8-9.命を賭けて走れ!
そういえば、バレンタインに投稿した番外編の短編でアドルフ君のお姉ちゃんと鹿の名前が決定しました。
ボス狼の第3の眼は潰れた。
中央に、私の槍を生やして。
また新たな目を作るかと、冷や冷やしたけれど。
視界が完全に塞がった隙をついて。
スペードが、ボス狼の鼻面へ盛大に噛みついた。
角度的に、よく見えなかったけど。
スペードの極悪に太い牙が、ボス狼の鼻を噛み砕いていた。
あ、あれ絶対に痛い。
後はもう、スペードの背の上は立っていられない程の振動で。
さっきまでも転びそうだったけれど、今はスペードの背に身を伏せてしがみ付いているしかない。
腕や指を負傷して腕力が低下しているミヒャルトは、ヴェニ君が上から覆い被さるようにして守っていた。
ボス狼が、逃げる。
堪らずといった様子で、脇目も振らずに。
何割かの狼達は、ボスの後を追随していった。
対して、私達はどうする?
「逃げるぞ、チビ共!!」
「うえぇっ!? ヴェニ君、でもっ」
「デモがどうしたぁ!!」
「あ、あのボス! メイ達が手負いにしちゃったんだよ!?」
狩りにおいて、獣は仕留めきるのがルール。
手負いの獣を出しちゃいけない。
だって手負いの獣は、厄介さもさることながら見境がない。
なのに、逃げるの?
私達があそこまでしておいて、責任も取らず?
私の考えは、言わずともヴェニ君に伝わった。
だから、私はヴェニ君の頭突きを喰らってしまう。
こう、がつっと目の前に星が飛びそうな衝撃で。
「あうっ」
「……己の実力、見誤んな。見極めろ、ガキ」
ヴェニ君の目は、見慣れたメイでも怖かった。
頭突きをしたまま、メイの額に額を合わせて。
至近距離から、ヴェニ君の鋭い目が私を射抜く。
「過信は死と直結する。自分の身は弁えろっつったろ」
「め、めうぅ……ごめん、ヴェニ君」
「俺らにはやれることと、出来ねぇことがある。あの野郎は俺らがアレだけやって殺しきれなかったんだ。深追いは危険なのはわかるな?」
「で、でもでも、でもね? ヴェニく……」
「ギリギリだったのにこれ以上やれるのか、てめぇは」
「あう……」
「それにどうせ、あの狼は魔物だ。手負いにならずとも最初っから見境ねぇよ。厄介さは元々だ」
私の手には武器がなくって。
ミヒャルトは平気そうな顔をしてるけど、割と重症。
ヴェニ君のボウガンに既に矢はなく、スペードは大きいまま震えて……あれ? 震えて?
「ヴぇ、ヴぇヴぇヴぇヴェニ君……」
「あん? どうしたスペード。さっさと逃げるぞ、このまま騎士のおっさんらが行った方に――……」
「済まねえ、ヴェニ君」
「……は?」
スペードの声は、不安にか、恐怖にか、焦りにか。
感情的なナニかによって、泣いた子供みたいに震えていた。
「あの狼の血、のんじまった」
――あれ、いまなんていった?
うん、どうしよう!
言葉の理解を脳が拒否したよ!
でも、理解しないではいられない。
だって一刻を争う事態だったから。
私と、ミヒャルトと、ヴェニ君。
3人は多分、全く同じ表情をしていた。
だって声が揃ったもの。
これぞまさしく、異口同音。
合図もなく、同時に3人で叫んでいた。
「「「っ馬鹿ぁぁぁああああああああああああ!!」」」
スペード、ペーちゃん!
君は馬鹿だ、どうしようもないお馬鹿さんだぁ!
いやいや噛みついていたんだからどうしようもないっていうか仕方なかったのかもしれないけど!
でもでもだけど!
だけどね、このやりきれない気持ち!!
「馬鹿犬! 人辞めたくなかったら全・速・力!! 西に向って真っ直ぐ走れ!!」
ヴェニ君が泡を食ったような顔で、スペードの頭をべしべしと叩きながら叫んだ。
こんなに大慌てのヴェニ君初めて見たよ! 無理もないけど!
だってだってだって!
スペードってば!
魔物の血肉を食べたら同じ魔物になっちゃうって知ってるくせにーっ!
「西ってどっち! 右!?」
「こんな時にボケ発動すんな!」
「ペーちゃんっ左だよー!!」
「混乱させんな、メイ!」
「よっしゃわかったメイちゃん、左だな!」
「ってそれでわかるのかよ!! しかも方向合ってるし!」
巨大な異形の狼スペードは、背に私達を乗せたまま走りだした。
獣性強化、したまんま。
そんなスペードの後を、ボス狼に従わずに残って威嚇していた普遍的なサイズの狼達が追いかけてくる。
動きに釣られて、というよりも。
明らかな襲撃の意思を持って。
更に道を進めば進むほど、一体どこからこんなにわらわら出てくるのか……狼の数は増えていく。
速度はスペードの方がずっと早いんだけど、道行く先々から次々と新手が出てくるので振り切れる気が全然しません。
追いすがり、噛みつこうと飛びかかってくる狼達。
だけど正直、狼に構っている余裕はないかな!
