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第227話 家康と氏政


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 天正九年十二月三日。


 冬真っただ中の相模小田原城に、再び登城する一人の人物がいた。

 徳川家康である。


「なに、また家康が参っただと?」

「はい。土産などを持参して、大殿のお手すきの時にでもお会いしたいとのこと」

「ふぅむ。まめな奴じゃ」


 家臣である板部岡江雪斎の報告に、北条氏政ははてさてと唸ってみせる。

 一度は氏政の勘気に触れ、江戸にて蟄居を申し付けていたこともあったが、時がたてば和らぐというものである。


 思い返してみれば、家康が北条家に身を寄せてより上げた戦功は大きい。

 またその家臣も粒ぞろいで、一時の怒りでこれに謹慎を命じたのは早計であったと反省し、小田原へと呼び寄せたのだった。

 それが十月のことである。


 そこまでは良かったのだが、氏政とて素直に謝罪する気にもなれず、家康もまた身構えた状態だったこともあり、会見は簡潔なもので終わってしまったのだ。

 それでもまだ体裁は取り繕えたのだから、それはそれで問題無かったともいえる。


 問題が発生したのはその後で、家康が小田原から江戸に帰還する道中で、何者かに襲撃されるという事件が起きたのだ。

 これには氏政も耳を疑った。

 調べたところ、風魔の手の者が動いたという。


 風魔は北条氏直に直接仕えている忍びの集団だ。

 氏直が早まったかとも危惧したが、氏直自身はこれを否定しており、しかし風魔は主命であったと主張し、意見の食い違いがみられたのである。

 このことによからぬ不安を感じた氏政は、即座に家康へと使者を送り、見舞を兼ねて謝罪をしたのだった。


 氏政とて無能ではない。

 家康のことは比較的高く評価していたこともあって、その機嫌をとるにやぶさかではなかったのである。


 一方で家康の動向も探らせた。

 命辛々江戸城に逃げ帰った家康は、さすがに当初は態度を硬化させていたものの、氏政が幾度か使者を送ったことで徐々に軟化した様子を見せ始め、ついには再びの登城に応じたのである。


 氏政はこれを歓待し、手違いを改めて詫びた上で、大いにもてなした。

 家康もこれに応え、時を見ては氏政に挨拶をすべく、足しげく通うようになった、という次第であった。


 氏政の努力や、家康が大人の対応したことで状況は改善したものの、やはり分からないのは風魔が何故動いたのか、ということである。


「おお、よくぞ参られた」

「ははっ。氏政殿におかれてはご機嫌麗しく」

「堅苦しい挨拶は良い。今日は一段とまた寒いな」


 型どおりの挨拶を交わした後、家康はやや表情を曇らせてみせた。


「如何されたか?」

「いえ……。甲斐に赴いた氏直殿のことを思うと、ご苦労されているのではないかと思いまして」

「あれもまだ若く、良い経験になるであろう。しかし家康殿のお気遣い、痛み入るぞ」


 この秋に大軍をもって甲斐へと進軍した氏直であったが、新府城にて待ち構えていた朝倉勢を相手に緒戦で大敗した後、戦局は膠着したままであった。

 幾度か城攻めには及んだものの攻めあぐね、これを攻略できずにいるのである。


「は……。とはいえ新府城は勝頼が心血を注いで築き上げた城。武田はこれをもって自身を守ることは能わなかったとはいえ、ここにかの朝倉が入ったとなると、如何にも厄介でありますな」

「うむ。このような時こそ織田殿と挟撃に及びたいところではあるが、その織田勢も高遠城で足止めを食って久しいと聞いている。戦力では我らの方が上なのだがな」

「朝倉は守ることのみに集中しているからでしょう。されど隙を見つけてはこれを突き、被害を与えて我らを撤退に至らしめようと考えているはず。噂に聞く狐姫なる者には、決して油断してはなりませぬ」

「氏照の仇か」


 氏政もまた、その名に苦い顔になった。

 今回、朝倉勢を率いているというその狐姫なる者は、とかくたちの悪い相手としか評せない者である。

 単純な戦場での手腕に留まらず、搦手も多い。

 どうやら常陸の佐竹と何かしらの繋がりを持ったようで、その動きを警戒せざるを得ない状態となっている。


「女子であろうに、面倒な相手だ。……家康殿はその姫を見たことは」

「いえ。幸か不幸か未だ無く」


 確かに家康は色葉に会ったことは無い。

 しかしその存在に苦渋を舐めさせられる羽目になった事態は、少なくないのだ。


 例えば天正三年の長篠の戦いにも参陣していたらしく、家康の重臣であった酒井忠次の奇襲の策を逆手に取り、これを壊滅せしめたのはかの姫の手によるものであるという。

 勝頼ですら落とせなかった長篠城を落とし、忠次を返り討ちにした挙句、主戦場となった設楽ヶ原まで救援に赴き、惨敗を喫した武田の撤退を助け、追撃を敢行した徳川勢を伏兵によって散々に打ち破ってくれたのである。


