6-3.さぁ――帰ろうか?
シオはノエルの後ろ姿に一瞬だけ破顔した。が、すぐに自身に起きた事態を思い出したのか悔しさに顔をしかめ、さらに周囲の異変に気づき緊張と怪訝さがないまぜになった表情で辺りを窺った。
「シオ……」
「……アレニア? アレニア! どうしたの? 大丈……!?」
隣で動けなくなっているアレニアの姿を認め、シオは立ち上がろうとした。だが、すぐに脚から力が抜けて膝をついた。
そして、気づく。黒き翼を広げて虚空を見上げる、自らの想い人の姿に。
最初は無表情に見えた彼女の表情が、最近はよく分かるようになってきた。そのつもりだった。ところが今の彼女の横顔からは何を考えているのか、何を思い描いているのかがまったく読み取れない。せっかく詰めた距離がまた遠ざかったようで、シオの胸が苦しくなった。
「アレニア……何があった? それにあのノエルさんは……?」
「よく……分かんないわ。私がヘマして捕まっちゃって……無抵抗のノエルが白髪にボコられた後であの青い髪の方が何かしてたところまでは分かるけど……そしたら急に変になって」
彼女自身も本当によく理解できていないのだろう。要点を得ない説明をしていたが、彼女はシオにすがりついた。
「お願い、シオ。ノエルを……あの娘を止めて。このままだと……ノエルがいなくなっちゃいそうな気がするの」
「……分かってる」
それはシオも感じ取っていた直感だ。彼女に何が起きているのかは分からないままだが、早く正気に戻さなければ取り返しのつかないことになりそうな気がしていた。
そこに、小さなつぶやきが風に乗って届いてきた。
「……かなきゃ」
「え?」
「行かなきゃ……」
小さくそう繰り返すと、ノエルは大きく翼を羽ばたかせた。ふわりと体が舞い上がり、重たい風がゴウっと辺りに吹き荒んだ。
シオがあおられて倒れそうになる。それでも力の入らない脚をなんとか踏ん張って飛び出し、そして今にも空高く舞い上がろうとしていたノエルの脚にかろうじてしがみつくことに成功した。
「ノエルさんっ! 何処に行こうって言うんですか!?」
「行かなきゃ……行かなきゃ……」
「ノエルさんっ……! こ、のぉ……!!」
シオはノエルの肩に手を伸ばそうとする。だが片腕だけだと黒い風に飛ばされそうになり、慌ててノエルの腰にもう一度しがみついた。
「くぅ……! ノエルさん、正気に戻ってください……!」
「帰らなきゃ、いけない……私は帰らなきゃ……お母さま……」
「そっちはノエルさんの家じゃありませんよっ!」
ノエルさん、ゴメンナサイ。シオはつぶやくとスカートのウエスト部に無理やり腕をねじ込んだ。指先がノエルの柔らかな肌に触れるが、そんなことに気を取られている場合ではない。
振り落とされない体勢で安定させると、ノエルの肩にようやく手が届いた。だがすぐにその手が強かに振り払われる。
「っ……!」
衝撃でバランスを崩すも、スカートに腕を引っ掛けたおかげで落下だけは免れた。
(痛い……けど!)
手がビリビリと痺れる。それでもノエルが本気を出せば自分などあっさり振り払えるはず。眼中にさえないなら、なおさら加減をする理由はない。
なら、まだ声は届く。
「ノエルさん! 僕は……まだ返事を聞いてませんよっ!」
浮き上がろうとするノエルの動きがピタリと止んだ。
「僕は僕の気持ちを伝えました! 貴女が好きだと伝えました! でもまだノエルさんの気持ちを聞かせてもらってません!」
「……帰ら、なきゃ……お母さまの……」
「ノエルさんの気持ちを聞くまで貴女を離しません!」今度こそシオは肩を掴んだ。「絶対に何処にも行かせません! 一緒に帰りましょう!」
「私、は……かえ……る……?」
「そうです! 店に――カフェ・ノーラに帰るんです! そして、みんなと一緒に働きながらゆっくり考えてもらって……ノエルさんの気持ちを聞かせてください! 貴女の家は……あの店なんですからっ!」
「――まったくだね」
聞き覚えのある声が届いた。シオはハッとして振り返ろうとするが、それよりも早くノエルの方が反応した。
腕を振るう。そこから黒い刃が声の主に向かっていった。だがそれも、放たれた白い光に飲み込まれて相殺され、誰も傷つけることなく消えた。
「……ロナさん?」
