9-11.神の洗脳
☆前回までのあらすじ☆
子羊メイちゃんと結託した神の力(※物理)によって意識を刈り取られたトーラス先生。精神世界にて竜神様との個人面談という強制イベントが発生する。色々と状況に追いつけていないトーラス先生を、セムレイヤ様はどうするつもりなのか……?
竜神様「ワタシカミサマ、ウソツカナイ」
竜神の名を騙る男に、善良な精神を有する老人は激昂する。
竜神が竜神ではないと思っているが故に。
真の竜神が誰なのか、思い違いをしていたが故に。
老人が言葉にせずとも、その胸中を読み取る。
竜神を名乗った男は、老人の思考を把握する。
全てを掴み、殊更に穏やかな声で竜神は語りかけた。
『私が、私こそが竜神セムレイヤ。トーラス、以前貴方の前に現れてリュークを教え導くように告げたのは私ではありません』
「じゃが、あの気配は今感じているモノと同等……! 双方が神を名乗る、どちらが本物じゃというのですか」
『……両方が、本物です』
「それは、どういう……」
『トーラス、貴方の前に以前現れた方は、『神』だと名乗りはしても『セムレイヤ』の名は使っていなかったのではないですか? 私こそがセムレイヤ。貴方の前に現れたのは、別の神』
「そんな馬鹿な! そんなことがあって良いものか……! 神は、神はセムレイヤ様唯1柱ではないのですか」
『……他の神々を残らず封じた今、結果的に神たる資格を保有しているのが私だけだったということ。本来、神とは複数が存在します。それは貴方も知っているでしょう?』
1度に信じ難い情報を次々と告げられ、老人の顔から表情が抜け落ちていく。
目の前の神が嘘を言っているのだと、もう糾弾出来るだけの気力もない。
何故か、酷く身体が怠い。
未だかつてないほどの、酷な疲労を全身が訴えた。
『私も神、あの方も神……トーラス、貴方に最も早く啓示を与えた神はノア様……かつての最高神にして、現在は最も重き封印の虜囚、古代神ノアに他なりません』
「な、なんじゃっと……!?」
古代神ノア。
その名を知らぬ者も、また、地上には存在しない。
かつて地上の一切合財への滅びを命じ、結果としてセムレイヤと争った末に封印された強大な神。
神々の長であった経歴からも、当然敬うべき相手ではある。
だが地上の者にとっては、自分達を滅ぼそうと目論む恐ろしい相手でもある。
神が嘘を述べるとは思えない。
だが本当だとも信じたくはない。
しかし……心当たりはあった。
思い返してみれば、確かに……以前、老人の前に降臨した神は、『神』を名乗りはしても己が名は口にしなかった。
治まったはずの眩暈を感じる。
脳が、がんがんと揺らされる感覚を受ける。
老人の心が、精神が衝撃にゆらゆらと揺れる。
今にも波間に沈んでしまいそうな、頼りない笹舟の如く。
『トーラス、老いた魔法使い。私は憂いているのです。ノア様の封印に綻びが生じ、地上で何か善からぬ企みが動きだしているのを感じます。私は地上が、そしてノア様に利用されようとしているリュークの事が心配でならない』
「……っリューク! セムレイヤ様、リュークはどうなるのです!? セムレイヤ様がノア様だと断定した方は、我らにリュークを教え導けと仰った。ですがノア様が悪しき企みを、となると……リュークは、リュークはっ」
怖いと思った。
目の前の神は、セムレイヤ神だと既に殆ど信じている。
何よりも本能的な部分が、大いなる畏怖と共に確信していた。
リュークは……老人の可愛い最後の弟子は、ノア様より託された使命によって、今まで守り導いてきた存在。
ノア様と敵対するセムレイヤ様にとっては、リュークは……
脳裏に恐ろしい想像が過り、血の気が引いていく。
自分でもわかるほど、はっきりと顔が青褪める。
リュークが殺されてしまうのではないか。
他ならぬ、目の前のこの神によって。
自分や、相方では太刀打ち出来ぬ、この神によって。
その考えが、老人の心臓を握り潰そうとした。
呼気が乱れる。
だがセムレイヤ神はどこまでも、どこまでも穏やかに。
慈愛の色で眼差しを緩め、老人に優しく微笑む。
『安堵なさい、トーラス。私はリュークに決して危害を加えることはありません。守りこそすれ、どうして傷つけることなど出来ましょう。あの子は……私にとっても、何よりもの愛し児なのですから』
それは、神の約束。
老人の弟子への、竜神の加護がはっきりと言葉で約された。