 今思えばあの場に色葉がいなければ、織田・徳川連合軍は武田勢に対して完勝していたはずだった。

 であれば、お家の滅亡などという憂き目に遭わなかったのかもしれない。


「砥石城でのことは聞いておる。情け容赦の無い姫のようだが……あれと交渉するのは難儀であろうな」

「……氏政殿は、朝倉との交渉を考えておられるのですか?」

「此度の戦は長引いているからな。先の敗戦の影響もあるし、あまり民に負担を強いたくはない」


 氏政は父・氏康の方針を引き継いで、所領に対しては善政を行っていた。

 自身もまた、民政家である。

 他の兄弟の中では最も政治に優れていたといってよく、当主の立場と相俟って、この北条家を最も栄えさせたといって過言ではない。


 一時は身内の死に激情にかられ、大動員を行って朝倉征伐を断行したものの、成果がでないとあれば考えも変わるというものである。

 その程度に柔軟な思考は持ち合わせていたのだ。


「ごもっともかと思います。……されど苦しいのは敵とて同じはず。ここで退いては折角得た甲斐をも失いかねませぬぞ」

「家康殿は、このまま戦うべきと考えるのか?」

「そうは申しませぬが、交渉の内容次第ではそれも必要になってくるかと」

「ふうむ……」


 今回の甲州征伐により、北条家は駿河一国と遠江半国、そして甲斐国の大半を手中に収めた。

 一時は信濃国の一部まで進出したものの、これは失敗し、現在に至っている。

 また上野方面でも戦果は得られていない。


 とはいえ、現在の版図が北条家にとって最大なものであることは、紛れもない事実である。

 大いなる成果といえるだろう。


 無論、弟である氏照の死は許容できるものではなかったが、戦であればままあることである。

 朝倉がああも苛烈な仕打ちをしたのも、冷静に考えてみれば武田家滅亡に起因するものだろう。


 武田家は朝倉家当主・朝倉晴景の実家である。

 実兄である勝頼や甥である信勝は、確かに北条家と戦って死んだのだから。


「それに仮にここで朝倉と手打ちとなれば、信長殿の心証を悪くするでしょう。そちらも問題です」

「……確かにな」


 以前ほどの勢いは無くなったとはいえ、織田家は未だに大国である。

 朝倉家に対抗していく上でも、織田家との関係は重要だ。


「とはいえ、やはりこれ以上の戦は望むところではない。織田殿には使者を出し、了解を得られないまでも一言断っておけば、後にもつながる」

「では、和睦を」

「うむ。問題はその条件であるが」


 現状、どちらが大きく有利でも無く、不利でもない。

 しかし北条家から持ち掛ける以上、無条件で、とはいかないだろう。

 氏政自身、件の姫の性格は知らないが、しかし噂を聞く限りでは難物に違いない。

 外交戦とて容易な相手ではないはずだ。


「朝倉は何を望むであろうか」

「朝倉家の此度の遠征の目的は、武田家を救うためでありましたからな」

「ふむ。しかし実質、武田家はすでに滅びた」

「然様です。ですからその遺領の回復こそ、今の大義名分となっているのです。……特に甲斐の国は、武田家の本国でもあった地。これを敵の掌中に残したまま撤退に及ぶとは思えませぬな」

「もっともな意見である」


 やはり落としどころはそこかと、氏政は頷いた。

 甲斐を譲れば朝倉と和睦できる公算は高い。


 駿河や遠江も武田の遺領ではあるが、これらは元々今川家の所領であり、これは武田家が侵略して得た地である。

 そもそもこれを武田家のものであると主張する正当性が無いのだ。


「甲斐の譲渡。それがこちらが妥協できる最大のものとした上で、交渉を執り行う。さて、使者は誰が良いであろうな……」


 氏政の脳裏に真っ先に思い浮かんだのは、やはり板部岡江雪斎である。

 板部岡江雪斎は北条家に仕える外交僧であり、今回の織田家との同盟にも使者として携わっていた。


「僭越ながら、このわしにご下命下さらぬか」

「なに? 家康殿がだと?」


 思わぬ申し出に、氏政は驚いた。


「は。自ら新府城に赴き、かの狐姫と直接交渉したく」

「ほう……?」


 家康の名は十二分に知られており、使者として申し分は無い。

 しかし、危険な任である。


「良いのか? 命が危うくなるやもしれん」

「先の失態を償う意味でも、覚悟の上なれば」

「……よろしい。では貴殿に任せよう。成功の暁には、破談となっていた氏直と督姫の婚儀を再考するぞ」

「ありがたき幸せなれば」


 こうして朝倉家への使者が内定した家康は、再び北条家の軍議にも参加するようになり、詳細を詰めた上で正式な使者として選ばれ、甲斐へと出立した。

 年の瀬も迫った、天正九年十二月二十五日のことである。

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