45 決意
「サ、サーシャ、どうした? 急に」
エストーレ王国に行っていたはずのサーシャが、急に部屋に入って飛びついてきたから、エクレルは驚いた。
「帰ってきたんだよ! エストーレ王国がここに攻めてきたかも、って聞いたから。そしたら、何あれ? ドラゴンが来てるじゃない! びっくりしたよ。一体どうなってるの?」
「え、エストーレ王国? ドラゴン? 待って、ちょっと情報が多過ぎて、何言ってるか分からないよ」
サーシャが一気に捲し立ててきたからエクレルは少しうろたえた。
「サーシャ、今『ドラゴン』って言わなかったか? あの魔獣はドラゴンなのか?」
ブッシュがサーシャに疑問をぶつける。ブッシュの表情がただごとではない様子だ。サーシャはハッとなって口を抑える。
「サーシャ! ど、ドラゴンってどういうこと? 今来てるのは魔獣じゃなくてドラゴンなのか?」
エクレルもサーシャを問い詰める。
「ご、ごめんなさい。急に変なこと言って。ダークエルフの人たちから聞いたんだ。姿がそっくりだったから、つい。そんなわけないよね……あっ、でもエストーレ王国との戦いはどうなったの? で、あの『魔獣』は一体何なの?」
エクレルとブッシュが、先日の白の騎士団との戦いについて説明した。
「……そう。ちゃんと追い返したのね。よかった」
サーシャは少し落ち着いたようだ。エクレルが説明を続ける。
「あの魔獣は、エルフが召喚した魔獣だと思う。こっちにその仲間のエルフが来て、いろいろ情報を教えてくれたんだ。あの魔獣を召喚したエルフは、エストーレ王国の人間と接触していたらしい。だから今回の襲撃もエストーレ王国の差金だとは思う」
「……エストーレ王国。エクレル、ジルって男を知ってる?」
サーシャから出てきた名前は、エクレルにとっては意外だった。
「ジル? 白の騎士団の団長のジルかな? 彼ならよく知ってるけど」
「どんなやつ?」
「どんなって……。まさか、ジルがこれを仕掛けたというのか?」
「可能性は、あるかな。エマさんの情報だけど」
「エマって……。サーシャ、姉さんと会ったのか? 無事だったんだな? 今どこで何してる?」
エクレルはエマの名前を聞いた途端、立ち上がってサーシャを問い詰める。
「ちょ、ちょっと、待って。いきなりがっついてこないでよ。また傷が開くよ」
「あっ、ご、ごめん」
エクレルは自らを落ち着かせて、再び寝床に座った。
「エマさんは元気に生きてる。あなたと同じように家族を救い出して国を守ろうと頑張ってる。詳しくは話す時間がないけど、安心して。エマさんは大丈夫だから」
「そうなんだね。サーシャ、ありがとう」
エストーレ王国を出てから初めて家族の無事を聞いたエクレルは、少し安堵したような表情を見せた。
「状況は分かったわ。エクレル、ありがとう。ウィステリアにあの魔獣を任せてきたから、助けに戻るね」
「あ、ああ。こちらこそ。来てくれてありがとう」
サーシャがあっさり出ていこうとした矢先、忘れ物でも思い出したかのように振り返った。
「そういえば、フロワちゃんは? 戦闘に参加してなかったみたいだけど、こないだの戦闘で怪我でもした?」
エクレルは答えるのが辛そうに下を向いた。それにはブッシュが答えた。
「フロワはこないだの戦闘で相手を何人も死なせてしまったんだ。それにショックを受けて、今少し休んでるよ」
「サーシャ、フロワには申し訳ないことをしたんだ。僕たちが来なければ、白の騎士団が来ることもなくて……。フロワにあんなことをさせてしまうこともなかったんだよ」
「……そう。フロワちゃんが……。今は家にいるの?」
一瞬教えていいものかどうか躊躇したが、ブッシュが答えた。
「ああ、そのはずだ。もしよければ、行ってやってくれ」
「うん、分かった。ありがとう」
そう言って、サーシャは部屋を飛び出して行った。
「な、何か嵐のようでしたね。しかもサーシャのやつ、少し変じゃなかったですか?」
「ん? そうか? 俺にはいつものサーシャだったように思えたが」
エクレルが神妙な面持ちになる。
