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おしまいの夜

 夜だ。

 風が吹いている。


 冷たい風が針葉樹の森を吹き抜けて、ひび割れた木肌を叩き、フルートの様な悲鳴を哮てながら湿った土を撫でてゆく。

 風は、凍えたその手にカラカラと朽ちた葉を携えながら、樹間をなぞってワルツを踊る。


 ……私には、それが見える。


 氷雨の混じった風が蕭々と私の頬を濡らしてゆく。私は森を見渡す。

 風に揺れてる樹の枝々の、そこかしこを断ち割って黒々と聳えた、崩れかけた巨塔の一群。


 『新宿住友ビル』、『野村ビル』、『京王プラザホテル』、『コクーンタワー』……


 既にほとんどが朽ちて、崩れて、風化して、錆ついたあばらのような鉄骨を晒した、かつての人間達の夢の残滓。


 それら廃塔の群れの中でも、一際高く聳えた二又の巨塔の天辺ちかく。

 頼りなく撓む錆びた骨の一本に腰掛けて、私はあいつを待っている。


 ごおお。黒洞々の夜を駆け抜け、塔を巻いた風が私を打つ。


 細やかな氷が私の顔と、脚と、翅を叩く。

 チリチリもどかしいこの感覚は、昔覚えた『寒さ』だろうか?

 私は首をかしげる。


  わからない。


 もう、何も感じない。

 寒さも、痛みも、悲しさも。

 私は暗い空を仰ぐ。

 雲間から顔を擡げた真っ蒼な月。

 私は白光を貌に浴びながら目を閉じる。


 もう、大事な事は全て終わった。

 執行は既に成された。

 私は虚しく微笑む。

 私は創ついた翅をたたむ。

 私は濁った涙を流す。


 でも……! それでもまだ、私はあいつを待っているのだ。


「どぉりゃぁああああああああ!!!」


 あ。

 

 三哩先から怒号が聞こえて、血が香った。


  きた、きた、きた!


 私は目を開けた。


 私は戦慄きながら掌を額に添え巨塔から目を凝らす。

 私の眼が、三哩むこうの裂け谷で、戦いに猛って吼えるヒトを捉える。


 少年が一人。

 右手に猟銃、左手に山刀を構えて。

 彼を取り囲む仔馬ほどもあるだろう、口から赤黒い炎を漏らした幾匹もの黒犬達と睨み合っている。


「ぐるおおおおおおおおおおお!!」

 聞こえる。黒犬どもが負けじと吠える。

 犬たちが少年に飛びかかっていく。

 彼は山刀で犬に斬りかかる。


  どおどおどお。


 突如、森が昏く鳴った。


 大地が割れた。


 ひとつ、またひとつ。


 廃塔が崩れて、森に沈んでいく。

 轟音を立てて、私の腰掛けた巨塔の周囲が裂けて行く。

 裂け目から吹き上がった緑の焔。


 松の木が焔に揺られて泣いている。森が燃える。塔が燃える。


「……そんなところでなにをしてる!」


 私は塔の先から身を乗り出して少年に向かって叫んだ。


 さあ、さあこい。はやくこい、せつな!



 ……この男の話をしよう。

 

 私がまだ人であった刻から見知っていた、優しくて哀しい男の話を。


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