声の主はロナだった。いつの間にか現れた彼女は耳元の髪を一度かき上げると、ため息を一つ。やれやれと肩を竦めながらシオ、そしてノエルの元へ近づいていった。
「急に目が覚めて動揺しているのかな? どうにも君は昔から寝起きが悪かったからね……ん? いや、違うか。ああ、なるほど、幾重にも掛けられた魔法陣同士が干渉して制御できていないのか。いやはや、ただでさえ奇跡的なバランスで均衡が取れてたところに、他人が手を加えようとするとこうなるのも当たり前かな?」
フフッと小さく笑いながらロナは、地上に降りた小柄なノエルを見下ろした。シオに目配せして少し離れてもらうと、愛おしそうに彼女の頬に触れ、それから抱き寄せた。
「苦しかっただろう? 私に任せて――今はおやすみ」
そう告げてロナはノエルの胸元――先程、セイが魔導式を解除しようとしていた箇所に触れる。ノエルは抵抗せずロナを見上げ、彼女の行為を黙って受け入れた。
その途端、ノエルの意識が落ちた。崩れ落ちる彼女をロナは抱き支え、愛おしそうにつややかな黒髪を撫でる。
やがて黒髪がノエル本来の金色へと戻っていく。足元から広がっていた黒い影も彼女の体に収納されるかのように戻っていき、街にもポツポツと光が戻り始めていた。
ノエルはロナの腕に抱かれながら穏やかな寝息を立てていて、小さなその体をシオに手渡した。
「大丈夫。少し彼女の中の精霊が暴走気味だっただけさ。消耗度合いが激しいからしばらく目は覚まさないだろうけど、数日も経てば元気になるよ」
「よ……かったぁ……!」
シオは小さな体に似合わずずっしりとくるノエルの体をしっかりと抱きしめた。重さと安堵でその場に座り込み、彼女の首元に顔を押し付け、僅かな嗚咽を漏らし始める。その様子を慈しむように見つめつつ、ロナはアレニアへ手を差し伸べた。
「立てるかい?」
「ええ、なんとか。ところで……何をしたの?」
「秘密さ。まあ神族だけの秘術と思ってくれればいいよ」
ロナは柔らかい笑みでウインクした。整った顔立ちのため同性同士でもつい赤面しそうな魅力があるが、アレニアは胡散臭そうに眉間にシワを寄せた。だがそれ以上の追求はしない。どうせ突っ込んで尋ねてもはぐらかされるだけ。付き合いもそれなりに長くなっているのだから、なんとなくそれが分かった。
「さて、と――」
アレニアには柔和な笑顔を見せていたが、少し離れたところで傍観を続けていたトリーとセイに視線を向けると、笑みが消えた。
口元にはわずかに笑みの残滓があるが、鋭く射抜くような視線は到底好意的なものではない。
「ノエルは私たちに返してもらうけれど、構わないね?」
尋ねるような言い方。しかし、視線が拒絶を許さない圧を伴っていた。トリーが反射的に反論しようとするも――
「いいね?」
より強い圧力が込められた一言にトリーは押し黙るしかなかった。
セイが腕を引いて促す。トリーはまだ口惜しそうにロナを睨んでいたが、もう一度セイから「行きましょう」と背中を押されて空中に浮かび上がった。
「今日のところは一旦引きますわ。けれど、覚えておいてくださいませ。お姉さまはワタクシたちのところで過ごす。それが本来の在り方なのですから」
「それを決めるのは君たちじゃないよ」
ロナが小さく笑うとセイたちは顔をしかめ、しかしそれ以上何も言うことなく去って行った。
街に日常が戻ってくる。倉庫は見るも無惨に破壊されてしまっているが、元々がほぼ廃倉庫みたいなものだ。一応の所有主は困るだろうが、このまま何も見なかったことにして立ち去ったとしても大きな問題にはなるまい。
ロナはセイたちが去っていった方向と夜の街をぼんやりと眺めていたが、ふと吸いたくなってタバコを取り出した。普段は吸うこともほとんど無いが、こんな日くらいは吸ってもいいだろう。
一、二度、大きく吸い込み吐き出す。風精霊のものではない、自然の風が彼女の髪を揺らした。
「さて」
ロナはタバコをピンと指で弾いた。クルクルと宙を舞ったそれが、鮮烈な閃光に飲まれて消失する。
振り返る。アレニアとシオが、両脇からノエルを支えながら立っていた。
彼女には彼らがいる。ロナは目を細め、一瞬寂しさを覗かせてから笑った。
「さ、みんな。コーヒーを飲みに――カフェ・ノーラに帰ろうか?」
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