52 舌戦2
「ドラゴンがいる、いないで大人たちが争う国なんてもう、止めにしませんか? この世界にはもうドラゴンはいないのです! いないはずのドラゴンにいつまでも心を縛られていては、この国から争いはなくなりません。その争いに巻き込まれて、親を亡くす子供たちもいなくなりません」
ジルは、遠くの空を見つめながら話を続ける。
「私も、そこにいるアコーニットも、騎士団の連中の多くは孤児院の出です。皆、大人の争いに巻き込まれて、親を亡くした子供たちなのです。私は恨みました。大人たちを。それを野放しにしている王を。そして誓いました。二度と同じことが起こらないよう、国を変えなければならないと……」
ジルはそこで一呼吸置いて、エマに向き直った。
「エマ様に問いたい。あなたにこの国を守ることはできますか? 国民を、ドラゴンの恐怖から解放してやることはできますか? ゾール紙が作る未来は、大人たちの争いがなく、親を亡くす子供が出てこないと誓えますか? 私ならできる! 龍神教が作る未来は、国民が争うことはありません。そこで暮らす子供たちは、皆笑っています!」
ジルの目は鬼気迫っていた。だが、もう後がない焦りから出てきた出鱈目な考えではないことは確かだった。エマはジルも本気なのだと、その気持ちの一端を知った。ただ、それだけでは余りに悲しい。エマは、優しく、そしてゆっくりと答えた。
「ジル。あなたの理想はよく分かりました。だけど、それはあくまであなたの理想でしかありません。あなたは先ほど言いましたね? 国民は我儘だと。多くの国民があなたの考え同意していると思うのは、ただの傲慢です。もちろん全ての国民が、王族の考えに賛同していないことは、百も承知です。ドラゴンへの恐れ……これは私たちで制御できるものではありません」
エマは一呼吸置き、話を続ける。
「これだけ長い間現れてないのだから、ドラゴンはもういない。国民がそう期待したくなる気持ちも分かります。でも、『ドラゴンがいなくなった』ことは誰にも分かりません。誰も言ってくれません。いや、誰にも確かめようがないのです。……もしかしたら、それを決めるのは私達自身の心なのかも知れません」
エマはジルではなく、自分に語りかけていた。ジルの言うことはよく分かる。自分の中にある弱い部分が、ジルの言葉に寄りかかろうとしているのを感じる。そこまで頑張らなくてもいいじゃないかと、もう楽に生きていけばいいじゃないかと、問いかけてくる自分がいる。でもそれに負けてはいけない。何故だかは分からないが、自分の中にそうしてはいけない、と言っている自分もいる。そんな自分に向けて語りかける。
「このドラゴンがいなくなった世界で、私たちはどう生きるのが正解なのでしょうか。私は、龍神教の考えも一つの答えだと思います。でもそれだけでは足りません。ドラゴンに、打ち勝つことができるかも知れない力を身につけることは、例えそれが無駄な努力であってとしても、人々の希望になります。私は、前に踏み出したいと思う人々の気持ちにも寄り添いたいのです」
前に踏み出したい。その気持ちに寄り添ってくれたノクリアを見ながら、そして遠い地で戦っているかも知れない友を思いながら、エマは話を続ける。
「でも、そうすることで不安に感じる者もいるでしょう。その時には、寄りかかれる心の柱が必要なのです。それが、龍神教ではありませんか? 前に踏み出すのが怖い時は、自分の心に向き合い、祈ることも必要だと思います。初代フォンド王は、そのために龍神教を作ったのではないでしょうか? 私には、初代フォンド王のような勇敢さは持ち合わせていませんが、前に踏み出すための刃も、不安に思ったときに寄り添うことのできる柱も、双方を認めて、それぞれの考えに寄り添いながら、国を前に進ませたいと思っています。ドラゴンを怖いと思う気持ちを、我々と、我儘な国民で一緒に抱えながら、前に踏み出せる強さを持った国にしたいのです」
エマの話を聞いて、ノクリアは涙が止まらなかった。ここのところずっと、国はゾール紙の開発を進める国王派と、それを排斥しようとする龍神教との諍いに塗れていた。お互いがお互いを疑心暗鬼になり、それがドラゴンへの恐怖を餌に、さらに歪んだ感情を産み出して、まるで人間ではない何者かが王宮内に巣くっているように感じていた。そんな中、自分の仕えている主人が一つの答えを出してくれた。どちらかに付いて戦うのではなく、双方を認めて進みたいと。幼いころからエマを知るノクリアの胸は、感動で打ち震えていた。
