6-5.ありがとう、ございました
ヴェネトリアとベネディット親子の姿は完全に消え去ってしまった。
ベネディットはともかくも、ヴェネトリアはどうなったのだろうか。きっと、もう会うことはない。ただ願うべくは……彼女が仮初であっても救われてくれていれば、と思う。
「さてさて……」苦笑いを忍ばせながらロナが振り向く。「ヴェネトリアにかまけてばかりで、君の相手が遅くなってしまったね。待たせて申し訳ない」
「構わない。それよりも私から質問」
「なんだい?」
「貴女は何者?」
ここはきっと、願望器が作り出した世界。物理的、魔導論的な理解ははっきり言って私の理解が及ぶところではないが、おいそれと外部から干渉できるような時空ではないと思料する。にもかかわらず、ロナはまるで当たり前のようにここにいる。いくら神族とはいえ、普通の存在ではないと考えるのが当然だ。
「ま、そうなるよね。いいさ、ここまで来て隠す必要もない。私は、君たちが理解できる言葉で表現するなら、そうだね……白精霊の王と言えばいいかな? もっとも、神族になった以上は元、という但し書きがつくけどね」
……思った以上に大物だった。なるほど、そういえばロナは人間界の神族たちを束ねる会合の長とかしてた気がする。元精霊王ともなれば、そういう役割を求められるのも当然だ。
そしてそういう存在なら、こんな場所に干渉できるのも、融合した魂から精霊を引きはがすのだってできるのも然りだろう。とはいえ、なんでそんな存在が神族となって人間界にいるのかが甚だ疑問だけれども。
「前にも言わなかったっけ? 他の神族たちと同じで、君たち人間に興味があったからだよ。他に適任がいなかったからやむなく引き受けたけど、王だなんて肩凝る立場はまっぴら御免だったしね。君らを観察しながらのんびり過ごす日々は、うん、実に格別だった」
「本当に?」
「本当さ。まあ他にも、突然いなくなった友人を探すって目的はあったけどね」
「……それは、私と融合した精霊のこと?」
「さすがに気づくか」
ロナが私を見て苦笑した。気づくに決まっている。でなければ、精霊と融合した私が経営するカフェに、元精霊王の神族が居着くなんて都合のいいことがあるはずがない。
「居着いてしまったのは、カフェ・ノーラの居心地が良かったからなんだけどね。とはいえ、カフェ・ノーラにたどり着いたのはノエル、君と融合した精霊を探した結果なのは間違いない。本当は、すぐに君から精霊を引き剥がして精霊界へ返してあげるつもりだったんだけど……」
「難しかった?」
「そうだね。君に施されてた術式がとんでもなく複雑だったし、融合度合いもかなり進んでいた。ここみたいに肉体が意味を失った時空じゃなければ到底不可能だったんだ。だけど君の中の精霊も案外居心地良さそうにしてたからね。ノエル自身も力を悪用してたりすることもなさそうだったし、人間界に長居するつもりでもあったから当分様子見しようと思ってたらすっかりカフェ・ノーラにハマってしまったってわけさ」
常に閑古鳥が鳴いていた店で、それなりにお金を落としてくれるロナの存在はありがたかった。ぜひこれからもカフェ・ノーラを贔屓にしてほしい。
「もちろんそのつもりさ。ま、私のことはそれくらいにして……ノエル」
「なに?」
「君は、これからどうしたい?」
問いかけの真意を理解しかねて、私は首を傾げた。
「意味が不明瞭。もう少し意図を明確にしてほしい」
「ああ、すまない。もうあまり時間が無いから少し焦ってしまったね。
君も何となく理解しているだろうけれど、ここは願望器の中の世界だ」
「ここまでの出来事から推察するにその可能性が一番高いと思っていた。それで?」
「さっきも言ったとおり、外から儀式の進行を食い止めているけれども、すでに願望器は実体化している。そしてまだ力を失ってはいない。だから精霊と融合したままの君なら、願えば叶う可能性はある。たとえば――君の大好きなお兄さん、エドヴァルド・カーサロッソを生き返らせるなんてこともできるかもしれないよ?」
