第十話 続
◇
ニャーちゃんを亡くして、数日。
なんだかわからないことが、なんだかわからない内に終わった。
一日ずっと泣き暮れて、もう一日ぼうっと布団に包まった。それからしばらく何も考えずに過ごしている内に、何かが終わったことを新聞で知った。
新聞でわかったことは、すべての鵺が焼却処分されたこと。その慰霊碑が王立公園内にできたこと。他の新聞では、〈低位霊獣の検疫と登録〉に関する現行法の欠陥について、熱心に議論されていた。でも、難しいことはよくわからなかった。
難しいことがわからないから、何もわからないのかと思った。
だから、よくわからずに泣いてるのか。
それはとっても馬鹿みたいで、自分を嫌いになりそうだった。
「キサラ、少し外の空気でも吸っていらっしゃい」
母親がそう言うので、キサラ・プリズムは外に出た。いつの間にか、すっかり寒い季節が訪れていて、表通りは雪化粧を終えていた。背筋を寒気が駆け上がり、吐く息が白くなった。寒いと思った。それだけ。
行きたいこところは、特になかった。
だから、王立公園の慰霊碑を見てみることにした。
◇
キサラが通り掛かったとき、その喧嘩はすでに始まっていた。
場所は王立公園までの道のりにある、可愛いケーキ屋さんだ。あそこの店員さんとは、フェアリーキスの夜会で面識があった。
その店の前で、フェアリーキスで見知った人たちと、二人の女性が口論をしていた。正確には、フェアリーキスの会員複数名と一人の女性が口論しており、もう一人の女性は水浸しにも関わらず、両者の間を取り持とうとしていた。
水浸しの女性は、何でもない顔で友人らしき女性を宥めている。
「スワン、私は大丈夫です。この間も下水に落ちたばかりですし、水道水を引っ掛けられるくらい、どうということでは――」
「あるわよ普通っ!! 今日という今日はもう許さない、アッタマに来たわッ!」
スワンと呼ばれた女性は、そう怒鳴った。
対して、フェアリーキスの人たちは、「何が許さないだ!」、「許さないのはこっちだ!」、「その女が衛生官なのは知ってんだ!」と怒鳴り返す。
「そいつらが、俺らの家族を殺したんだ!」
「どう責任を取るつもりだっ!」
「冷や水なんかじゃ生ぬるい! 死んで償えッ!」
「霊獣専門の殺し屋めッ!」
キサラは足を止めて、その喧嘩を見ていた。
憎悪に満ちた言葉たちが、自分の中のドロドロと渦巻く感情に響く。あの人を恨む気持ちが、喉もとで形を取りかけた。
けれど、形を取りかけた言葉は、女性の一喝で霧散した。
「甘っ――――たれるなッッッ!!!!」
スワンと呼ばれた女性は、細身な外見から想像できないほどの大音声を上げる。両手は握り拳を作り、顔を真っ赤にして、これ以上にないくらい怒っていた。その様子はさながら、小さな火山の噴火だ。
「どいつもッ、こいつもッ、勘違いしてんじゃないッ! 鵺を殺したのはッ、アンタたちの無知じゃないかッ!! あれはなッ、端から人と暮らせる生き物なんかじゃないんだッ! 人の社会にいていい生き物じゃないんだッ!!
そんなことも知らないで、知る努力すら放棄して馬鹿やった馬鹿どもの尻ぬぐいをさせられたのがッ、私のリュウやミッチーだッ! そのリュウに対して、私の大事なリュウに向かって、揃いも揃ってふざけるなッ!!」
今にも食い掛かりそうな剣幕に、フェアリーキスの面々が怯む。
怒っている女性は、怒りながら泣き出していた。そして、泣きながら歯を剥き出しにして吠え続けた。
「被害者意識もいい加減にしろッ! さぞや悪い顔で笑って、『自分が悪者です』みたいな面した男がいたんでしょうよッ! 責任を自分から負っ被るような気遣い野郎がいたんでしょうよッ! だからアンタらは、安い被害者意識に浸かれていい気分なんでしょうよッ!
でもね、私は性格悪いから全部ぶちまけてやるわよ覚悟しろッ!!
アンタたちなんかより、私はずっとミッチーが大事だものッ! 他人のために自分の片眼くれてやれるほど、お人好しじゃないのよ、私はッ!
あのお人好しで、馬鹿で、どうしようもない格好つけの魔術師がッ、悪者扱いされるのッ、我慢なんないのッ!