極度の緊張状態に曝されていた老人の気が、一気に緩む。
神の言通り、安堵に酷使された老人の心臓はふやけていく。
不安が走り去り、一気に押し寄せた安心で老人は呆けてしまう。
全身の力が抜けて、倒れそうなほどに。
そして、感謝した。
殺されても不思議はない弟子への、加護に対して。
守ると口にした神の寛容さに、目は涙を滲ませる。
これほどに神の心とは広いものなのか。
弟子は、敵対する神の計画に組み込まれているだろうに。
それを許し、あまつさえ守るだなどと。
敵対する神の尖兵やもしれぬのに、自分にとっても愛し児だなどと。
かつて地上の民を守る為、主神に対して刃を向けた竜の神。
反逆を買って出てまで、自分達を庇護した猛々しく尊き神。
嗚呼、この方は本当に我々の……地上の民草の味方なのだ。
既に知っていた筈の知識が、実感として深く全身に浸透していく。
『トーラス、私は地上を守りたい。そして貴方が大切にする全てを守る為に力を貸したいと願っています』
「せ、セムレイヤ様……っなんという、お優しいお言葉」
『貴方の老いた身では、限界もありましょう。私も神として、地上に過度の干渉は許されぬ身……そこで、貴方に託したいのです。私に代わって、地上と貴方の弟子を見守ってほしい。ノア様に利用されようとしている、あの幼い子を』
「はい、はいですじゃ……! この老骨であれば如何様にもお使い下され。老いた身なれど、やれることは多く御座いましょう!」
どこまでも優しく穏やかな、武神とは思えぬ竜神。
その慈愛を前に、老人は感極まって嗚咽を漏らす。
未だかつて、これほどの信仰が身の内で高まったことはあっただろうか。
いま、この神に死ねと言われれば死ねるかもしれない。
この神に一言命じられれば、どのような命でも自分は従うだろう。
それほどの恩情と温情、感謝と信仰を捧げずにいられようか。
神の愛に縋り、弟子を助けられた。
ならば自分は、恩に報いねばならない。
老人は自然と心が固まるのを感じた。
自らの目の前にいる神への不信は、最早ない。
老人が気付かぬ間に、いつの間にか疑いの心は消え失せていた。
今はただ、神への報恩に燃える。
我が身を捨ててでも、と。
自己犠牲の信仰が、高まるばかりであった。
『有難う、トーラス。貴方の言葉に感謝します』
「なんと勿体ないお言葉、儂などに礼など無用ですじゃ」
『いいえ、そこまで言ってくれた貴方に、どうして報いなくいられましょう。老いた身では限界も多いでしょう……ですが姿が変われば、周りの不審を招きましょう』
「……セムレイヤ様、なにを?」
『トーラス、これが私からの報いです。鏡を御覧なさい』
老人の目の前には、鏡。
映っているのは変わらず若々しい頃の姿。
もう遠く、懐かしくも切なくなる時代の。
思えば、この姿の頃が全盛期であった。
肉体的にも、魔法の使い手的にも。
今となっては衰えた肉体と魔力を、技術と経験で騙しだまし補っているようなもの。
この頃の姿を見ると、取り戻せない過去が胸に迫る。
『トーラス、貴方の外見を変えることはできません。ですが能力的には……貴方の筋力・魔力・思考力を今の姿のまま、この頃に引き戻します』
「な、なんですと!?」
『今の技量を持ったまま、能力が若返るのです。当然、今よりも強くなることが出来ましょう。この申し出、受けてくれますか?』
「ね、願ってもないことですじゃ……! それが出来るというのでしたら、是非! 是非にでも……!!」
強くなることへの切望。
どれだけ老齢に達しようとも、肉体が衰え、限界を感じようとも。
強くなりたいという思いは強く、それ故に老いてよりずっと悔しい思いを募らせ続けてきた。
その、無念を。
神はその御業によってさらりと叶えてくれるという。
冷静であれば、裏を疑ったかも知れない。
混乱がなければ、上手過ぎる話を断ろうと考えたかもしれない。
しかし今の老人は、良くも悪くも冷静ではなかった訳で。
気がつけば一も二もなく、神の提案に乗っていた。
幸いだったのは、神の提案に本当に裏がなかったことだけか。
『――これで貴方の能力値は、全盛期を取り戻すでしょう。ですが注意なさい、能力面は若返りましたが……肉体の年齢が巻き戻った訳ではありません。寿命は予定通りに訪れ、無茶をし続ければ腰に響くことでしょう』
「なんの、その程度のこと……! その程度の………… 腰 ? 」
なんと、腰痛からは逃れられないのですか!
