魔王覚醒!
はあ、はあ、はあ……
人通りのない暗い公園の沿道を、せつなとメイアが息を切らせて走っていく。
「せつな君……!逃げるって……何処に?」
そう訊くメイアに、
「……わかんね!とりあえず……『家』だよ!明るいとこ!人のいるとこ!」
必死でそう答えて、当て途なく走っていくせつな。だが、その時、
ぼふっ!
公園の生け垣を突っ切って、沿道に何か転がり出てきた。
「おわ!」
思わず立ち止まるせつなとメイア。
「ゆ……UMAぁ!」
せつなは目を見開いた。
なんということだろう。
転がり出てきたのは、先程公園の中の『何か』に飛びかかっていった、藻爺と名乗った毛玉だった。
緑色の繊毛に覆われた全身が、何かによってズタズタに引き裂かれ、道端に転がり、苦しげに体を震わせているのだ。
「メイア様……!面目ない、やられてしもうた……!」
藻爺が弱々しくそういった。
「……いや!UMAさん!」
メイアもまた悲鳴を上げた、その時。
ずさり。
生け垣を踏みしだいて、公園の闇の奥から『何か』が現われた。
「で……でかい!」
せつなは『そいつ』を見上げて、息を飲んだ。
沿道に立ち現われたのは、一見はホームレスと思われる、ボロ着を纏った壮年の男。
だがせつな達を見下ろすその身長は、2メートル近くもある。
「……うむぅ、『魔気』の匂う奴を、片っ端から『喰って』も良いとのお達しだったが、本当に『こいつ』でいいのか?」
男が、自分に言い聞かせるようにそう言って、首をかしげた。しわがれたその声は、間違いない。さっき公園の奥から聞こえた、あの声だ。
男が、のっそりとせつなとメイアに向かって歩いてきた。
「メイア様!逃げなされ!逃げなされ!」
道端から必死で叫ぶ藻爺。だが、その時には既に……!
「ひぃ!」
男の方に向き直ったメイアが、引き攣った悲鳴をあげた。
「う、嘘だろ!」
せつなもまた、愕然として足が竦んだ。
むくむくむくむく……
二人に近づいてきた男の体が、見る見る『膨れ上がって』いく。
ボロ着を内側から引き裂いて現われたのは、茶色い剛毛に覆われたぶ厚い胸板。
胸板同様に剛毛に包まれていくその手足からは、何本ものねじくれた、鋭い爪が飛び出した。
そして、その貌は、その貌は、口が耳まで裂けていき、中から覗いた真っ赤な舌と鋭い牙!
「ぐおおおおおおおおお!」
『変身』を果たした男が、夜空を仰いで咆哮した。
その姿は、二本の脚で立った身長2メートルを超える、巨大な狼だった。
「わ……人狼……!」
せつなは、眼前で起きた怪事が、未だに信じられなかった。
「グワオ……!やっぱり、ただの人間のガキじゃねえか……まあいっか『おやつ』がわりだ……」
二人の眼の前にやってきた人狼が、呻りを上げながらそう言って、右手を振り上げた。
「だ、だめだ!」
我に返ったせつなが、咄嗟にメイアの前に出ると、スクールバッグを人狼にかざす。だが、
ざくっ!
人狼の一撃は強烈だった。鋭い爪がスクールバッグを三つに引き裂き、せつなは、街路の電柱むかって弾き飛ばされた。
「うわああ!」
悲鳴をあげて飛んでいくせつな。ごち!電柱に体を強打して、彼はアスファルトに転げた。
「そんな!せつな君!」
メイアも悲鳴をあげて、せつなに駆け寄った。
「逃げろ!逃げろってメイア!」
痛みで動かない体で、必死にメイアにそう言うせつな。再び人狼が迫ってくる。
と、その時。……ぴたり!メイアの震えが止まった。
「……せつな君!」
せつなを見下ろすメイアが呟く。その声は悲壮。その目には覚悟。
たん!メイアが人狼に向き直った。
「来いよバケモノ!あたしが狙いなんでしょ!」
メイアが人狼に叫ぶ。
「せつな君に手を出したら、許さないから!」
メイアが、せつなの前に立ち、人狼にむかって両手を広げた。
「やめろ!やめろってメイア~!」
せつな必死で叫ぶも……!
「ぐるぁああああああ!」
人狼が再び、メイアに右手を振り下ろした。
ざしゅっ!
鋭い爪が、メイアの胸に突き刺さった。
「メイア~~~!」
せつなの悲鳴。
「メイア様~~!」
藻爺もまた絶叫。
だが…………!次の瞬間!
ごおおおお!
何だ?人狼が不審に首をかしげた。その時、
引き裂かれたメイアの胸から、蒼黒く光る『何か』が噴き上がった。
「うぉおお!」
咄嗟の事に戸惑いの吠え声をあげた人狼が、彼女の胸から己が爪を引きぬいた。
「あ……!」
せつなは思わず声を上げた。
メイアの胸から噴き上がり、人狼の右手を包んでいるのは、炎だった。
蒼黒く不気味な紫光をチロチロとゆらめかせた、奇怪な炎なのだ。
「ぐ……がぁぁあああああ!」
人狼が苦悶の声を上げた。怪物の右手に目をやったせつなは更に仰天した。
ぴきぴきぴきぴき……
炎に包まれた人狼の手が、白い湯気を上げながら、固まり……凍ってゆく!
何が起きたのだ!?
せつなはただ唖然として、メイアの背中を見ているしかなかった。
炎の勢いが止まらない。
メイアの紺碧のブレザーが、純白のブラウスが、彼女自身の体から吹き上がった蒼黒い炎に包まれて、見る見るうちに燃え落ちて行く。
「わわ!」
炎に覆われながら一糸纏わぬ姿となったメイアの背中から、せつなは慌てて顔をそらした。だが……
更に奇怪な事が起きた。
メイアを覆った炎が、彼女の裸身を舐めるように這いまわりながら、寄り合わさると、やがて彼女を包む新たな『衣服』を形成していったのだ。
……おお!
華奢な肢体をピッチリと覆っているのは焔模様をあしらった漆黒のボンテージスーツ。
その背中に纏っているのは、闇色に艶かしくたなびいたビロードのマント。黒髪のショートカットの周囲からパチパチと飛び散っているのは、紫色の輝く稲妻。
「ふぅぅぅぅう……!」
メイアの口から、溜息の様な、歓喜の様な、凄艶な息吹きが漏れた。
「……まったくせつな!女一人も護れぬのか……このヘタレが!」
メイアが、せつなの方を振り向いて、冷然とそう言った。
……別人だ!せつなは全身が総毛立った。
貌立ちこそ以前のメイアと全く同じだが、せつなを見下ろす表情はまるで獲物を見下ろす猛獣のそれ。
そしてその瞳は、緑色に冷たく煌いていた。
「おお……!メイア様!ようやく『お目覚め』に!」
道端に転がった藻爺が、感極まった声をあげて体を震わせている。
せつなは、先程の藻爺の言葉を反芻していた。
「ま……『魔王』メイア……!」
彼は、我知らずそう呟いていた。
「や……やはりこいつが……!『闇吹雪くメイア』!」
人狼が、右手をおさえながらメイアを睨み、猛然と呻った。




