7-1.これから教えて欲しい
「失敗した?」
紅茶を楽しもうとしていたヴェネトリアは、報告に思わず耳を疑った。
今回の件で遣わせたのは「三番」と「六番」。今のノエルであっても一対一なら分が悪いだろうが、二人を相手にすれば十分に成功すると見立てていた。
まして、「三番」は未だやんちゃが過ぎるきらいがあるものの、「六番」は冷静・合理的に物事を進めるパーソナリティの持ち主。上手くやり遂げてくれるものと予想していたが――
「撤退が合理的と判断する事情があった、と見るべきかしら」
カップをソーサーに置き、報告をしてきた少女に目を遣る。メイド服を来た白髪の少女は恐縮した様子で、深々と彼女に向かって頭を下げている。
「『妹』たちが、申し訳ありません。ご処分は如何様にも」
「原因も見極めずに処罰を下すのは愚の骨頂よ。まして、貴女たちは私の可愛い『娘』たち。一度や二度の失敗でどうこうするつもりはないわ」
「寛大な御心、感謝致します」
「それで、六番はなんと報告してきたの?」
「それが……」
少女はどう報告するかためらった。だが、ここで口ごもっていても仕方がない。彼女は束ねられた書類をヴェネトリアに差し出した。
「六番からの報告書に専門的な記述が多く、お恥ずかしい話ですが私では十分に理解することができませんでした。ただ、コード00に刻まれていた魔法陣に何らかのトラブルがあったと」
「ふぅん、ちょっと見せてちょうだい」
書類を受け取るとヴェネトリアは小さく笑った。なるほど、ぱっとめくっただけでも魔法陣の解析や魔導式に関する記述が多い。彼女自身の知識を存分に分け与えた六番なら普通のことだろうが、他の姉妹たちでは読むことすら難しいだろう。
つまり、失敗した原因は技術的なトラブルか。六番は失敗したからといってそれをごまかすような娘ではないから、ここには事実のみが記載されているはずだ。
ヴェネトリアは黙って読み進めた。時にうなずき、時に独り言を漏らしながら読んでいたが、レポートの中核に近づいたところで、はたと手が止まった。
考え込む。しばしそうしていたが、不意に彼女は笑い声を上げた。
「お母さま?」
「あー……なるほどなるほど、そういうこと。ごめんなさいね。これは流石に想像してなかったわ。
犯人は……やっぱりあの子かしら? ノエルとはずっと一緒にいたわけだし」
ひとしきり笑って喉が渇いたのか、ヴェネトリアはカップを差し出した。そこに少女がポットの紅茶を注ぎ、一口飲むと書類を少女へ差し返した。
「状況は理解したわ。これは、そうね……事故みたいなものね。まさかこんな事が起きるなんて、誰にも予想できないわ」
「それでは……」
「ええ、これは仕方ないわ。むしろ貴重な情報をくれてありがたいくらいね。三番と六番にはお疲れ様、と十分に労ってあげて」
「お母さまからそうおっしゃって頂けたなら、二人もきっと喜ぶでしょう」
失礼します、と少女が頭を下げて部屋を辞する。一人になった部屋でヴェネトリアはふむ、とソファに体を預けた。
「本当にこれは想定外だったわ。技術的には面白い話だけれど、今のあの娘の状態が分からない以上、すぐに手を打つのは難しいかしら……
時間的猶予は然程ないけれど、急いては仕損じる。まずは状況把握が必要か……となると――」
ヴェネトリアはニヤリと口元を歪める。その顔は悪巧みを思いついた少女のようで、立ち上がると自身の机へと向かい、引き出しから便箋を取り出した。
「しばらく待っていなさい、ノエル。そう遠くない未来に会いましょう――」
「……ここは?」
目を覚ますと視界に入ってきたのは天井。それも、幾度となく見上げて木目模様まで覚えてしまったよく知る天井だ。
感じるシーツの肌触りからして、どうやら私はベッドに寝ているらしい。しかし昨夜にベッドへ入った記憶は無い。
そんなにも疲弊していたのだろうか、と首を捻り記憶を探る作業を始める。するとすぐに記憶の波が押し寄せてきた。
確かシオと「デート」をして、それから彼が誘拐されそうになりアレニアと一緒に駆けつけた。そこで女性二人組と戦って、そして――
一気に血の気が引いた。シオが、人質に取られたのだった。体から熱が引いていくのを感じて急ぎ体を起こす。寝ている場合ではない。大至急彼を助けに行かなければ――と一人で焦り、そこでようやく私は左手に伝わってくる温もりに気づいた。
「……シオ?」
傍らに、彼がいた。
椅子に座って静かに眠って。
「……」
体から緊張が抜ける。何がどうなって私と彼がここにいるのかは一切分からないけれど、無事で何よりだ。私は安心した。
と、そこで扉がノックされた。応じると扉が開き、そこにはロナがいつもどおりの笑みを浮かべて立っていた。
「おはよう。そろそろ起きる頃合いだと思っていたよ」
トレーに持っていたカップを傍らのサイドボードに並べる。カップからは湯気と共にコーヒーの香りが立ち昇っていて、それに刺激を受けたのか、はたまた私とロナの会話のせいかは分からないけれどシオが身じろぎを始める。
そして。
「ん……あ、ああ! ノエルさん!?」
目を開けるなり、シオが大声を上げて立ち上がった。私の肩を掴んで腕や背中をペタペタと触り始め、やがて大きなため息を漏らしてまた椅子に崩れ落ちていく。一体何だったのだろうか。
「良かったぁ……もう目覚めないんじゃないか、なんて思っちゃいましたよ……」
「おおげさ。私は元気」
「なら良いですけど……三日も眠り続けてればおおげさにもなりますって」
その言葉に私の方も驚いた。まさか三日も眠り続けてたとは思わなかった。彼が心配するのも当然の話だ。
「どこか痛いところとか無いですか?」
「問題ない」
問題ないどころか、すこぶる快調と言える。しかし三日。推測するに相当に消耗したらしいけれど、私が意識を失った後で何があったのだろう?
