襲撃
「あーん?」
せつなが眉をよせる。
毛玉が発した意外な一言。
……こいつ、メイアの名前に反応した?
毛玉を捕えたせつなの手が一瞬ゆるんだ、その隙をついて、
もふん!
毛玉の姿が瞬間、倍くらいに膨れ上がった。
猫が毛を逆立てるように、全身の繊毛をピンと伸ばしたのだ。
「おわああ!」
面食らって、咄嗟に手を放してしまったせつな。
ぼよーんっぼよーんっ
地面に落ちた毛玉が緑の体を弾ませて、せつなから逃げて行く。
「ごらあ!逃げんな!」
慌てて捕まえようとするせつなだが、四方八方に跳ねまわる毛玉になかなか追いつけない。
「メイア様!」
毛玉が再びそう言って、メイアの方に弾んで言った。
「うそ……!あたしの名前……!」
公園の柵ごしに呆然と立っているメイアの足元に、毛玉がやってきた。
「メイア!捕まえろ!踏みつけとけ!」
そう叫んでメイアのもとに駆けてきたせつなだったが、その時。
ぴょろりんっ!
「あ……!」
メイアは面食らった。
毛玉の体から、何かが生えてきたのだ。
その全身と同様緑色の、細長いモールのような『手足』だった。
ぱちり。
更に驚くべき事に、毛玉が『目』を開けた。
ボール状の胴体の真中に二つ並んだ金色のつぶらな目が、メイアを見上げた。
「メイア様!お探ししましたぞ!なぜ十年もお姿をくらませて!この爺にまで……!」
毛玉が、細長い手足を振り回しながら、メイアにまくしたてる。
「……おい、いったい何言ってんだ?」
メイアの側まできたせつなが、訝しげにメイアを見る。
「さ……さあ?誰かと、人違いしてる?」
メイアも首をかしげる。
「メイア様、なぜいつまでもそんなお姿で?『接界』が始まるまで、もう時間がありませんぞ!」
毛玉が、金色の眼玉をパチクリさせながら繊毛を震わせる。
「この街にも『魔気』がいくつも……他の『魔王衆』もすでに動き始めておりますぞ!さあ、早く放魔の儀を!」
先程までもみ合っていたせつなを意に介する様子も無く、なおもメイアにまくしたてる毛玉だったが……
「おい!」
せつなが、毛玉の体を背後から踏みつけた。
「むぎゅっ!……このガキ!何をしおるか~!」
せつなに気付いてジタバタする毛玉を、彼は再び両手で掴みあげた。
「勝手に一人で盛り上がんなよ……意味わかんねーし!」
毛玉に呆れ顔のせつなと、
「あのー?なんか人違いじゃないですか?」
メイアも、おずおずと毛玉にそう言った。
ぴたり。
「ん……?メイア様……?まさか……!」
一瞬、暴れるのを止めた毛玉の体が、ワナワナと震え始めた。
「ほ、本当に何も覚えていない……?人の身に封じられている……!!」
ぼわわ!再び毛玉の体が膨れ上がった。
「魔気が二つ……?近づいてくる!いかん!いかん!!」
毛玉の声に、驚愕と、焦りが生じた。
「……おい、どーしたんだよ?」
毛玉のただならぬ様子に、思わずそう尋ねたせつなに……
「小僧!メイア様をつれて、早くここから逃げるんじゃ!」
毛玉が、せつなの方に顔を向けて狼狽した様子でそう言った。
「逃げるって、何から、どこに?」
首をかしげるせつなに、
「もう遅い……来る……いや、来た!」
毛玉が、せつなの手の中でそう言って戦慄いた。
ばちん!ばちん!ばちん!
突如、何かが弾けるような音が辺りに響く。
公園と沿道を冷たく照らしていた街灯が、次々とその灯を消してゆく。
一際深さを増した公園の闇の奥から、『何か』が歩いてきた。
かさり、かさり
湿った落ち葉を踏む音が、だんだんこちらに近づいてくる。
「『吹雪の国の藻爺』か……珍しいヤツが出てきたな」
闇の奥からしわがれた声が響いた。男の声だ。
「じゃあ『メイア』も、もう動き始めたってことか……」
男の声に、これまた闇から応える透き通った女の声。
「『メイア』『メイア』って……いったい何なのさ……!?」
周囲を覆う異様な雰囲気に、メイアが肩を震わせてつぶやく。
「……小僧……わしを放せ」
毛玉が、せつなにそう言った。
先程とは打って変わった、重々しい声。何かを『決めた』声だった。
「いいか、わしを放したら、メイア様をつれて、死ぬ気でここから離れろ……!」
「あ……ああ、わかったよ……!」
闇の中から近づいて来る『何か』と、毛玉の気魄に気押されて、せつながそう答える。
せつなが毛玉を手放した。次の瞬間、
「でーーーーーぃい!」
毛玉は怒号を上げた。
「いかにも、わしが藻爺!最も古くよりメイア様にお仕えする!吹雪の国の大将じゃー!」
藻爺と名乗った毛玉が、闇の奥の何かに向かって、弾みながら跳びかかっていく。
「メイア!行くぞ!」
せつなが、メイアの手を引いて駆けだした。
「ちょっと……!せつな君!あの人は……!」
メイアが闇の奥を振り向いて戸惑いの声。
「いいから!逃げるぞ!」
首の後ろがチリチリする。何かヤバイ!せつなの本能もまた、強烈な違和感と恐怖を彼に告げている。
せつなとメイアは、全力で公園の沿道を走り出した。




