35 龍の鼓動
サーシャとウィステリアが、ダークエルフの里から出て行った次の日の朝、ヨナたちはすぐにカミルやエマたちと今後の方針について話し合った。ひとまず、サーシャの件はウィステリアが追いかけて行ったのだから大丈夫だろうと言うことになった。ウィステリアであれば、サーシャに遅れを取ることはないだろう。
エルフの居場所に関しては、カミルに心当たりがあるとのことだったので、その場所がわかる者を連れて、ヨナとカルロが調査に行くことになった。そして、エマとノクリアは計画通りゾール紙を備えてエストーレ王国に帰り、国を取り戻す作戦を実行することとなった。その尖兵として、まずはノクリアが先にエストーレ王国に向かい、エマはダークエルフを何人か連れて後を追う。
「エマさん、いろいろありがとうございました。しばらくお別れですが、頑張って下さい! こちらの用が済んだらすぐに助けに向かいますから」
「ヨナ、ありがとう。本当はあなたたちと一緒の方が心強いけど、頼ってばかりでは申し訳ないですし、当初の計画通りの人員で臨むことにしたわ。エルフのことは頼みましたよ。何もなければそれに越したことはありませんが……」
「任せて下さい。『龍の爪痕』の近くを通るので、増援も呼べます。何があってもこちらで対処しておきますよ。信用して下さい」
「ありがとう。ヨナ、カルロも。頼みましたよ」
「はい!」
「ああ、エマさんも気をつけてな」
エマの後ろで、ノクリアが少し寂しそうにしていることに、カルロが気が付いた。
「ノクリア、エマさんを頼んだぞ。何としても龍神教から国を取り返してやれ」
「わ、分かってるよ。あの、えっと。も、もし、もし無事に終わったら、そっちに遊びに行ってもいいか?」
「そっち? 『龍の爪痕』にか? ああ、いつでも遊びに来い」
「や、約束だからな」
ノクリアは顔を赤らめながら、振り返ってそのまま旅立った。エマが着く前までに、彼女に王国内の諜報をしてもらわなければ、この作戦は成り立たない。重要かつ、危険な任務だ。それだけノクリアの信頼は厚いと言える。
「ヨナ、そろそろ俺たちも行くか」
「そうですね」
「お、お二人とも。よ、よろしくお願いします。お手柔らかに」
同行するダークエルフのベルフは緊張気味に答えた。ベルフがエルフの里があると思われる場所まで案内してくれる。ベルフはヨナと同じくらいの年の青年エルフだ。青年と言ってもエルフは長寿だから年齢はヨナよりもかなり上になる。ベルフは凄く鼻が効くようで、『龍の爪痕』のことも知っていた。ベルフが一緒なら迷子になることはないだろう。
「それでは、カミルさま、行ってまいります」
「カルロどの、ヨナどの。よろしくお頼み申し上げます」
そして、三人はダークエルフの里を旅立った。残されたエマは少し心細くなっていた。王国を抜け出してから、ずっとここまで一緒だった仲間。王国にいた頃には、このような仲間はいなかった。ずっと自分のすべての発言、行動が政治に直結する世界で生きてきた。とても窮屈だった。
王国を抜け出してから、辛いこともたくさんあったが、それ以上に楽しい思い出もできた。気を使わず、好きなこと、嫌いなことを話すことが出来た。『ずっとこのまま』なんてことが頭をよぎったことも一度や二度ではない。だが、自分はエストーレ王国の王女であることから逃げられない。自分の家族を、国民を守らなければいけない。束の間の淡い夢はもう覚めたのだ。王国民ではないにも関わらず、王国のために動いてくれる者たちに感謝を示すと共に、最大限の敬意を表さねばならない。今旅立とうとしている勇敢で親愛なる者たちの後ろ姿に向かって、言葉を……。
「カルロ、ヨナ! わ、我が王国のた、ために……、か、かん……」
だめだ。素直に言葉にならない。彼らにかけたいのはこんな堅苦しい言葉ではない。もっと心の底から、彼らに、友に、笑顔でかけたい言葉があった。
