヅチさんの家柄については、教えてもらったことがある。
彼も上流階級の人たちと関わりの深い生まれだ。それ故の汚いところや、嫌なところをたくさん知っていると言っていた。だから、今はこうして衛生官をやっているのだとも。
年少者のぼくにその汚いところを見せまいという、彼なりの心遣いだろう。
「それでもあの、ぼくもご一緒させていただけませんか?」
ぼくは、衛生官として――棄獣課の一員として、そう言った。
ミヅチさんは返事を躊躇ったけれど、その横のシラコさんが「まぁ、いいんじゃねぇか?」と先に答えをくれた。シラコさんが、ミヅチさんを一瞥する。ミヅチさんはやや渋りながらも頷いた。
ミヅチさんの首肯を受けて、シラコさんはニヤリと笑う。
「それじゃあ、お宅訪問第二弾としゃれ込もうか」
シラコさんはそう言って、正面に向き直った。
ぼくたちの視線の先には、三階建ての豪奢なテラスハウスがある。
その入り口には、〈方舟商会〉という文字と、神話の大洪水を乗り切ったという船のエンブレムが掲げられていた。
〇
方舟商会のドアを叩くと、使用人らしき男性が出てきた。
その男性からは、おっかない感じがした。
執事みたいなきっちりした格好をしてはいるが、オグロさんみたいに大きな背丈と厚い胸板を持っている。それに暴力に慣れた人間特有の、隙のない身体の動かし方をしていた。重心移動に癖があるので、すぐにそれとわかる――荒事にも躊躇なく対応できる人物だと。
就業時間後のそれも約束なしでの訪問だったので、ぼくたちは最初、応接間にも通されず、玄関ホールで待つように言われた。
その広い玄関ホールには、よく目立つ場所に大きな生き物の剥製があった。
一見するとそれは、鹿のように見えた。けれど、頭に備えた二本の角が、特別な霊獣であることを示している。剣のような角を持つ霊獣、剣角鹿だ。
ぼくがその剥製に見とれていると、精悍な顔つきの男性が階段から下りてきた。
高そうなスーツを着た、壮年の紳士だ。
「お待たせしました。その制服は確か、衛生局の棄獣課の方ですか」
「夜分に突然失礼致します。ご指摘の通り、我々は棄獣課の衛生官です。私はミヅチと申します」
「おおっ、では貴方が。先日、市街で大立ち回りを演じて、鵺を討ち取ったというあの魔術師様ですか!」
壮年の紳士はにわかに破顔すると、親しげに握手を求めてきた。
ミヅチさんは無表情でその手に応じる。
固く手を握り合うと、その紳士は名乗りを上げながらこちらに質問した。
「当商会の代表のハンサ・トリガーと申します。それで今夜は、一体どのような御用向きでしょう?」
それでぼくたちは、下水道で見つかった遺体について彼に話した。発見されたときの様子と、発見された場所、そして、バザルジェット氏について何か知っていないかを確認するために来たことを。
トリガーさんは、「それは……よくぞ教えて下さいました。彼とは随分と親しくしていましたから、なんと言っていいか……」と言葉を詰まらせた。
知人の死を悼む沈痛な表情を浮かべて、その後で気丈な笑みを取り繕う。
「失礼しました。このようなところでする話ではありませんでしたね。二階の応接室にご案内します」
そう言って、トリガーさんは、ぼくたちを誘うように片手を挙げて階段を示した。
〇
二階の廊下にはいくつものドアが並んでいた。ぼくたちが案内されたのは、その中でも一番立派なドアだった。トリガーさんに開けてもらい、ぼくたちは部屋の中に入る。
方舟商会の応接室。
衛生局にある棄獣課の部屋よりも大きな一室だ。
広い空間を贅沢に使っていて、黒檀のテーブルと、それを挟んで向かい合うように革張りのソファーが置かれていた。等間隔に並んだ燭台のおかげで、室内は橙色にぼうっと照らされている。
その橙色の照明が、壁際にいくつもの異形の姿を浮かび上がらせていた。
いくつもの異形――霊獣たちの剥製だ。
あるものは七色に輝く翼を持っていたり、あるものは鎧のような体毛に覆われていたり、またあるものは剥製になってなお宙に浮かんでいたり、どこか常識からは逸脱した獣たちの死が、そこに点在していた。
これにはシラコさんとミヅチさんも目を引かれていた。トリガーさんは、ぼくたちの視線に気づいて「ああ」と声を上げた。
「本職の方にお見せするのはやや気恥ずかしいのですが、それらの霊獣はすべて私が撃ったものです」
「でも、これって……」
ぼくは自分の知識に自信が持てず、シラコさんの方を向く。シラコさんは難しい顔で、「玄関の剣角鹿も含めて、保護指定されているはずだ……」と答えた。
ぼくの脳裏に「密猟」という二文字が浮かぶ。
けれど、それにしてはトリガーさんの態度はあまりに堂々としていて、やましさを感じさせない。ミヅチさんが無表情に、その余裕の正体を看破した。
「トロフィー・ハンティングでしょうか?」
「魔術師の方は流石にお詳しいですね。その通りです」
トリガーさんは、我が意を得たりと頷いた。シラコさんもその言葉で事情を察したのか、苦々しい表情になっている。
でも、ぼくはよくわからなかったから、ミヅチさんに質問した。
「トロフィー・ハンティングって、なんですか?」
「保護区の動物や霊獣をお金を払って狩猟することだよ。個体数を把握して、何匹までなら狩ってもいいって、許可を出すんだ」
「そんなッ、保護するべき霊獣を殺してしまうんですか!?」