「いや、サーシャがあんなに僕を心配するとかあり得なくないですか? あいつ僕が怪我してても平気で蹴ってくるし、気を失っててもお構いなしなんですよ。そんなサーシャが僕が心配だからってここに来ますかね? 何かちょっと不気味でしたよ」
ブッシュがニヤニヤしながら肘でつついてきた。
「いや、それはやっばりアレだろう。照れるなよ。サーシャが素直じゃないだけだよ。お前も隅に置けないやつだな。おいっ、このっ、このっ」
「い、痛いです。止めてください。そんなはずはありませんって。あのサーシャですよ」
エクレルの部屋を出た後、サーシャは不思議な感情の変化に戸惑っていた。エクレルが心配だと思い込んでダークエルフの里から駆けつけたのに、無事だと分かった瞬間、一気にその気持ちが冷めてしまっていた。今考えても何であんなに心配していたのか分からない。こちらに来る途中ウィステリアからも何度も『あんた、ちょっとおかしいわよ』と言われてきた。冷静に考えたら、ウィステリアの言っていたことが正しそうだ。
サーシャがフロワの家に向かって走っていると、思わぬ人物を見かけた。それはフロワだった。どこに向かっているのだろうか。目の焦点が定まっていない状態で少しフラフラしている。サーシャはすぐにフロワを抱き止めた。
「……フロワちゃん、久しぶり。元気だった?」
「……サーシャ。サーシャなの。帰ってきてたのね」
フロワは意識が虚ろではあったが、受け答えはしっかりとできている。だが、抱き止めた体には力がなく、抱き止められたままサーシャに体を預けている。
「うん、今帰ったところ。フロワちゃん、聞いたよ。私たちがいない間、大変だったんだね」
「うん、頑張ったんだよ。偉い……かな? お兄ちゃんたちが帰ってくるまでここを守らなきゃって思って……。今も、敵が攻めて来てるって聞いて……。行かなきゃ、私が行かなきゃって思ってたの」
そう話すフロワの体には力がまったく入っていなかった。サーシャが体を離すと、そのまま倒れてしまいそうだ。
「フロワちゃん、無理しなくていいんだよ。辛い思いまでして戦わなくていいんだよ。ごめんね、私たちが来たせいで、こんなことになっちゃって。私たちが来なきゃフロワちゃんがこんな……」
サーシャの言葉を聞いて、フロワの心に何か温かいものが流れた。
「サーシャ、ありがとう。でもね、いいの。私、サーシャが来て、エクレルが来てくれてよかったと思ってる。外の世界を知ることができたし、新しい友達ができて嬉しかったの」
フロワの優しい言葉に包まれて、今度はサーシャの体の力が抜けそうになった。申し訳なくて、でも嬉しくて、体に上手く力が入らない。
「でもっ、それは……、私たちじゃなくても、もっと別の形だったら、こんなことに……」
力が抜けていくサーシャに代わり、フロワの体に力が入る。
「サーシャ、前もそうだったね。私を優しく抱きしめてくれた……。その時と一緒だね」
「そうだったね。前にもこんなことあったね」
「そう同じ。サーシャは震えてた。あの時も。……あの時、私凄く怖かったの。でも震えてたサーシャに勇気を貰ったんだよ。こんなに震えている子が戦おうとしてるのに、私だけ逃げる訳にはいかないって」
フロワは次第に自分で立つ力を取り戻し、力が抜けそうになっているサーシャを強く抱きしめた。
「今もそう。サーシャ、震えてるね。怖いの? 私たちが傷つくのが、自分のせいで爪痕のみんなが傷つくのが。もしそうだとしたら大間違いだよ。誰もサーシャのことを悪く思ったりしてない。誰もサーシャを嫌ったりしないよ。私を信じて」
「フロワちゃん……」
フロワは、サーシャの手を強く握りしめた。あの時のように。もうフロワは自分の力で立って前に進もうとしている。フロワの目は虚ろではなく、前を見据えていた。サーシャはフロワの言葉とその目を信じた。自分だけが異端で、腫れ物のように扱われていた過去から抜け出したい。
サーシャは強く握ってくれた手を、再び強く握り返した。
「うん、ありがとう! 一緒にこの爪痕を守ろう!」