気にする時間も惜しいと、一目散に走るだけ。
追っかけてきているのは知っているけど、それどころじゃない。
この時、私達は誰もが冷静さを欠いていました。
うん、いつもだったらわかったはずなのにね!
客観的に見て、スペードは化け物だってこと。
それが見る人にどんな感情を抱かせるのか……
冷静だったら、私達にだってわかったはずです。
だけど今の私達は冷静じゃないから、わからない。
そんな状態で疾駆するスペード。
慌てふためいて急げ急げと急かすばかりの私達。
唯一の頼みの綱は、人里にある。
言葉通りの救いの手。
脳裏に蘇る、あの夏の奇跡。
あの時、あの人は死屍累々たる蟹の残骸を、一気に浄化した。
後でヴェニ君にも確認を取っておいたんだけど、魔物の血肉を口にしても初期症状が出る前なら浄化が有効だって話だし。
だから、スペードを助けるのには一縷の望みを託すしかない。
救術の使える神官さんはおられませんかー!?
魔物の影響を完全に浄化できるのは、救術を会得した人だけだ。
「ヴェニ君ヴェニ君! こっちに行ったら救術使える人がいるの!?」
「あのオッサンらが向かったのはここの領都だ。領主がいる町に、いざって時の備えがねぇと思うか?」
「よし、いざ行かん領都! ペーちゃんもっと急いで急いでー!!」
「魔物になったら即座に僕が引導を下す。死にたくなかったら死に物狂いで走り続けろ!」
「もう全力だってのぉぉおおおおっ」
絶叫する巨大狼はまさに死に物狂い。
その甲斐あってか、速度はかなりのもの。
一瞬、こんな立派な翼があるんだから飛べないかな?って思ったんだけど……いきなり翼が生えたって、飛べるようになる訳じゃないらしい。
うん、そういえば鳥も巣立つ時には練習がいるよね。
それが生まれつき鳥でも何でもない狼の獣人となれば……あ、うん、羽根があっても飛べる訳がない。
なんという無駄!
この翼、完璧にただの飾りだよ!
でも体が大きくなったお陰で、翼がなくっても飛ぶような速さでスペードは駆けていく。
生い茂る木々を薙ぎ倒しながら、山道を越えた先を目指して。
あ、森が途切れる。
木々を抜けた先は、開放感のある平原。
多分、ここの領民さん達が開墾したんだと思う。
広い道の脇に、ぽつぽつと田畑が見える。
そして道を真っ直ぐ行った先には……槍衾が。
……って、槍衾!?
なんということでしょう!
そこには完璧に迎撃態勢の整った防御姿勢もがっちがちの生け垣が! うん、生きた人で形成された垣根が……!
大きな街を守るように、向かってくる敵を迎え撃つ想定で築かれたとしか思えない大規模な障害物。
敵意と戦意に満ち満ちた屈強な戦士達が、張りつめた様子でこっちを見ている。
というか、なんというか。
私達を殺気に満ちた目で睨んでいる気がするんだけど。
えっと、気のせいじゃないよね?
疑問が、私の頭に思考力を呼び戻しました。
全力で駆け込む意思ばっちりの、スペード。
その全容は相変わらずの化け物ぶり。
大型トラック並の巨躯を誇る狼でありながら、キメラさながら背から翼を生やし、体は鱗に覆われ……真っ当な生物には到底見えません。
そして、その周囲を取り巻いて追いすがるのは、狼魔物の群れ。
客観的に見て、これってスペードが敵のボスに見えるような……
というかスペードが化け物以外の何物にも見えないような。
そんな状態で、街に突撃?
あ、うん、そりゃ襲ってくるようにしか見えないね。
あの殺気や敵意や悲壮な決意も当然か――……って。
「「「やべぇ!!」」」
私とミヒャルトと、ヴェニ君は異口同音。
どうやら必死度が振りきれているスペード以外の3人とも、正気に戻ったのはほとんど同時だったようです。
冷静になって状況を見てみると、このまま街に一直線で向かうと槍衾に阻まれ、スペードの全身は待ち構えている街の戦うオジサン達に全身串刺しにされちゃうのは確実。
高確率で、スペードが死にます。
メイちゃん、思い至って顔から血の気が引いたよ!!
ミヒャルトが、スペードの首をばしばしと叩き始めました。
「馬鹿犬、ちょっと止まれ!」
「わんわんわん……っ」
「誰が吼えろって言った!? 止まれって言ったんだよ!」
「わうぅ!」
「……駄目だ、これ。ヴェニ君、馬鹿犬が人語忘れるレベルでテンパってるんだけど! こいつ、もう真っ直ぐ突っ込むしか出来ないよ」
「チッ……仕方ねぇ! これだけはやりたくなかったんだが」
「ヴェニ君、何するつもり!?」
どうしたことかな!?
