4-6.私は――行かなくてはならない
クァドラが去り、空間が静寂と落ち着きを取り戻したのを認めると、私は気を失ったシオたちをカフェ・ノーラに運び込んだ。
店舗部分はすっかり壊れてしまっているけれども、幸いにして奥の倉庫部分と二階の住居部分は無事。クレアとアレニアはクレアのベッドに寝かせ、シオには私のベッドを使ってもらうことにした。
クレアとアレニアの二人は、私の見立てでは命には別状はなさそう。多少の怪我はしているけれど骨折など重篤な傷も見当たらないので、そのうち目は覚ますと思う。
どちらかと言うと、シオの方が危険な状態のように思う。限界を超えて動き続けた肉体はあちこちで損傷らしき内出血が見られるし、何より魔素の枯渇で顔色が相当悪く息も荒い。
「シオは頑張りすぎ」
私のためにあそこまでクァドラと張り合うことは無かったのに、と思う。私なんかよりも自分の方を大切にするべきだ。
だけども。
「嬉しかった」
そう言ってシオに口づけして有り余っている魔素を流し込む。
閉ざされたあの世界で聞いた彼の叫び。私を想ってくれる気持ちがハッキリと伝わってきた。あの声が聞こえたからこそ、朧げだった世界で私はここを、シオのそばにいることを選べたんだと思う。
心の中でシオに感謝を述べながらしばらく窺っていると、シオの顔色に赤みが戻って呼吸も穏やかになってきた。どうやら魔素が体に馴染んできたらしい。
「良かった」
最後に水魔導で体の回復を促す。私は水魔導が得意ではないので気休め程度だけれど、あと数日経てばシオも万全に回復してくれると思う。
椅子から立ち上がり、シオの頬に触れる。金属の指先からでも体温が感じられた気がして、つい顔がほころんだ。このままずっと彼の寝顔を眺めていたい。でも私にはやらなければならないことがある。
「クァドラの言うとおり――」
私は行かなければならない。そんな気がしている。
世界が危うい。私の中の精霊もそう囁いているし、精霊自身、クァドラたちが母と呼ぶ存在――ヴェネトリア・トリステメーアのところへ向かいたいと訴えてきている。
シオたちと楽しい思い出を作る。今、世界で何が起きているのか正確に理解できてはいないけれども、そのためにも今の危うい事態を止める必要がありそうだ。私は踵を返してシオに背を向けた。
が。
「シオ……?」
「……行かないで、ください」
いつから目を覚ましていたのだろうか。腕に抵抗を感じて振り向けば、袖を弱々しくシオがつかんでいた。
「行かないでください」
もう一度シオが繰り返した。うつむいた彼の顔は見えないものの声は涙に濡れていて、私の胸は強く縛り付けられたような心地になる。彼の要望に応えてあげたいけれど、そうはいかない。
おそらくは疲労感で弱気になっているのだろう。シオを諭すため、もう一度椅子に座り直した。
「ダメ。ヴェネトリアやクァドラが何をしようとしているかは分からない。だけれど、このままだと世界に危機が生じる。止められるのはきっと私だけ。だから――」
行かなければならない。そう続けようとして私の口は止まった。
なぜなら、シオが私に抱きついてきたから。
「世界なんて、どうだっていいじゃないですか」涙声が耳元で聞こえた。「もうノエルさんはいっぱい頑張ったじゃないですか。いっぱいきつい思いしてきたじゃないですか。世界の危機が何なのか分かんないですけど……そんなものまでノエルさんがどうにかする必要なんて、どこにもないんです」
「シオ」
「クァドラさんも言ってました。ここにいれば、運が良ければ生き残れるって。クレアさんやアレニアを連れて、もっと迷宮深くまで行きましょう。そうすれば地上で何が起きたって大丈夫です」
そう言ってシオは涙でびしょびしょになった顔で私に笑いかけた。
正直なところ、彼の提案に魅力を感じないかと言ったら嘘になる。この地下迷宮にいても私たちならきっと生き残れると思うし、今後の生活だって大丈夫。食料は困らないし、水も火も問題ない。たぶんだけれど、数年前の、ヴォルイーニ帝国が滅んでクレアと二人で生きていた頃の私であればシオの提案にうなずいていたと思う。
でも。
今の自分を振り返り、自然と口元がほころんだ。
「シオの言うとおり、私たちは大丈夫かもしれない。だけど……他の人たちは無事では済まないと思う」
最近私とシオで指導した王立学院の生徒たち。臨時職員として働いたエナフの町のギルド職員たちやミュルデル姉弟。シオが頑張って助けたフランコに、リヴォラント共和国のハンネス。それからこのルーヴェンギルドのみんなにサーラやランドルフ。この数年間でたくさんの人が私と関わり合い、私を人間らしくしてくれた。常識知らずで愛想を振りまくこともできない私と時間を共有した、かけがえのない人たちだ。彼らを放っておくことはできない。
「ノエルさんは……こんな世界でもまだ助けたいって思うんですか……?」
記憶を、感情を失って生きてきた私と違って、シオは見てきたすべてを記憶し、たくさんの怒りと絶望と悲しみを噛み締めて生きてきた。たぶん、シオは今も世界に絶望している。期待していない。だから推察するに、シオは自分の手が届く範囲だけ無事であればそれでいいと思っている。
「私は、世界に興味はない」
そしてそれは私も同じ。だけれど、シオは私とは違う。
「世界に興味はないけれど、それでも私は私の知っている人たちが、これからもずっと笑顔で生きていてほしい。そう思う。何より――シオにも笑顔でいてほしい」
シオは、とても優しい。世界に絶望しても絶望しきれず、期待しなくても諦めきれない。口でどうなってもいいと言いながら、多くの傷ついた人を見て心を痛める、そういう人。
「私はシオと笑っていたい。一緒にこれからずっと笑顔でいたい。だから――行かなくてはならない」
私の生身の左手と金属でできた右手。それがシオの両頬を撫でる。彼が愛おしい。だから、シオの笑顔を守りたい。私は、微笑んだ。
「……ズルいですよ、ノエルさん。そんな顔されたら止められないじゃないですか」
そして、私たちはどちらからともなくキスをした。優しく、力強く、お互いを確かめ合うように。
やがて離れる。シオの泣き顔は少し笑顔になった。それでもまだ不安そうなのでもう一度ついばむようなキスをした。
「ちゃんと……帰ってきてくださいね?」
なんとか笑みを作ったシオが問う。当然な話だ。帰ってこないなんてありえない。だって――
「私はシオの恋人だから」
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