「話せば長くなるんだけどね」
ロナが説明をしてくれる。話を聞いていると、ぼんやりと記憶が刺激された。どこまでも曖昧で、到底記憶しているとは言えないレベルではあるけれど、なんとなく私の中から何かがあふれ出したような、そんな感覚は体にまだ刻まれていた。
しかし、どうして精霊が暴走したのだろうか。融合して以来、ずっと安定して私とともに生きてきたのに。トリーにセイ。そう名乗ったあの二人は私を何処かに連れて行きたかったみたいだけれど、その目的はいったい何だったのか。
「気にはなるところだけどね。とはいえ、みんな無事に帰還できたことだし、今はその事を喜んでいいと思うよ」
確かにそうかもしれない。かなりの危機にあったとは思うけれど、私も精霊に飲み込まれずにこうしてカフェ・ノーラに戻ってこれた。シオも連れ去られなかった。これで彼女らが諦めるとも思えないけれども、ひとまずは無事を喜ぶべきかもしれない。だいぶ消耗した魔素もどういうわけか回復しているみたいであるし。もっとも、義手も義足もボロボロなので、クレアに新しいものを作って貰わなければならなそうではあるのだけれど。
大きく息を吐き出す。と、ふと横を見れば椅子に座って肩を落とすシオがいた。どうしたのだろう?
「ノエルさんを守るって約束したのに、守るどころかまた助けてもらって……無事だったから良かったですけど……自分が情けないです」
「そんなことはない」
最初に彼を連れ去ろうとしたあれだけの諜報員たちを一人で撃退したわけだし、十分立派だと思う。少なくとも恥ずべきではない。
それに。私はシオの手を握った。
「シオは私を守ってくれた」
「え?」
「シオが呼びかけてくれたおかげで、私は精霊に飲み込まれずに済んだ」
意識も記憶もおぼろげだけれど、それでも暗闇に閉ざされていた私の意識にシオの声は確かに届いていた。そこは覚えている。
彼の声は、光だったと思う。精霊と思しき存在に私の意識は塗りつぶされかけていて、でも彼の声が聞こえたことで私は私を取り戻そうと思えた。抗おうと思った。シオのところに戻りたい。そう思えて、だからこそ精霊に飲み込まれずこうしてシオとまた会えた。
「ありがとう、シオ。心から感謝を」
「ノエルさん……」
こうしてシオの顔を間近で見ていると、暖かいものが私の中で広がっていく。
少し胸が苦しくて、だけど嫌ではない。エドヴァルドお兄さんやクレアに対して抱くのにも近いように思えるけれど、何かが異なる。この感情は、なんだろうか。
「それはきっと、好きだということだと思うよ」
ロナが優しい口調で教えてくれる。シオの顔を見れば、ポカンと口を開けていた。そして頬が少しずつ赤く染まっていく。
そう、これが好きという感情……理解した。ならば、この間伝えられなかった返事を今、ここで伝えたい。
「シオ」
「は、ひゃい! な、何でしょうか!?」
「私は兵器。そうしてずっと生きている。だから、恋人というものがどういったものなのか、何をすればいいのか、正直分からない」
「ノエル、さん……」
「それに先日みたいな事件にも巻き込まれる可能性は高い。危険は常につきまとう」
「今更ですよ」シオは小さく苦笑した。「そもそもこの店で働いている時点で危険ですし、それに、ノエルさんと精霊の事を知った時点で巻き込まれることは覚悟してます。
そのうえで僕はノエルさんに告白したんです。今までノエルさんが守ってくれたように、僕も貴女を守りたいから」
「なら」
シオの手を強く握る。どこかで見たシーンを思い出し、シオを強く抱き寄せる。
「これから教えて欲しい。恋人とは何をすればいいか」
「簡単ですよ」
シオが私の頬に触れる。微笑む。胸が強く鼓動する。
――そして私たちはキスをした。
エピソード7「カフェ・ノーラと恋の詩」完
これにてエピソード7は完結。2~3週間後くらいにエピソード8を開始します。
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