5-5.ママを待っててね
運命というものを信じていなかったけれど、夫と出会ったのはまさに運命的だと私は思った。
容姿は平均的な域を出ない。収入が特別多かったわけでもなく、穏やかで優しい性格だけど、反面頼りなさもあった。
それでも私は彼を愛した。出会ってから夫婦になるまでそう時間が掛からなかったのは、彼の境遇もあったからだ。
私同様に家族はおらず、両親は事故で亡くなっていた。彼の義手はその事故の時の名残とのことだ。
だけれど、真の理由は私も彼も、寄り添う人を、寂しさを埋めてくれる人を探していたからかもしれない。精霊がいつも私と一緒にいてくれたから孤独では無かったけれど、それでも同じ人間と一緒に過ごしたいという思いは常に抱いてた。
町の教会でささやかな結婚式を行い、町の人々に祝福してもらう。愛する人との生活が始まり、やがて、私は息子を出産した。
私は幸せの絶頂だった。不遇だった最初の十数年。その時に得られなかった幸せを今一気に味わっているのかもしれない。そんな、時間だった。
だけど――終わりはいつだって唐突にやってくる。
「残念ながら……――」
子どもが生まれて三年、夫はあっさりと亡くなってしまった。原因は交通事故。夫が乗り合ったバスが、雨で生じた地すべりに巻き込まれてしまったのだ。
聞けば、夫はたまたま隣に座っていた他所の子どもに覆いかぶさるようにして死んでいたらしい。その女の子はかろうじて一命を取り留めたようなのだけれど、その夫らしい行動も私には何の慰めにもならなかった。
いつか別れが来ることは分かっていた。だけど、今日ではないはずだった。もっともっと後で、夫が年老いて別れが来ると信じていたのに。
「ママ……泣かないで?」
それでも私に泣き伏せている余裕は無かった。慰めてくれようとしている優しい息子、ベネディット。この子との生活は続いていくのだから。
心に蓋をし、子どもの前では笑顔を見せながらまた次第に私たちは新しい日常を作り上げていった。息子も、やっぱり最初はパパがいないことが寂しくて泣いてもいたけれど、それも時間が少しずつ癒やしてくれた。あの子が六歳になる頃にはもう、夫がいない以外は変わらない穏やかな日常を送れるようになっていた。
それでも、だ。
「ねぇ、何したの?」
「殺人未遂らしい。働きもせず酒浸りのうえ、奥さんを殴り殺そうとしたって話だ」
町を歩いてる途中で人集りを見つけ、野次馬の輪の隙間からチラリと覗く。警察に連れて行かれている男は赤らんだ顔でヘラヘラしていた。
(――どうして)
こんな男が平然と生きていて、あんなに優しくて虫さえ殺したことのないような夫があっさりと死ぬのか。理不尽だ。実に理不尽だ。遠くから宗教家が教えを説く声が聞こえる。神は何も救ってはくれない。私が奴隷であった時も、だ。彼らの説くような神が本当にいるのなら、もっと悪いやつは減って、いい人ばかりの世界になっているはずだ。
本当に、世界は理不尽だ。
「おかえり、ママ……どうしたの?」
湧き上がる憎悪を抑え込み、足早に家に帰るとベネディットが出迎えてくれる。彼を抱きしめれば気持ちも穏やかになってくる。
「ううん……なんでもないわ。ただギュッとしたくなっただけよ」
せめて、せめて理不尽がこの子に降り注ぎませんように。
息子を抱きしめ、ただそう願うしかなかった。
けれど――そんなささやかな願いさえ、世界は認めてはくれなかった。
私の世界が一変するのはあっという間だった。
その日は何の変哲もない夜だった。私もベネディットもまったくグッスリと寝入っていて、そんな静まり返っていた町に突如、けたたましい警報が鳴り響いた。
「空襲……!?」
少し前に私の住むこの国を含めた数カ国が戦争状態に入った、というニュースは見た。愚かしいとは思うものの、一個人に政治をどうにかすることなどできようはずもない。それに、戦争状態に入ったとはいえ、民間人への攻撃は条約で禁止されていて、古代のように無関係な町を蹂躙する野蛮な攻撃など起こりうるはずがない。だから大丈夫。