「二人とも、気をつけて! そして、本当にありがとう!」
エマは涙を流しながら、それを拭くこともなく、ヨナとカルロを見つめていた。とても王女と思えない顔だった。それでもいい。そんなことよりも二人に伝えたい気持ちがあった。自分の素直な気持ちを知ってもらいたい。彼らだったからこそ、こんな私でも受け入れてくれた。
エマの声を聞いて、ヨナとカルロは振り返った。
「ああ、エマさんもな。それにしてもなんて顔だ。涙くらい拭けよ」
「エマさん! 絶対、また会いに行くから! 約束だからね!」
それでもエマは二人を見つめ続けた。彼らが見えなくなるまで、ずっと。自分の幼稚な脱出計画。彼らがいなければ成功しなかった。もしかしたら、彼らは命の恩人かも知れない。いくら感謝してもし足りない。全てが終わったらちゃんと伝えよう。エストーレ王国王女としての言葉で、エマ・エストーレ自身としての言葉で。
「エマ様、我々も準備を始めましょう」
カミルが声をかけた。
「分かっています。我々も前に進みましょう」
エマの目にはもう迷いはなかった。なすべき事をなす。困難な目標に向かうその眼差しは、もう既にかつて王宮に囚われていた王女のそれではなかった。
アラマンは昨日から引き続いて召喚魔法の練習をしていた。さらにいろいろな条件で試してみると、魔法を使う上では、ロクミル草の生息地の近くにいることが大事だということが分かった。我々は魔力を使って魔法を使っていたと思っていたが、魔法は魔力だけでなく、何か別の力が作用して起きるらしい。
『龍の爪痕』から離れたところで魔法を使うと、その別の力の恩恵が受けにくいことも分かった。小さな虫の召喚もできなかった。もっと離れたところで確認してみたかったが、そこまでの時間がないため、一旦爪痕内に戻ることにした。周辺を調査している魔法士からはそのような報告は入ってこないことから、この周囲ではそこまでの影響はないのだろう。
ロクミル草の生息地に戻り、アラマンは再度魔獣の召喚に挑戦しようとした。もし魔獣が暴れた際は剣士が必要になるため、シュリにも付き合ってもらっている。心なしかシュリは嫌がっているように見えた。
アラマンは何を呼び出そうか、頭の中で考えていた。魔獣となると、よく爪痕に入ってくるあいつか、いや、もっと大人しいやつから試そうか。そう言えば、自分の頭で考えることができたら、何でも呼び出すことができるのだろうか。アラマンの中に新たな疑問が生まれた。その好奇心は留まることを知らず、どんどん思考が加速していった。そして、もしかしたらドラゴンも召喚できるのではないだろうか。と、思ったそのとき、ロクミル草生息地の全体からあの光の粒がフワッと浮き上がった。と、同時に、アラマンは急に心が締めつけられるほどの恐怖を覚えて我に返った。気がついたら光は消えていた。
「先生、さっきの光は何ですか?」
シュリが聞いてくる。どうやらシュリにもさっきの光は見えたようだ。そして、リュクスは腰を抜かしていた。自分と同じ恐怖を感じたのだろうか。アラマンは全身汗をびっしょりとかいていた。今の恐怖は何だ?ドラゴンのことを考えた途端に、急に何かに襲われるかのような感覚に陥ってしまった。
気が付いたら完全に日が暮れていた。今日はここまでにしておこう。明日はエルフの里の調査に出かける。そこでリュクスが言う彼に話を聞いてみよう。
と、その時であった。先程と同じ感覚が全身を襲った。それは間違いなく恐怖だった。圧倒的な恐怖。体が締めつけられ、体が硬直してしまいそうな感覚。リュクスは頭を抱えて地面に突っ伏している。シュリは両手で自分を抱き抱えるようにして怯えている。一体何が起こったのだ。しばらくすると、その感覚は消え、何事もなかったように周囲は静まり返った。