エドヴァルドお兄さんが生き返るかもしれない。ロナのその言葉に私の心は確かに揺れた。なるほど、確かにそれは魅力的な願いだと思う。
「願った場合、世界はどうなる?」
「願望器の力は放出されて世界は半壊するだろうね。もっとも、願ったところで必ずしも願いどおりになるとも限らないけど」
どちらでも構わないよ、とでも言いたげにロナは微笑んだ。それから私の後ろを指差した。
彼女に促されるように振り向く。そこにはエドヴァルドお兄さんが立っていた。死ぬ前と同じ笑顔を浮かべて、けれども元気そうに両足で立ち、ポケットに手を突っ込んでどこか気怠げな態度。一緒に仕事をしていた時によく見ていたままの姿でお兄さんが、いた。
お兄さんが「よっ」と軽く手を振って、笑う。つられて私も口元が緩む。そして、目尻から涙がこぼれたのを自覚した。
当時は自覚していなかったけれど、たぶん私はエドヴァルドお兄さんのことが好きだった。恋とは言えない未熟な感情で、そんな感情さえよく理解できてなかったけれど、きっとそうだと思う。そうでなければ、今の私のこの感情に説明がつかない。
だとしても。私は首を横に振った。
「いいのかい?」
「いい」
お兄さんに言いたいことはたくさんある。生き返ってほしいとも思う。それに。
「エドヴァルドお兄さんからはたくさんのものをもらった。それを返せないのは苦しい」
「なら――」
「でも、お兄さんは死んだ。たとえ生き返ったとしてもそれは覆らない事実。なら私は前を向く。これからを自由に生きる。お兄さんが、私に願ってくれたように。だから私から返せる言葉は一つだけ」
お兄さんに体ごと向き直り、涙を拭って、そして目一杯の笑顔を浮かべる。
「ありがとう、ございました」
お兄さんの幻影がみるみる内に薄くなっていく。口が動いて何かを私に伝える。声は聞こえない。だけど何と言ったか、私には分かったような気がして大きくうなずいた。
そしてお兄さんの姿は、完全に消えていった。
「君ならそう言うと思ったよ」ロナが笑った。「なら、君と融合していた精霊も自由にしてあげていいかい?」
「構わない」
私がうなずくと、ロナが先程ヴェネトリアにした時と同じように手を動かして魔法陣が浮かび上がり、そこに向かって私の中から黒い靄のようなものが吸い出されていく。それが人の形を象って私の周りをグルグルと回った。名残惜しいと言っているらしい。うん、私も寂しい。もうずっと、私の半身だったのだから。
手を伸ばすとまるで小動物のようにすり寄ってきて、それから冥精霊は私の額にキスをして離れた。バイバイ、と手を振ってきて、私もバイバイと手を振り返す。最後に一度私の周りをクルリと回って、それからロナの額を一度、「バシンッ!」と思いっきり叩いてから消えた。
「……遅くなったのは確かだけどさ、そんなに怒らなくてもいいじゃないか」
ロナが額をさすりながらぼやく。精霊王だったとロナは言っていたけれど、たぶん私の中にいた冥精霊とはその前からの旧知の仲、それもかなり仲の良い友人だったのだろう。
「ふむ……どうやらそろそろ時間のようだよ」
何かを感じ取ったロナが見上げると同時に、世界にヒビが入り始めた。パリパリと、ガラスにヒビが入るような音が鳴って破片が崩れ落ちていく。
「お疲れ様、ノエル。君の仕事はもう終わりだよ。あとは私たちに任せて、ゆっくり休んでほしい」
そして「ガシャン!」と一際けたたましい音を立てて世界が崩壊した。立っていた足元も崩れて私も投げ出される。その途端、現実世界へと戻ったせいか、途方もない疲労が全身を襲ってきた。
ただ、眠い。
落下しながら目を閉じ、すぐに意識が遠のいていく。もう、何も考えられない。
やがておぼろげになった意識の中で、ふわりとした浮遊感を覚えた。心地よい温もりに包まれ、そして背中に感じる誰かの体温。
その手は温かくて、力強かった。ふと、頬に何か雫が落ちてきたので力を振り絞って目を開けた。
そこに、シオの顔があった。
「おかえり、なさい……ノエルさん」
だから私は、微笑んだ。
「ただいま」
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