そう言い聞かせつつも、不安は否めなかった。急いで子どもを起こし、シェルターへ逃げようと思った。
その時、視界が真っ白に染まった。
猛烈な突風が私を吹き飛ばし、体の至るところに何かを突き立ててくる。だけれども押しつぶそうとしてくる圧力のせいで悲鳴も上げられない。
そのままぷつりと意識が途絶える。そうして気づけば、私は夜空を見上げていた。
どうして空が見えているのか、最初理解ができなかった。パチパチと木が燃える音が聞こえ、夜空に黒い煙が入り混じる。痛みを覚えて自分の体を見れば、至る所が真っ赤に染まっていた。
幸い精霊の力のおかげで傷はあらかた塞がっている。痛む体を堪えながら立ち上がってみると、町の姿は一変していた。
私が大好きだった町。夫が愛していた町。息子が笑顔で走り回った町。それが――焔に包まれていた。
「あ――」
立ち並ぶ家屋が完膚なきまでに破壊されて、町全体が真っ赤に燃え上がっている。空を見上げれば、編隊を組んだ航空機たちが遠ざかっていっていた。それを私は呆然と見送るしかなくただ立ち尽くしていたが、大切なことを思い出した。
「そうだ――」
ベネディットは、あの子はどこにいる……? 付近を見回してもいない。寝ていたベッドは横倒しになっていて、けれども、いない。
どこ、どこに行った? 廃墟となった二階の部屋を探し回る度に、血の付いた足の裏がペタペタと貼り付いた。そうして二階から階段を覗き込んで――息が止まった。
「あ、あ……」
ベネディットは階段の下で、奇妙な体勢で寝ていた。急いで駆け下り抱き上げる。体を揺する。
「お願い……目を開けて」
そう絞り出す。だけどどれだけ声を掛けても、どれだけ頭を撫でても、どれだけ体を揺すっても、息子は目を開けてくれることはなかった。
もう笑いかけてくれることもない。もうわんわん泣くこともない。もう愛らしく怒った顔を見せてくれることもない。もう――抱きついてくれることもない。
「あああああぁぁぁぁぁぁっっっっっ――」
湧き上がってくるどうしようもない感情に、叫ばずにいられなかった。
どうしてこの町が攻撃されたのか。どうして、この子が死ななければならないのか。
悪いのは何だ? 私が悪いのか? 私が何をしたのか? この子が何をしたのか? 殺されなければならないほど都合が悪い存在だったか?
世界は理不尽に満ちている。分かっている。そんなことは夫が死んだ時、もっと言えば、私自身が奴隷だった頃から嫌というほど理解していた。だからといって――こんな理不尽があるだろうか。
「この子を、殺したのは誰だ……?」
問いに対する答えは――「世界」。少なくとも、私の頭に浮かんだ答えはそれだった。
(――■してやる)
かつて、激しい痛みの中で抱いた感情を思い出す。同時に、その時に白い世界で見たシルエットも思い出して、私の中に天啓にも似た衝撃が走った。
苦痛の記憶とともに未だに覚えている、私の元所有者が口走った「願望器」という言葉。あの時に私が見た影はきっとその願望器が形となって現れたもの。そしてあの時、何もかもが吹き飛んだのはたぶん、私の願いを叶えてくれたからではなかったか。
願望器なんて頭のイカれたあの男が作り出した妄想の産物だと思っていたけど、もしそれが真実だとすれば。
「……ママを待っててね。ちょっと時間がかかるかもしれないけど、必ず迎えに行くから」
そうと決まれば落ち込んでいる暇はない。一刻も早く方法を調べなければ。
魂を失ってしまった亡骸を抱えて立ち上がり、私は燃え盛る町から姿を消したのだった。
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