第四話 調査
◇
下水道で発見された遺体――ジョージ・バザルジェット。
その遺体から事件の全容を追うことが、第一班の衛生官――シラコとミヅチの調査方針だ。
しかし、「死人に口なし」の言葉の通り、死者から話を聞くわけにはいかない。どんな優れた杖も名探偵から仕事を奪うことはできなかったのだ。
そのため、ミヅチたちは遺族に聞き取りを行うべく、バザルジェットの生家を訪ねることにした。
サー・バザルジェット邸。
街の中心からは外れた場所にある、小さな庭を持った戸建ての家だった。やや手狭ではあるが、それでも本来であれば、人口密集地のこの街で戸建ての家を持っていること自体が、バザルジェット家の裕福さを証明しているはずだった。
本来であれば――なのでそう、今は証明していなかった。
シラコとミヅチは、バザルジェット邸の前に立ち、錆びた鉄扉を見ていた。格子状になっている扉の隙間からは、雑草の生い茂った庭の様子が覗える。
「ナイト様のご子息の住まいにしては、その、意外性があるな……」
シラコが、廃墟然とした様相に思わず感想を漏らした。
ミヅチも黙って首肯した。
二人は鉄扉を押し開けて、庭に入る。雑草のはみ出す短い石畳を進んで建物の方に近づくと、訪問者用のノッカーを二度鳴らした。反応はない。
しばらく待って、もう一度ドアを鳴らそうかと思ったところで、建物の中から物音が聞こえてきた。鍵を動かす音だ。
けれど、一向にドアは開かない。再びの沈黙。
シラコは不審に思ってドアノブに手を伸ばした。軽く動かそうと手首を回して、答えに辿り着いた。
「あっ、今の開けたんじゃない――鍵を閉めたのか!」
シラコはドアノブをがちゃがちゃと揺らした。けれど、小指一つ分も動かない。
ミヅチもあまりに大胆な居留守に、流石に面食らった。
二人はその後も何度かドアを叩き、声をかけてみたが、もう反応はなかった。
けれど、強引に乗り込むには立場的に難しいものがある。棄獣課として動いている二人には、警察局のような強制力がないのだ。あまり無理をすると、こちらが法にもとる可能性がある。
二人は顔を見合わせて、首を横に振り合った。
「ダメですね。諦めて他を当たりましょう」
「ああ、しょうがねぇか。近隣の住民に聞き込みいくぞ」
シラコとミヅチは、短い石畳を戻って鉄扉を開ける。そのときふと、シラコは背後の屋敷を振り返った。振り返った瞬間、さっと二階のカーテンが閉まるのが見えた。
「なんともまぁ、きな臭いことになってきたな……」
シラコは嫌な予感に眉を寄せて、ミヅチに続いてバザルジェット邸を後にした。
◇
オグロとリュウは、駅のホームに立っていた。
一番近い月狼の保護区に向かうためだ。
保護指定の絶滅危惧種である月狼がどうして現れたのか――第二班はその視点から事件の暗部に光を当てるべく行動していた。
現在、月狼は全頭、保護区でのみ管理されている霊獣だ。
今回見つかった個体も、おそらくはどこかの保護区から抜け出したか、持ち出されたものの可能性が高い。あの月狼の街への出現が、本来の管理下では起こりえない違法な第三者が関わった結果であるならば、「管理されていない霊獣」という棄獣の要件を外せるかも知れなかった。
正しく管理が行えると証明できれば、駆除を免れる可能性が残るのだ。
乗車予定の寝台列車が、ホームに止まった。
オグロとリュウはそれぞれ鞄一つだけという身軽な荷物で乗り込むと、狭い通路を一列に進んだ。指定してあった個室に着く。向かい合わせのベッドだけが並ぶ狭い一室を眺めながら、二人は絶妙に押し黙って突っ立っていた。
目的地に着くのは明日の早朝。
つまり二人は、この狭い一室で一夜を明かすことになるのだ。
「ああ~、その、どっちのベッドがいいとかあるか?」
「いえ、どちらも違いがないように見えますが?」
「そうだな。俺にもそう見える」
オグロが尋ねて、リュウがポーカーフェイスで返す。
二人は(主にオグロだが)絶妙にぎくしゃくしながらそれぞれ近い方のベッドに荷物を置いて、向かい合わせに腰掛けた。
姿勢良く向き合うと、やや気まずい沈黙が生まれる。
オグロは普段、リュウのことを「タフガイ」と呼び、女性として意識しないように努めているだけであって、リュウのことを〈子ども〉だとか、〈男〉だとかいうトンチキな認識をしているわけではなかった。
ただ、仕事のパートナーとして敬意を持っているし、あくまで仕事上の関係だと自分の中で一線引いているだけなのだ。彼にとってリュウがほぼ理想的な異性のタイプだとかそういう私情は、仕事に一切持ち込むべきではないというのが、彼なりの職業倫理だった。
つまり、彼には彼なりの苦労があるのだ。
珍しく落ち着かない様子のオグロを見て、リュウは無表情に首を傾げた。
「先輩、どうかしましたか?」
「いや、部屋が狭いので落ち着かない。まるで兎小屋のようだ」
「そうですか? 私は兎小屋だと落ち着きますが」
「それはそれでどういう理屈なんだ?」
二人が無駄話に興じていると、発車のベルが鳴る。
汽車は煙を吐き出しながら、目的地の保護区に向かって走り出した。
◇
シラコとミヅチの第一班は、日暮れまでバザルジェット邸の近隣で聞き込みを行った。空振りも多かったが、聞き込みからわかってきたこともいくつかある。
