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17 愛憎の白姫



 ここは異界にある羅藍ルオラン帝国と魔界を隔てる山脈に程近い秘境の温泉宿。


 険しい山道の先にある為人間はあまり立ち入らず、魔界に住む魔族と護衛を雇える金持ちの人間、訳有りで避難する者等が定宿にするような物々しさがある。


 温泉宿の外れ、薄暗く冷たい籠居は湿り気が多く、人間が引きこもるには快適といえる住まいではない。


 ここに住まう温泉宿の女将、白姫しらひめは普段この籠居でひっそり暮らしているのだが、今日は珍しく客人が来ていた。


 室内を仕切る布製の几帳越しに二人は対面する。


白姫しらひめ久しいな」


「お主か。わざわざ籠居の方に訪ねてきたという事は、勿論良い報せであろうな?」


「想い人の手懸かりをね」


「なんと…妾がどんなに探そうとも見つけられぬものをお主がどうして」


 白姫が執着する男の話を聞かされ感情を顕に膝立ちで一歩前のめると、後ろで控えている籠居で白姫の世話をする付人達が一斉に竦み上がる。


 対する客人の方は、そんな白姫に慣れているのか相貌崩さず笑みを讃えてびくともしない。


「夜は長いんだ。歓迎してくれないか?」

「ふふ…よう云うわ。ここを何処と心得る」


「隠居生活が長くて、()()()になってしまったのかと心配していたんだよ」


「紅葉!宿の上座敷を開けてもてなせ」

「直ちに」


 付人達は素早く温泉宿へ駆け出す者と、白姫の支度を整える者とに分かれて一気に動き出す。


 怠惰に籠居で籠っていた白姫は、客人の言葉を受けて活気を取り戻し温泉宿の女将として、また想い人への情念をたぎらせ久しぶりの身繕いと衣装替えを始める。


 客人の男は満足そうに几帳越しに伝わる白姫の様子を眺め、これから起こる出来事に期待を膨らませていた。


 俄に慌ただしくなった温泉宿の上階を、宿泊客達は興味本意に遠くから伺っていた。


 その中で一人、どうしても好奇心を抑えられない者が動き回る女中を掴まえ訪ねる。


「一体どんな上客なんだ?」

「止して下さい。女将に叱られます」

「今チラッと遊女が見えたが」

「下賤の輩が顔見せ出来るようなお方ではないのですから、さっさと出ていって頂戴」

「俺も客だってのに酷いなぁ」

「護衛を呼びますよ?」


 男は敢えなく女中に突き飛ばされ、上階から追い出される。

 入れ替わるように廊下へ厳つい護衛が現れ出入り口を塞がれる。


 やがて女将が上客を伴い階段をゆっくり昇ってくると、護衛が通路を開けて奥の上座敷へ進んでいった。

 二人が放つ鮮烈さに圧倒され、部屋に隠れて覗き見していた宿泊客は気を呑まれそうになっていた。


(ありゃあ相当の化け物か)

(女将のアレかね)

(死神か悪魔か恐ろしいものを連れて来たもんだ)