「霊獣の保護にも、保護区の管理運営にも、莫大なお金がかかるからね。国からの援助や寄付だけじゃ立ち行かないんだ。それを補填する手段の一つとして、取り入れている保護区はあるよ。まぁ、賛否はわかれているけどね」
「そんなの当然じゃないですか! だって道楽のために殺すなんて――」
「若い方には少々刺激が強かったようですね」
声を荒げてしまったぼくを、トリガーさんは聞き分けのない子どもを見る教師のような顔で眺めていた。思わず、ぼくの表情は険しくなる。
そのぼくに言い含めるように、トリガーさんは「これも一つの保護活動なのです」と口を開いた。
「予算に窮している保護区は、かなりの数があります。けれど現状、寄付を募っても集まる金額は微々たるものです。
想像して頂けるとわかると思うのですが、はたしてこの街の市民の何割が、自分と関わりのない霊獣たちに関心を払っていることでしょう。彼らは無関心と無知のもとで、絶滅の危機に瀕している多くの霊獣たちを見殺しにしているのです。
対して、私の払うトロフィー・ハンティングの見返りは、確実に保護区の運営を助けて、滅びゆく命を繋ぐ助けになっています。さぁ、悪いのはどちらでしょう?」
「だからって、殺す必要はないんじゃないですか?」
「純粋な寄付をしろとおっしゃられますか? それは難しいでしょうね。私の財力的な問題もありますが、保護区の側も〈見返りのない善意〉を個人に要求するのは難しいでしょう。見ず知らずの人間に『金をくれ』と言うようなものですから、当たり前の倫理観を持ち合わせていれば、躊躇うはずです。
それに比べれば、私のようなトロフィー・ハンティングを趣味としている人間に声をかけるのは、まだしも抵抗感が薄れるでしょう。
加えて、私のハンティングに同行して、霊獣保護に関心を持つようになった人間もいます。保護活動としては、利に適っているかと思いますが、いかがでしょう?」
「ですがッ!!」
「ウルフくん、話がずれているよ」
ミヅチさんが眼帯側の顔を向けて、ぼくに注意した。
シラコさんが、ポンとぼくの肩を叩いて言う。
「ミヅチ、俺は少しウルフくんを落ち着かせてくる。トリガーさん、うちの若いのが失礼しました」
シラコさんは苦笑いでぼくの肩を抱くと、部屋の外へと促した。熱くなってしまった自覚はあるから、大人しく彼の指示に従う。
部屋を出る直前、ぼくは後ろ髪を引かれるような気持ちに駆られて、部屋の方を振り返った。
薄い橙色の照明の中、もう吠えることも嘆くこともできなくなった獣たちの視線が、こちらを見つめているような気がした。
〇
商会の外に出て、夜風に当たると少しだけ頭が冷えた。
けれど、ぼくはまだ何も納得していなかった。冷静になった頭でも、やっぱり思うもの。トリガーさんのやっていることは、間違っているって。
雪でも降りそうな夜空を見上げて、白い息と一緒に呟いた。
「救うために殺すなんて本末転倒じゃないか……」
「ウルフくんの憤りは、まぁ、もっともだと思うぜ」
夜風に吹かれて立ち尽くすぼくの隣で、シラコさんが煙草を咥えて頷いた。軽い目配せで、「吸っていいか?」と問う。ぼくは「どうぞ」と答えた。
シラコさんは燐寸を擦って火を付けると、美味しそうに煙を吸って吐いた。
一息吐いた顔で、さらに言葉を続ける。
「あっちの理屈としちゃ、一頭の犠牲で――その見返りで、百頭を守ってやってるってことなんだろう。でも、百頭を保護できたとしても、その一頭をなぜ殺さなければならなかったのか、誰にでも納得できる説明なんかできやしない」
「じゃあ、シラコさんも間違ってるって思うんですね?」
「個人的な感覚で言えばな。ただ、簡単な問題じゃないってのもわかる。霊獣の保護区ってのは、生き物の管理だけじゃなくて、近隣住民との折り合いや、密猟やら何やらの対策やら、山ほど問題を抱えているもんなんだ。んで、その手の問題の多くは、金さえあれば解決できるものだったりする」
「でも、貴重な、大切な命なんですよッ!?」
「そうだな。でも、俺たちだって衛生官だ」
シラコさんは遠い目をして煙草を咥えている。ここから先の言葉は、言わなくてもわかるよな――横顔にそう書いてある。勿論、わかっている。
ぼくたちも、その命を奪う側なんだ。
よく知っているさ。殺していい命があって、殺さなくていい命があって、守るべき命がある。命には優先順位があるんだ。わかっていたはずだ。ぼくは自分の着ている制服を思い出して、そして、なんだか疲れてしまった。
「シラコさん、すみませんでした」
「まぁ、うん。聞き込みなら大丈夫だろう。ミヅチはこの事件、かなり気合いが入っているみたいだし、アイツなら上手くやるさ」
「あの、ぼく、一回、謝ってきます」
「納得できてないことを無理に飲むことないよ。それより、ウルフくんはもう休め。下水道で体調も崩したって聞いてるし、顔色もやっぱりよくない。それに初日から飛ばしてると、後が続かないぜ」
シラコさんの声音は、気遣いのある優しいものだったけれど、否を認めない厳格さも併せ持っていた。
だから、ぼくは頷くしかなかった。
「……では、一度局に戻ります。お疲れ様でした」
「ああ、お疲れ。ミヅチの報告は、明日の朝にでも共有しよう」
そう言ってくれるシラコさんに頭を下げて、ぼくはひとり、衛生局までの長い道のりを、身体を引き摺るようにして歩いて帰った。