ヴェニ君がいきなり荷物を……今の今まで後生大事に確保していた武器類をいきなり投げ捨て始めました。
あ、うん……律儀に狼に当たる様に投げてる辺りは流石だ。
「なるべく荷物を減らせ! それから俺にしっかりしがみついてろ。ミヒャルトは……怪我してっから、メイ、お前これ持ってろ!」
「これ……ってこれヴェニ君のお財布!!」
「中味、抜くなよ!?」
「メイちゃん信用ない!」
ヴェニ君は首に掴まっているように指示を出し、それから。
私達がしっかり掴まっているのを確認してから。
スペードの後頭部に思いっきり全力の回し蹴りをぶちかましました。
ヴェニ君バイオレンス!
……って、いきなり一体なにしてるのー!!?
「ヴェニ君、馬鹿犬がもっと馬鹿になる!」
「もう手遅れだ!」
「そんな……どっちの意味で!?」
あわあわと混乱する、私とミヒャルト。
だけど混乱しているのは私達だけで。
きっとよっぽどイイところに攻撃が入ったんだね……
スペードは完全に意識を失っていた。
ふらり、と。
前足がもつれて。
スペードの大きな体が揺らぐ。
ぐらりと世界が揺れる中。
ヴェニ君はスペードの首筋を掴んで高く跳躍しました。
って、ええぇ!?
スペードの巨体が持ち上がる筈が……って、え!?
気を失った影響でしょうか。
スペードの身体は瞬きする間に、元の少年の姿になっていて。
軽々とヴェニ君は、スペードを抱えたまま宙に踊り出る。
くるりと回る、宙返り一回転。
次の瞬間。
私達の目に見える世界に、巨大なうさぎさんが降臨した。
ヴぇ、ヴェニ君、今になって『獣性強化』ですかー!!
っていうかやっぱり出来たのー!?
吃驚驚くメイちゃんは、もうモノも言えません。
あんぐりと口を開けて、間抜けな顔しか出来ないよ!
代わりにミヒャルトがヴェニ君の首元をばしばし叩きました。
毛皮が厚すぎてもふっと手が沈むだけだったけどね!
なにこの毛皮、ふかふか過ぎる!!
それにふわんって揺れるお耳が、メイちゃんを誘惑する……!
「ヴェニ君、こんな隠し玉があるんなら、なんでもっと早く!」
「阿呆! さっきまでいたとこ、思い出してみろ!」
「さっきのって……山?」
「森ん中でめっちゃ木々が生い茂ってただろうが! あんな障害物満載のとこで獣性強化なんざ出来るか! 今の俺の体格と、兎の移動方法思い出してみろ……!」
「「ああ……」」
2人で納得しちゃいましたよ。
いま、ヴェニ君も実際に見せているけれど。
大きな兎に転じて、地面に着地したヴェニ君。
彼はそのまま、猛然とした勢いで街へ移動し始めました。
ぴょんぴょん跳ねながら。
ああ、そうだね……普通サイズの兎なら、兎も角。
今のヴェニ君は『獣性強化』の影響でメイ達を乗せて移動できるくらいに巨大です。
そんなサイズで飛び跳ねるには……うん、森の木々が邪魔だね。
どうやらヴェニ君は兎の癖に、大きくなると障害物満載の森の中で大したスピードは出せないようです。
跳ねて飛距離を稼ぐ生き物なので、仕方ないね……。
飛び跳ねるヴェニ君の乗り心地は、最悪でした。
毛皮が滅茶苦茶ふかふかで、気持ち良いんだけど。
それはともかく、跳ねまくるので揺れが酷い!
長時間乗っていたら、酔うのは確実です。
乗り心地はスペードの方がずっと良かったよ!
そうして、ヴェニ君は。
街を守る槍衾の近くまで行くと、最後に大きく跳躍して。
いきなり化け物狼が消えたことや、突然巨大兎が現れたことで唖然とする街の守備戦力を嘲笑うように。
街に駆け込むには最大の障害に見えた槍衾を、易々と飛び越えた。
唖然としていても、戦う男。
何人かがハッと我に返り、弓を構える。
跳躍したヴェニ君に避ける手段はない。
射られる、とそんな最中。
高く高く跳び上がった状況で、ヴェニ君が獣化を解いた。
突如、空に現れる4人の少年少女達。
見下ろす眼下の、守備戦力。
戦うオジサン達が、混乱の極致に達した。
度肝を抜かれながらも、慌てて弓を下げるところが見える。
驚き騒ぐ、戦士達の渦中。
ヴェニ君は私達3人を抱えたまま、流石の胆力と身体能力で悠々と着地を決めた。
ヴェニ君、10.00!




