4-4.これから、たくさん楽しい思い出を作らなきゃな
声が聞こえた。そんな気がして私は目を開けたのだけれど、周りには誰もいない。ということはやはり気のせいだったということか。
暗く静かな世界。見回しても周囲には誰もいなければ何もない。唯一ある「物」と呼べるものは私を閉じ込める檻だけだ。触れれば凍りついてしまいそうな程に冷たくて、押しても引いてもびくともしない頑丈さを有している。
そして私の全身は傷だらけだった。手も脚も腹部も、見えないけれどきっと背中もおびただしい傷で覆われていて、少しずつ血が滲み続けている。いつからこの状態なのかはよく分からない。つい最近のような気もするし、ずっとずっと昔からこの状態だったような気もする。
この檻は決して壊れない。そして私は外に出ることができない。傷は癒えない。それは揺るぎようのない事実だ。私は膝を抱えてうずくまり目を閉じた。
だけれどその時、扉が開かれて光が差し込んできた。まばゆさに目を細めて見ると光の中に誰かが立っていた。
「……誰?」
呼びかけに返事はない。顔はよく見えないが、シルエットから推測するにたぶん女性だろう。女性は私の問いに笑ったような気がした。
顔の見えない彼女が檻に近づいてくる。そして私を閉じ込めている檻の扉をあっさりと開けて、それから手を差し出してきた。
「そっちに……行けばいいの?」
檻から出てもいいのだろうか。私はずっとここにいた。ここが私の居場所だ。そんな想いが私自身にこびりついていて、出ていくことに強い不安を感じた。それが伝わったのだろうか、シルエットの女性が微笑んで私の手を握ってくれた。
女性の手から温もりが伝わってくる。私の冷え切った手とは対照的でホッとする。けれども、同時に違和感もある。果たして、■■の手もこんな感じの暖かさだっただろうか。どこか違う気がする。
それでも私にとってこの温もりは何事にも代えがたい。そう思う一方で、なおもまだ檻の中に留まっていたい気持ちもある。私がためらっていると、女性が少し強く私を引っ張った。どうやら早くここから出てほしいらしい。迷いながら私は檻から一歩外に出て――立ち止まった。
「……?」
檻の中から声が聞こえたような気がする。女性は手を引っ張って私を急かしてくる。けれど私はその声のような何かが気になって振り返った。
あるのは扉の空いた頑丈な檻。中は空っぽ。当たり前だ。私がいないのだから。そう思いつつよく見ると、真ん中に何か光るものが転がっていた。白と黒の色彩の無い世界の中でそれは鮮やかに色づいていた。
何だろうか。気になるものの、女性は私の手を握ったまま「アレは些細なものよ」と囁き、このまま気にせずここを出ていきましょうと言っている。そんな気がする。
それでも鮮やかなその球体から私は目を離せなかった。すると誰もいなかったはずの檻の中で、誰かがそれを拾い上げた。手のひらに乗せ、顔の高さまで掲げた時――その球体が弾けた。
その瞬間、世界が彩りであふれた。
「あぁ……!」
思わず声が漏れた。
真っ黒だった世界が様々な色で塗り直され、静寂しか無かったそこがいろんな音で満ちていく。モノクロームがパステルカラーに抑え込まれ、騒々しい音から楽しい音、悲しい音がどんどんと私を取り巻いていく。同時に映像が飛び出して私の周りをクルクルと回り始めた。
それは――私の記録だった。エドヴァルドお兄さんと死に別れ、クレアと旅をし、カフェ・ノーラを開いてシオと出会い、同時に色んな人と出会った。さらにシオから告白されて心が暖かかったこと、彼を愛おしく思う気持ち……それらが閉じ込められていた球体の中から飛び出して私へと戻ってきて――涙があふれた。
感情が、抱えきれないくらいたくさんの感情が私の中で渦巻く。それも次第に落ち着いてきて、やがて気づいた。
私が誰であったか。私が今の体に改造される前の、ただの少女――アイリス・クリーブランドであった頃のことも思い出した。すべてではないし、思い出した記憶もおぼろげなところは多い。それでも私は失っていた、否、思い出さないようにしていた記憶でさえ思い出して、ひざまずいた。
「う、あ……」
嗚咽が勝手に漏れていく。こんな記憶、今更思い出したところで私はどうすればいいのだろう。どう生きればいいのだろう。兵器としてたくさんの人を殺し、たくさんの街を破壊してきた。私の体は兵器へと改造され機械のままだし、無垢な人間にはもう戻れない。
どうしようもない感情に苛まれて私は動けなくなった。シルエットの女性は未だに手を引っ張ってくるし、私のことなどお構いなし。みんな、自分勝手だ。
と、ふと気づく。すべてが私の中へ戻ってきたと思ったけれども、一つだけ未だに私のそばで離れない映像があることに。
「なに……?」
濡れた目でそれを覗き込むと、そこにいたのはシオだった。シオがクァドラと懸命に戦い続けている姿を、それは延々と映し出していた。
速く、強いシオの姿。いつだったか、彼は私に言った。「私を守れるようになる」と、横に並んで戦えるようになると。それを体現するように、彼はクァドラと真っ向から戦い続けていた。
