魔影世界
「遥か昔、世界開闢より間もない時代、お前たちヒトの世は現代よりも、魔法や奇跡に満ちていた……そう伝えられておる」
せつなに掴みあげられたまま、藻爺がポツリポツリと話し始めた。
「魔法……奇跡……!」
MMORPGも大好きなせつなが、目を輝かせる。
「その頃はまだ、今よりも世界が『ユル』かったらしい。ヒトが心に描いた『夢』や『願望』、あるいは『恐怖』は容易に現実のものとなり、次々と世界に生み落とされていったという……」
毛玉が話を続ける。
「それが、我ら『魔の者』じゃ」
藻爺がヒョロ長い手で自分を指した。
「いたる所に怪物や幽霊、妖怪や巨龍ら『魔の者』が溢れ、人々は剣を振って楯をとり、自らが生み落した魔と戦った。魔法が世を統べ、ヒトの中でも特に魔術に秀でた者たちが『強き者』として世界に君臨した」
「へー。なんか、イイ感じな世界だったんだな!」
思わずそう言ったせつなに、
「たわけ! お前の様なへたれの小僧がそんな所におったら、三秒で死んどるわ!」
手厳しい藻爺。
「だがな……」
話を続けようとする毛玉。しかしその時、
「だが、そのような奇跡と混沌と危険に満ちた『世界』を、善しとせぬ者がいました……」
藻爺の言葉を継いで、話し始めた者がいた。
「むむ!」
せつなの背中に目を向ける毛玉。
声の主は、メイアを寝かせた布団の脇に端然と座した冥条家執事。閻羅老人だった。
「この『世界』を天上より統べる大いなる神……『外なる』者。『創世の女神』です」
閻羅老人が、そう言った。
「知ってるのか、閻羅?」
燃える髪を揺らして老人にそう尋ねた莉凛に、
「はい、坊っちゃま。その妖怪の話した事、冥条家に代々伝わる古文書に記された話と全く同じ……」
老人が莉凛を見て静かに答える。
「古文書『冥条家死法儀式』に曰く……」
閻羅老人が話しだす。
「世界の『創世者』であり、とりわけヒトを愛でていた女神は、跋扈する魔獣や吸血鬼に脅える力無き人々の姿に胸を痛めていました」
老人の話に黙って体を揺らして頷く毛玉。
「そして、ついにある時、女神は一計を案じたのです」
そう言った閻羅老人に、
「そう、『世界』を二つに切り分けたのじゃ」
せつなの方を見て、藻爺が答えた。
「『世界』を切り分けた……?」
言っている意味がいまいち解らず、キョトンとするせつな。
「奇跡も魔法も存在しない、我々ヒトが平和に暮らすための、秩序ある『人間界』、そして……」
閻羅老人がせつなにそう言った。
「闇と神秘、奇跡と魔法に満ちた『魔の者』達のための夢幻郷『魔影世界』じゃ」
次いで、藻爺がせつなにそう言った。
「こうして、我ら『魔の者』とヒトとは、交わる事が無くなった。ヒトは『人間界』、魔の者は『魔影世界』、それぞれに別の世界を治めるよう女神に命じられたのじゃ」
ひとり勝手に頷く藻爺。
「ん……? まてよ? その話が本当だったら、なんだか色々、おかしくねえか?」
黙って話を聞いていた莉凛が首を傾げる。
「せつなが話してた『狼男』や、そこの『毬藻』が、なんで人間の世界をウロチョロしてんだよ? そもそも……!」
莉凛が不意に畳から立ちあがると、つかつかと座敷の襖障子の方に歩いてく。
ばらり。莉凛が、障子を乱暴に開け放した。
「……うおお!!」
障子の向こう側に広がっている景色を目にしたせつなは、思わず驚愕の声を上げた。
開け放された障子の向こう。屋敷の縁側ごしに広がる草深い『お化け屋敷』の庭園の光景は、まるで、せつなが熱をだして寝込んだ時に見る悪夢のようだった。
草叢を静かに泳ぐように大型犬ほどもある黒銀色の大ナメクジが何匹も中庭をうねっている。
真っ白な大蛇がチロチロと赤い舌を出しながら石燈籠の下にとぐろを巻いている。
洞の様な眼窩に松明を燃やした木人達が庭の松の木にまぎれて揺れている。
藻爺の親戚だろうか?真っ赤な毬藻の様なテニスボール程の毛玉がそこかしこで嬌声をあげながら弾んでいる。
池の中からボチャンと水音をたてて庭に上がって来たのは錦鯉を小脇に抱えた緑色の河童だ。
妖怪変化……百鬼夜行……せつなの頭をそんな言葉が駆ける。
「やっぱり……お前も『見える』のか……」
莉凛が、愕然として継ぐ言葉も無いせつなを見て、ポツリ呟く。
「な? こいつら、お前の『お仲間』だろ? 俺は小さい頃から、こいつらがこの世界に紛れてウロチョロしているのが見えてたぞ!」
莉凛は、藻爺の方を向いて言った。
「東京に越して来てからは、特にすごい。こいつらの数が、だんだん増えてきてるんだ……」
真っ赤な髪を夜風になびかせ、美貌の少年はそう言って顔を曇らせた。
「そうじゃ、赤毛の小僧。もはや、女神の定めた戒律は破られたのじゃ。十年前の『あの日』からな……」
藻爺が莉凛に、重々しくそう答えた。