だが、エマの優しい気持ちに触れたことで、ノクリアの剣を握る力が一瞬緩んだ。ジルはその隙を見逃さなかった。ノクリアはジルに腕を掴まれ、剣を奪い取られた。そしてノクリアを羽交締めにして、その剣をノクリアの喉元に突きつけた。
「エマ様、あなたの理想も分かりました。ですが、最後にそれを成し遂げるのに必要なものは何だと思いますか?」
「ジルっ! 貴様っ」
アコーニットが素早く、ジルに駆け寄ろうとする。
「動くな! 動くとこのダークエルフの命はないと思え」
「俺がそのダークエルフの命を大事にすると思っているのか?」
「アコーニット! 止まりなさい」
エマがアコーニットを止める。アコーニットは密かに動いていたカーラへそれ以上動かないよう合図した。
「エマ様、私の命など気にする必要はありません。このままジルを捉えてください!」
「黙りなさい! 私はあなたを失う訳にはいかないのです。ジル、この状況で足掻いても何もできませんよ。あなたの逃げ場はないのですから」
ジルはそれでも諦める様子はない。
「エマ様、先程の質問に答えては頂けないのですね。ならば私が代わりに答えましょう。それは『力』です。騎士団があろうとも、ゾール紙があろうとも、それよりも圧倒的な力を手にした者が勝つのです。理想を成し遂げるための『力』を持つ者が最後に笑うのです」
「ジル、何を言ってるんだ。白の騎士団のことなら、お前にはもうその力はない……」
ジルはアコーニットを睨み付けたあと、勝ち誇った笑みを見せた。
「ま、まさか、お前……」
「そうだ、お前たちは既に召喚魔法のことは知っているだろう? その魔法を使えば、我々が太刀打ちできないような力を持つ魔獣を使役できるのだ。もう既にその魔獣は召喚されてこちらに向かっている。早ければ、日が昇るまでにこちらに来るだろう。どうする? その魔獣と戦うか? それとも私に従うか。好きな方を選ぶんだな」
エマは完全に油断してした。カミルの予想通り、ジルは召喚魔法を使っていた。ヨナたちは大丈夫だろうか。ジルが言うように巨大な力を持つ魔獣であれば、ヨナたちが危ない。いや、もう既にやられているかも知れない。もし……もし、ジルの言うように、その魔獣がここまで来るようなら、全てがひっくり返る。まさか、ここまでのことをしてくるとは。
「さあ、どうする? 私はどちらでも構わないぞ」
だが、エマはここで折れる訳にはいかなかった。この勝負には何が何でも勝たなければならない。ジルの言う通り、力がある者が最終的に国を制するというのは間違っていない。どんなに理想を語ろうが、力なくては統治は出来ない。信じるしかない。エマは、ヨナたちを信じることにした。彼らを信じることでしか、ここから前に進むことができないのだから。
「ジル、あなたの目論みは分かっています。私が何もしてないとでも思いましたか? あの魔法使いの者たちがあなたの野望を打ち砕くでしょう」
「エマ様、強がっているのが丸分かりですよ。奴らがどのような力を持っていようとも、あの魔獣の力には敵うはずがない」
「そうでしょうか。……ならば、ここで待ちましょう。ここに何がもたらされるか。それで決着としようではありませんか?」
「面白い。その言葉、もう後には戻りませんよ」
エマは腹を括った。ここを突破しなければ前には進めない。ヨナたちを信じることに賭けた。
ノクリアは悔やんでも悔やみ切れなかった。最後の最後で油断した自分を責めていた。ここにきて一気に形成が逆転してしまった。自分が油断さえしなければ、エマが危険な賭けに出ることもなかった。
一瞬だった。その時、ノクリアは心が締め付けられるような恐怖を感じた。足が震えて力が入らない。何が起こったのかは分からないが、体が、本能が恐怖に震えている。何もかもが壊される。そんな恐怖の感覚に襲われた。
「お、おい。お前、どうした?」
ジルがノクリアの様子がおかしいことに気が付いた。エマにも、アコーニットにも分かった。ノクリアの様子がおかしい。だが、ノクリアはそんな周りの様子を気にする余裕がまったくなかった。迫りくる恐怖に、自分では抗えない『何か』に打ち震えていた。
ふと、ノクリアの目に何かが写った。西の空を注視する。支援魔法をかけているノクリアには、誰よりも早くそれを察知することができた。
「ま、まさか……」
それは、エマが最も恐れている事態を想起させるものだった。ノクリアの目に写ったのは、大きな魔獣だった。大きな翼で飛び、長い首を持つ魔獣がこちらに向かって来ていた。