トーラスが悲痛な叫びを上げようとした。
だが、声は上がらない。
感じていた眩暈が、更に重く圧し掛かってきた為に。
頭部全体を重く覆うような、圧力。
思考が鈍麻し、意識が失われていこうとする……。
『――トーラス、目覚めた貴方の元に『白い子羊』が訪れることでしょう。彼女の言葉を信じ、忠告に従いなさい。彼女は私が全幅の信頼を寄せる、選ばれし使徒なのですから……』
神のその言葉を最後に、老人の意識は完全に闇に沈んだ。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「――こーんにーちはー……ううん、おはようかなぁ。トーラス先生、起きてますかー……?」
おはようございます!
双子ちゃんを撒くのにちょっと遅くなっちゃったけど、宣言通りに朝ごはんを準備してやってきました。メイちゃんだよ!
朝ごはんはトーラス先生の為にパンを焼いてきました。
ただし、3つの内1つは納豆入り。
お祖母ちゃんの朝ごはん作りに混じって作らせてもらったんだけど、ママと遊んでランダムに具を入れてたら恐ろしいことに……
うん、最終的にどれが何入りか見分けつかなくなっちゃった。
バロメッツ家の朝食前にトーラス先生の分だけパンを分けて確保したんだけど、どうも納豆入りが混ざっている気がする。
バロメッツ家の誰も納豆入りに当たらなかったから、恐らくきっと。
トーラス先生、怒らずに食べてくれるかな……。
いや、そもそも昨夜の所業でまず怒られる気がする。
でもセムレイヤ様が、直で精神に語りかける為に全力でトーラス先生の精神を揺さぶりまくって振り回せって言ったんだよ。
精神的な余裕と冷静な思考を全部引っぺがして、精神世界に干渉の手を繋ぐ隙間を作ってほしいって言ったからー……。
うん、老人の余裕を引っぺがす方法がわからなかったから、物理的に振り回してみた。セムレイヤ様は成功したって言ってたから、アレで良かったんだと思う。
トーラス先生はセムレイヤ様に何されたのかな?
ちょっとドキドキしながら、トーラス先生を包んでいた毛布を引っぺがす。
抵抗は、なかった。
まあトーラス先生は、絶賛簀巻き状態なんだけど。
「トーラス先生、起きてるー?」
毛布を引っぺがしたら、目が合った。
瞬間、びくっと固まるメイちゃん。
吃驚したのは、目が合ったからじゃない。
老人の眼が、あまりにも穏やかに凪いでいたから。
常に穏やかで、優しげな好々爺。
だけど今のこの目は……なんだろう、眼差しの奥に宇宙が見えた気がした。
輝ける大銀河の無限の広がりと、永遠が。
え、なにこれ。
毛布の下から現れたトーラス先生の目は、あまりにも静かで……
見ただけで、私は察しました。
これは、観音様の目だ。
全てを見通す、仏様の眼だ――!
ちょっとトーラス先生、悟り開いちゃってんですけど!?
本当に一体全体、何やっちゃったのセムレイヤ様ぁ!
セムレイヤ様はその気になったらトーラス先生に壺を売りつけられる気がします。