①バザルジェット家は、先代のサー・バザルジェットの死後から経済的に苦しい状態が続いていること。
②原因の一つは、一人息子ジョージ・バザルジェットの散財であったこと。
③そのジョージ・バザルジェットは、最近になって急に羽振りよく振る舞っていたらしいこと。
シラコとミヅチは、紫がかった宵の街路を歩きながら、聞き取りの成果について認識を共有していた。
「死人をあれこれ言いたかないが、何かありそうな人物だな」
「そうですね。叩いたら埃が出そうな人物――だとは思います」
「だが、決定的な何かがわかったわけじゃねぇ。やっぱり一番は親族に話を聞けるのがいいんだろうが」
「協力するつもりのない態度でしたね」
「まぁそれでも、引き上げる前にもう一回だけ、当たるだけ当たってみるか」
シラコの提案をミヅチが首肯し、二人はバザルジェット邸に引き返す。
再び荒廃した庭に着くと、そこには言い争う二人の人影があった。
一人は白髪の老女であり、もう一方はシラコたちと同じ制服の少年――第三班のウルフである。言い争うといっても、声を荒げているのは老女だけで、ウルフは相手の剣幕に狼狽えてばかりだ。
シラコは駆け足で近づき、二人の間に割って入った。
興奮する老女を手振りで宥めつつ、振り返ってウルフに尋ねる。
「おいおい、これは一体どういう状況なわ――」
「どうもこうもないじゃないのッ、こんな子どもまで使って、どこまでも恥を知らないのかいッ!?」
「ええ~と、少し話の流れが読めないのですがご婦人」
「喪服まで着ておいてなんて白々しいこと!! 死んでもまだ、私の息子を利用しようっていうのかいッ!?」
「おいおい、ちょっとは話を聞けよアンタおいッ!」
老女は白髪を振り乱し、シラコに掴みかかろうとする。勢いよく伸ばされた枯れ枝のような老女の腕を、しかし、その途中で掴む手があった。
その手は、乱暴に老女の腕を握るのではなく、指先を柔らかく押さえて淑女をエスコートする紳士のように添えられた。
流れるような所作で老女の手を取りながら、ミヅチは恭しく腰を屈めた。
「お手を失礼、マダム。何か誤解があるようですね」
品のいい顔立ちと、その品の良さを裏付ける洗練された立ち振る舞い。悪目立ちする眼帯ですら、この瞬間においてはミステリアスで肯定的な評価をミヅチに与えていた。
加えて、登場するタイミングも狙い澄ましている。
幼い外見のウルフと、言葉使いの荒いシラコ、その後に出ることで相手により「話のわかる人物が出てきた」という印象を刻んでいた。
第一印象の操作。
ミヅチが嫌っていた、ウィンドミルの――父親の技術だ。
「我々は衛生局の職員です。この度は御愁傷様でした。おつらいところとは存じますが、息子さんの件で少々お話を伺えないでしょうか?」
ミヅチの恭しい態度は、老女の興奮を急激に冷ました。
憑き物が落ちたように一瞬我に返った老女だったが、しかしそのやせ衰えた顔をすぐに暗く閉ざされた表情が覆った。老女は人を拒絶する顔で、「私からお話しすることは何もありません。私は何も知りません」と答える。続けて、深い悲しみを湛えた双眸で言った。
「もう帰って下さい。息子と二人きりになりたいんです」
「わかりました。ですが、一つだけ質問に答えて下さい」
「だから、私からお話することは何も――――」
「貴女の息子さんはドブ底で野犬と××××するご趣味をお持ちなのですか?」
老女の額に青筋が浮く。沸騰するような怒りが、沈黙を守ろうする固い表情を突き破った。その瞬間を見計らって、ミヅチ自身が「勿論、そうではないはずだ」と自分の発言を否定した。
ミヅチは、老女の自尊心を刺激するように言葉を選び、同時に老女が沈黙の鎧を纏うより素早く、相手の微表情に応じて言い回しを変えながら、一息に畳みかけた。
「サー・ジェゼフのご子息です。この街からコレラという死神を追放した偉大な土木技師の。この街の救世主の。みなが尊敬する偉大な男の。
その血を引く男を、利用した相手がいるのですか? あのような無念な最期を遂げなければならないように? そんな罪深いことを?
報いが必要だとは思いませんか? 貴女から息子を奪った、あなたの息子から誇りある最期を奪った――その報いが。私がその手伝いをしましょう。この街の市民を代表してお引き受け致します。ですからさぁ、相手は誰ですか?」
「あぁ…………ぇ商会」
「もう一度、ハッキリと」
「方舟商会」
「ご協力感謝致します、マダム」
それはもはや会話ですらなかった。
まるで知恵の輪でも解くように、引き出すべき情報を適切な手順で吐き出させただけだ。そこにあった同情も、敬意も、共感も、微笑みも、老女に言葉を吐き出させるための手段でしかなかった。
相手の感情というパズルを解く――その目的を達成するためだけの言葉。
それらはもう、一種の呪文である。
「ウルフくん、今日はこれで引き上げよう。これ以上は無理だ」
ミヅチは、聞くまでもなくウルフの目的を知っているかのように声をかけた。そのすぐ後で、放心状態の老女に一礼してバザルジェット邸から歩み去る。
その老女にはもう一切の興味がないようだった。
シラコとウルフは、抜け殻のように立ち竦む老女を見やった後、ミヅチの背中に視線を移した。けれど、黒い制服の後ろ姿からは、彼の背負っている何もかも、わかるはずなどなかった。
何も語らない背中がそこにあった。