『ノエルさんを連れて行って何をさせるつもりなんですか、クァドラさん!?』
『それは言えないな! だが私たちにはノエルが必要なんだ。彼女にはやってもらわなければならないこと、彼女にしかできないことがある』
『貴女たちはいつもそうだ! 役割を自分勝手に押し付ける!』
『それが力を持つ者の宿命だよ』
『その力だって無理やり押し付けたものじゃないですかッ! 役目だとか存在意義だとかばかりこだわって……僕は、ただ生きてほしいだけなのに! 何にも縛られて欲しくないだけなんですッ!!』
聞こえてきたシオの叫び声に、私の胸の奥がギュッと締め付けられた。ただ生きてほしい。彼はそう願っている。
私は、兵器だ。鈍色の腕を見下ろす。兵器なのに、たくさんの人を殺したのに、今更そんなことを放棄して生きていいのだろうか……
すると頭にぽふっと手が置かれた。顔を上げればそこに――エドヴァルドお兄さんがいた。
「――悪かったな」
開口一番にお兄さんは謝罪を口にした。どうして、お兄さんが謝るの? 尋ねるとお兄さんは、生きていた時と変わらない柔らかい笑みを浮かべてくれた。
「まだたくさん教えてやりたいことがあったのに死んじまったからな」
「お兄さんが死んだのは、私が守れなかったから。お兄さんが謝る必要はない」
「それでも俺は、何として生き延びなきゃいけなかったんだ。ま、それはもうどうしようもない。死んじまったんだからな。けど、ノエル。お前は違う」
「何が違う?」
「お前はまだ、生きている」お兄さんが私を鋭く見つめる。「シオ君の言うことに俺は賛成だ。お前は兵器という役割を課されたと思ってるだろうけど、戦争が終わった時点でそれも終わった。お前はもう、自由なんだ。たとえ手足が武器だろうが、魂が精霊と融合してようがお前はお前。自分がしたいように生きていいんだぜ?」
自分がしたいように生きていい。そう言われてもどうしたらいいか分からない。
そう言うとお兄さんは苦笑いを浮かべた。
「そうだよな。今まで散々仕事押し付けられてきて、いきなり自由だって言われても何すりゃいいか分かんねぇよな。だから、楽しい思い出を作るためにどうしたらいいか考えるんだ」
「楽しい思い出――」
檻に、ヒビが入った。
それはお兄さんが死ぬ直前に言った言葉だ。「生きろ」。その言葉ばかり私の中に残っていて、その続きを忘れていた。ああ、どうして忘れていたんだろう。
うつむいた私にまたお兄さんが手を乗せた。それから髪を丹念に撫でていく。そういえばお兄さんは事あるに私を撫でていた。
「誰よりもお前は苦労したし辛い目にもあってきた。だからこれからの人生、たくさん楽しい思い出を作らなきゃな」
「……楽しい思い出を作るのは理解した。でも、どうしたら作れるのかが分からない」
「大丈夫さ。分かんなきゃ相談すりゃあいい。そのための相手は、今はお前のそばにいてくれてるだろ?」
モニターの中ではシオがまだ戦い続けていた。クレアとアレニアも、きっと親身になって相談に乗ってくれる気がする。
「ま、俺の話を聞くのも聞かないのも自由だ。ただ一度、全部のしがらみを捨てて考えるんだ」
「しがらみを、捨てる……?」
「ああ。フラットな状態で決めるんだ。そのうえで兵器という役割にこだわり続けるのも自由だし、自分で自分を縛り続けるのも、それもまたお前が選んだ選択だ。シオ君やクレアを捨てて一人誰もいないところで生きるのもありだし、世界に復讐したいってんなら復讐してやったって構わない。そして……平和な世界で楽しい思い出を作るために生きるのも、だ」
そんなことが許されるのだろうか。私の一存で、自由に決めることなんて。
「逆に聞くが、誰が許さないんだ?」
「……」
「戦争は終わったし、お前の所属してた軍は解体された。国も無くなった。誰もお前の出した答えを否定なんてできないしする権利もない。お前が、お前のために自分で決めるんだ」
なら――答えは決まっている。たくさんの楽しい思い出を、私は作りたい。
そして、そのためには。
「分かった」
心を決めたその瞬間、檻が砕け散った。檻の欠片たちは粒子となってパステルカラーの世界に溶け込んでいった。
クァドラと必死の形相で戦い続けるシオたちへ視線を移し、それから私は姿が薄くなったシルエットの女性を見上げた。
握っている手からは変わらず温もりが伝わってくる。女性はなお手を引っ張っているし、私にもまだ彼女に付いていきたい誘惑は残っている。
(でも)
私が行く道はそっちじゃない。鈍色の手を、女性の手の上に重ねた。
女性の顔は見えなくても、驚きは伝わってくる。彼女が何者なのかは分からない。純粋な好意じゃなくて思惑もあるのだろうとは思う。それでも私を檻から出そうとしてくれた、その行為には感謝する。
けれど、私が共に歩きたいのは貴女じゃない。抵抗してくる彼女の手を強引に私の左手から引きはがした。
直後、まばゆい光があふれて私はどこかへ向かって浮き上がっていったのだった。
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