嵐の予感の火曜日
「……ッ!……ッ!……ッ!」
何処とも知れない夜の闇の中。
せつなは、一直線に続く暗い道を、息を切らせながら全力で走っていた。
「……ッ!……ッ!……ッ!」
辺りを見回しながら必死に、誰かの名前を呼ぶせつな。だがその声はせつな自身にも聞こえない。
荒く息を吐く音も、道路を蹴った足音も。ここは、音のない沈黙した世界だった。
だが、ぼおお。突然、世界に音が戻った。そして光と熱も。
「うわ!」
せつなは思わず片手で自分の顔をかばった。
彼の目の前にいきなり、真っ赤な炎が噴き上がったのだ。
熱風がせつなのアホ毛を揺らし、頬を叩いていた。
「……ここは!」
せつなは炎に照らされて闇に浮び上がった朱色の景色に息を飲んだ。
燃えているのは、カボチャの馬車や大きな顔のチェシャ猫。
炎を吹き上げながら大通りを行進して行く、お城やドラゴンを象った幾つものフロートだった。
揺らめく炎の向こうからは、巨大な観覧車や曲がりくねったジェットコースターの黒い影が、通りに独り立ち尽くしたせつなを見下ろしている。
ここは……遊園地? でもなんで? 俺はどうしてここに?
それより、あいつを探さないと!
せつなが、再び炎の中を駆けだそうとした、その時。
遊園地の大通りの向こうに、誰かが立っていた。通りを舐めていく赤い炎を背負って立った、黒い人影が。
炎の中でビロードのマントが揺れている。
メイア……。せつなは目を見張った。
立っていたのはメイア。両腕に、まだ学校にも上がっていないだろう小さな子供を抱き上げた、黒衣のメイアの姿だった。
メイア? なんでここに? 訳が判らずに目をしばたたかせるせつな。その時、
……せつな、起きろ。
はるか頭上からかすかな声が聞こえる。
メイア、その子……頭上の声よりも、炎の中のメイアに気をとられて、彼女に向かって、せつなが近寄ろうとした、その時。
「せつな! 起きろ!」
耳元でそう、はっきりとせつなを呼ぶ声が聞こえた。
次の瞬間。
ぼごっ!
せつなの鳩尾に鈍い痛みが走って、
「どげ~~!」
彼は情けない悲鳴を上げながら、自分のベッドから転がり落ちた。
「せつな! いつまで寝ているのだ! 今日も学校だぞ!」
せつなのベッドの上で彼の布団を引き剥がし、鳩尾を蹴りあげて彼を叩き起こしたのは、ブレザーを身に纏いスクールバッグを持った、メイアだった。
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「まったく、昨日は酷い目にあったぜ……」
火曜日の朝だった。ゲッソリした顔で学園への通学路を歩くせつなは、彼の前をスタスタと歩いて行くメイアの背中を見ながら、彼女に聞こえないようにボソリとそう呟いた。
昨晩遅く、お化け屋敷を出たせつなとメイア。
「いいかせつな、あたしが魔王であると知っているのは、冥条の連中と、お前だけ……。もし他の人間にあたしの正体を話したら……」
せつなと別れる間際、メイアは、彼女の自宅の前でせつなにそう言うと、彼の耳元に唇を寄せて……
「 殺 す か ら な 」
冷たく、そう囁いたのだ。
「ぃいいい言いません! 絶対言いません!」
冷や汗をドバドバ垂らしながらそう答えるせつなに、
「ならばよし! また明日な! ただいまぁ~、兄貴!」
メイアは凄艶な笑みを浮かべると、自宅の門の向こうに消えていったのだ。
独り残されたせつなは、唖然として、しばらく声も出なかった。
どうやら、メイアの中には『覚醒』する前の彼女の記憶も鮮明に残っていて、以前のおとなしかったメイアの人格を演じることも出来るようなのだ。
「うぅ……これから一体、どうなってまうんだろ……」
節々痛む体を引きずって自分の家に辿りついたせつなは、プレステをする気力も無くベッドに倒れ込んだ。
それが昨日の夜のこと。
なんで朝からメイアが俺ン家に……?
玄関や窓を破った形跡は無いのだから、堂々と玄関を開けて入って来たらしいのだが、鍵は? どうしたのだろう?
一瞬、つのる疑問を彼女にぶつけようと思ったせつなだったが、
だめだ! また殴られる!
せつなは怯えた目でメイアの背中を見ながら、その問題はとりあえず棚上げすることにした。
それにしても……。せつなは足元をコロコロ転がって行く巨大毬藻を見下ろす。
「おいUMA、なんでお前まで学校について来るんだよ!」
毛玉にそう訊くせつなに、
「あたりまえじゃろ。常にメイア様につき従い、お守りするのが、最も古くよりメイア様にお仕えするわしの務めじゃ」
藻爺はせつなを見上げて答える。
「安心せい。普通の人間にはわしの姿は見えんからな。それにしても、赤毛の小僧は生まれつきとしても、なぜお前にも突然『見える』ようになったのか……」
藻爺はいまいち納得いかない様子でせつなにそう言うと、メイアの背中を追って、道を転がって行く。
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そうこうしている内に聖痕十文字学園に辿りついた二人と一玉。
巨大な校門をくぐって、校舎の階段を駆け上がり、二年C組の教室に入ると……
「せつな! 見たかニュース! 例の『野犬事件』、また起こったらしいぞ! 今度は深夜の聖ヶ丘公園だってさ!」
コータが後ろの席から目を輝かせてせつなの背中をつついた。
聖ヶ丘公園? 深夜? メイアが人狼ガンスを倒してから、ずいぶん後のことだ。
やはり昨日出てきたような怪物は、一体だけではないらしい。これからまだ、こんな事件が続くのだろうか……?
せつなは再び暗い気分になった。
その時、ガラリ、教室の引き戸を開けて担任のナナセがやってきた。
「みんな、今日からクラスに新しい仲間が増えたぞ。転校生の冥条だ」
教卓に立ってそう言うナナセの傍らには、燃える髪を揺らした冥条莉凛が立っている。
「あ……あいつ……」
目を丸くするメイア。意外にもというか、案の定というか。転校してきた莉凛のクラスは、せつなとメイアと同じ、二年C組だったのだ。
「松本から来た冥条莉凛だ! みんな、よろしく!」
莉凛が、昨日と変わらない屈託のない笑顔で教室を見回して挨拶。
せつなとメイアと目が合った彼は、わけ知り顔に、無言でニカッと笑った。
「あの赤毛! お化け屋敷の冥条! なんであいつがここに来てんのさ……」
教室の最後列に座った桃色の髪の少女が、きまりの悪そうな顔で莉凛の目線から顔を伏せる。
「まずいな……、あいつといい、せつなといい、どうして『見える』連中ばっかが此処に……マジでバレないだろうな……?」
少女は滑らかな頬に冷や汗を流しながら、だれにも聞こえない小さな声で、そう呟いた。