アンタたちは絶対に被害者じゃないッ! 動物飼うのって責任が伴うのよッ! 知らなきゃダメなのよッ! どういう生き物でッ、何に注意してッ、どう接すればいいのかッ、予防接種は要るのかッ、どんな病気をもってるのかッ、知らなきゃダメなんだからッ! それなのにアンタたちはそれをサボったッ! やらなきゃいけなかったことを放棄して、その尻ぬぐいだけ他人にやらせたッ! アンタたちなんか、自己嫌悪に押し潰されちゃえばいいのよッ!」
彼女の言葉は、言い返しようのない鋭さを持っていた。
言い返せない言葉に対する反応は、限られている。その反応の内で最悪なのが、暴力に訴えるものだ。
そして、最悪の反応がスワンに襲い掛かった。
表情をなくした男の拳が、スワンに振り下ろされる。次の瞬間、殴りかかった男の方が、石畳の上に叩きつけられて、関節を極められていた。
水浸しの女――リュウ・ライトハウスが無言の内に男を投げ飛ばしたのだ。
「友人の非礼は、深くお詫び致します。申し訳ありません。しかし、暴力に訴えるのであれば、必ず止めます。私にはそれが可能です」
無表情で脅しを掛ける女と、泣きべそで怒鳴る女。
二人の迫力に、フェアリーキスの面々は気圧されていた。しかし、フェアリーキスの会員の中にも、一人だけ、彼女ら二人に歩み寄るものがいた。
その会員は、真っ白なハンカチを取り出すと、スワンの涙をそっと拭った。
そして、自分でも涙を流しながら、スワンにお願いした。
「その、不躾なお願いだとは思うんですけれど――お人好しで、馬鹿で、どうしようもない格好つけの魔術師について、詳しく教えて頂けませんか?」
スワンとリュウは、キサラの申し出に目を丸くした。
〇
王立公園の慰霊碑は、思ったよりも立派だった。
「まぁ、急拵えにしては及第点よね」
と、泣きべそで怒鳴っていたスワンさんが、鼻を啜りながら言った。仕事場で着替えてきたというリュウさんが、花柄のハンカチを取り出して、スワンさんの鼻をかませている。まるで恋人同士みたいだった。というか、姉妹かな。
仲良しみたいで、羨ましかった。
私の視線に気づいて、スワンさんはなぜか「いいでしょう!」とリュウさんに抱き着いた。リュウさんは眉のわずかな動きだけで恥ずかしそうにしている。素直に可愛らしい人たちだなと思った。
私のイメージしていた衛生官とは、似ても似つかない。
何にも知らなかったんだなぁ。
改めて自分の無知が恥ずかしくなる。
鵺のことや、ミヅチさんのこと、ジーンさんのこと。ミヅチさんの態度や、彼がどう考えて行動したのか。彼女たちに教えてもらって、彼女たちと話し合って、足りないところは推察して、ようやく少しだけ、整理が付いたように思う。
そのおかげか、悲しい気持ちは消えないけれど、モヤモヤしていた悲しさが、スッキリした悲しさに変わっていた。
何を悲しむべきなのか、わかったような感じだ。
「キサラさん。ミヅチさんは局にいました。会っていかれますか?」
可愛らしい二人を眺めていると、リュウさんがそう尋ねた。
私は考えて、考えて、首を横に振った。
二人はなんだか残念そうにしている。だから私は、「今はまだ」と付け足した。二人は少しだけ納得したような顔になる。言葉以上のものを察する人たちだ。
でも、私はまだ彼女たちのようになれない。
笑顔の裏の覚悟とか、冷たい態度の気遣いとか、言葉の外側を拾ってあげられるほど、大人になり切れていないのだと思う。自信がない。
そりゃそうだ。
少し前にそれで失敗したばかりだもの。
だから、私はちゃんと言葉にしておこうと思うのだ。
「私はまだ、彼にどう謝って、どう怒ればいいのか、わからないんです。でも、いつか必ず、彼に会いに行きます。彼がどう思っているにせよ、このまま終わらせるつもりは、私にはありませんから」
そう言うと、スワンさんが「キサラちゃん、ミッチーには勿体ないくらいよ!」と抱き着いた。リュウさんが「タフな人です」と微笑んでくれる。
彼女たちに手を引かれて、私は歩き出す。
デートの続きをしましょうと、スワンさんが言っている。
私は慰霊碑に向かって、「また来るね」と小さく零した。実際、私は何度でもここを訪れるつもりだ。この一件を忘れるつもりはない。
ニャーちゃんのことも、ミヅチさんのことも、終わったことになんかしない。
私は歩き続ける。そして、いつか絶対に逢いに行くんだ。
(レポート2:鵺〈キマイラ〉了)