 温泉宿の存在を再認識した悪党達は口々に高評しあった。


 温泉宿は古い洋館でシンメトリーの三階建てコの字型、連絡通路の先に大浴場が設けられている。


 宿屋部分の洋館は赤いカーペット敷きの廊下で窓には洋花を象るステンドグラスが嵌められおり、エントランス以外は宿泊施設のようには見えない。

 上階は上客の為に広く取られ部屋数は少なくなっており、警備も厳重になっている。


 上階唯一和風座敷となっている部屋で持て成しを受ける男は、女将の白姫に向き合い密談を交わしていた。


「手筈は今話した通りだが、異論はあるか?」

「許さないあの女!じわりじわり苦しめてやろうか、奴隷に落として使い倒してやろうか」


「駄目だと言ったろう?アレは俺が既に唾つけてある」

「益々不愉快……何故に人間の女何ぞに挙って群がる」

「お前の相手は愛しの君だ、分かるな?」


「お主が飽きたら妾に回すと約束せよ」


「飽きて死体になったら譲ろうか」


「忘れるでないぞ」


「愉快愉快…いい気分だ。今夜は楽しもう。なぁ白姫」


 怒りで震え今にも先走りそうな様子の白姫の手を取り、強引に傍に引寄せた客人の男は、くすぐるように唇を白姫の白い首筋に滑らせ勢いを削いでいく。


 皆が恐れる白姫をまるで初な娘のようにあしらう客人を見ていた遊女や女中達は、恐怖と緊張から顔を火照らせていき、部屋は甘い熱気で満たされていった。




 ―――――――――――――


 明くる日、客人の男の策に従い白姫は動き出す。


 白姫は想い人との接点を繋ぐ為の布石として温泉宿を開き女将となった。糧になる男の精気を得やすくなった事で、以前より力も増した。


 ようやく積年の願いが成就する。


 白姫は零れる笑みを着物の袖で隠すと、まっすぐ目的の場所へと向かった。


「おお、白姫殿!持て成し感謝致しまする」

「いいえ、名高い付喪神で有らせられる雲外鏡様にご宿泊頂き光栄にございますれば」


「其なのだがなあ、儂は鏡の付喪神成れどその様な大物では御座らん」


「鏡と云えば神仏に供えられる尊い物ゆえに相応の持て成しを考えたまでで御座います」


「流石は神の御使いたる化身白姫か。教養に満ちておられる」

「滅相もない。妾は想い人に見向きもされぬ憐れな只の女に御座います」


「そうさなあ噂は兼がね…もう百年は経とうかの」

「ええ、ええ。せめて一目お逢い出来れば未練も断ち切れましょう」


「儂が想い人なれば、赦してやりても良けれど」

「そう言って下さるだけでも救われる思いですわ。妾も幸せに成りたいなど思うときも有りますれば」


「そうか…なら一目遠くより眺めてみるや?」

「いいえ…妾にそれは赦されず。想い人は遠い所に姿を隠しておいでなのです」


「儂は鏡の付喪神。一度きりと約束せば、天眼にて写し出してみせようぞ」


「本当ならば何時までもこの宿を利用される権利を是非」


「天眼写身の為に、白姫の一部を媒介に使わせて貰いたし」


 白姫は確実に成功させたいと思い、結った髪の中から大切に願掛けしておいた白く輝く薄い鱗の欠片を差し出した。


 銅鏡の付喪神は頷いて受け取ると、部屋の床の間に飾られていた大きな朱塗りの盃を持ち出し、水差しに入った水を並々と注いでいく。そして受け取った鱗の欠片を水の入った盃に浮かべ、柏手を打つと、水に波紋が広がった。


「もうやがて白姫の想い人が見えてくるぞ」


「あぁ…本当に?」


 波紋が静かになっていくと、水鏡になった盃からぼんやり写し出される人物が現れてくる。


「こやつは…」


 銅鏡の付喪神が言いかけた最中、水鏡の表面がぐにゃりと歪み、水面から天井へ赤い糸が垂らされる。


「干渉されたとな!?」


 銅鏡の付喪神は天井を見る前に、闖入者の手により人形ひとがたを強制的に解かれ銅鏡となって畳の上に転がされてしまった。


「さあ行っておいで白姫」


 闖入者の言葉を受けて、白姫は水鏡の盃へ人形を解いて飛び込んで行った。


 盃に満たされた水鏡の先は、暗く深い海の底のような空間になっており、人形を解いた白姫は白蛇の姿となって、身をくねらせて先へと進んでいく。


 迷いのない彼女を先導するのは天井から垂らされた赤い糸であり、蛇と同じようにしゅるしゅるとうねりながら流れに乗って目的地を目指す。


 息が続くギリギリの時間になって、ようやく糸が水面へ浮上していき、白姫も力強く身をくねらせて一気に水面へと飛び出した。


 息も絶え絶えに白姫はゆっくり周りを見回していき、ここが懐かしい見覚えのある場所だと気付く。


「ここは…懐かしい住みか」


 暗くて湿った母屋の床下。

 白姫は想い人の住む屋敷の床下に見事降り立つ事が出来たのである。


 屋敷の結界により近付く事はおろか、道具を使って姿を覗き見するのも叶わず、ずっと機会を待ち望んで待つしかなかった。


 悦び勇んで床下を進む彼女の側で、突如がらんがらんと床下にそぐわない大きな木板を打ち付ける音が鳴り響き、白蛇は頭を持ち上げ視界に揺れる木板を見つける。


 そこには彼女が床下で生活していた頃にはなかった、沢山の床束を紐で繋いで音を出す為の木板と土鈴がぶら下げられた侵入者用の罠が張り巡らされており、太く長い尾が触れてしまっていた。


「忌々しい…」


 あわよくば想い人の寝所までとの企みが削がれて、のろのろと憂鬱そうに明るい所に近付くと、白姫は人の姿となってゆっくり床下から這い出る。

 そこには予想通りに待ち受ける何者かの姿があった。


「まさかお前が現れてくるとはなあ」

「器の!」


 心の準備が整わない白姫は紅潮した顔を恥ずかしがって袂で隠し、潤んだ赤い瞳で黙って視線を送る。


 一方敵陣に飛び込んだと思えない相手の振る舞いにウツワノは訝しむばかりで、白姫の想いは全くもって通じて居ない。


「どうやってここを見つけた?」

「妾を不憫に思う者の計らいにて」

「今更何しに此所へ来た」


「妾と契りを交わしたというのに、女を囲っておるらしいの」


「契りとは何の事だ?お前は屋敷に大禍たいかを招いた報いで、放逐したってのに」


「それも器のが妾の慕情ぼじょうに応えぬゆえ」


「契り…慕…うん?御使いのお前が俗っぽい思考を?」


「…百年越しにようやくここまで」


 器の反応を見て白姫は憎らしいやら恥ずかしいやら、かといって逃げ出しては二度とここへは来られぬ為に踏み留まろうとモジモジしていると、赤い糸が彼岸花に姿を変えて次々辺りに咲き誇り出す。


 これを好機と見た白姫は、器のに音もなく忍び寄るとむんずと手を掴み、彼岸花の花びら舞い散らせて二人を包み込むとあっという間に姿を消した。


「ウツワノ!…遅かったか」

「ウツワノ様!」


 遅れて戦闘態勢を整え現れた付喪神とバトラーは、消え行く二人を前に一歩及ばず立ち尽くすのであった。




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