34 内通者
エストーレ王国王宮内の一室。元エストーレ国王ファニール・エストーレは自室にいた。自室にいたといっても龍神教に軟禁されている身のため、自室から出ることはできない。何不自由なく暮らせてはいるが、外の情報が全く入ってこないことは気がかりだ。自分の子供たちが無事なのかくらい教えてくれてもよかろうに、と独りごちる。
ファニールは、龍神教の政変は裏で手を引いている者がいると睨んでいた。国王として情けない話だが、政変の動きを察知できたのが遅過ぎた。遅過ぎた、ということは国王に知られずに内密で計画を進めていたということになる。大司教ボニファスにそれだけの器用なことが出来るわけがない。彼は教義に純粋で生真面目な男だ。恐らく白の騎士団団長のジルが絡んでいることは間違いないのだが、彼だけであそこまでの手回しが全て出来るだろうか。
ファニールの頭の中には、最も考えたくない可能性がずっと巡っている。どれだけ考えようと、どれだけ否定しようと無駄だった。全ての状況証拠が答えを物語っている。だが、同時に信じたくない、という心情も押し寄せてくる。早く外に出て確認したいが、何もできない自分が腹立たしい。
と、そこへ扉を叩く音が聞こえた。
「誰じゃ?」
すると、扉の向こうの人間は何も答えずに入ってきた。ジルだった。
「こんにちは。ファニール様。お加減はいかがですかな?」
「ふん、わざとらしく『様』なんぞつけなくてよい。嫌味なやつめ。何の用じゃ?」
「はい、今日はお伺いしたいことがあって参りました。そして、その前にご紹介したい人物がおります。……どうぞ、お入り下さいませ」
扉の向こうからもう一人の男が姿を現した。それは、ファニールが最も考えたくない可能性の一人だった。
「ご機嫌麗しゅう。父上」
「カラッド。やはり、お前だったのか」
ファニールの長男カラッドが、不敵な笑みを浮かべながら部屋に入ってきた。
「父上、お久しぶりでございます」
「この、馬鹿息子が! なぜジルと手を組んだ?」
「父上、その馬鹿息子に一本取られた気分はいかがですかな?」
カラッドはまるで反省していない。むしろ自分がやっていることに迷いがないように見える。あの大人しかったカラッドが、ここまでのことをするとは思いもしなかった。
「確かに、お前が裏で手を引いているという可能性に思い至らなかったのは、わしの落ち度じゃ」
「ふっふっふ、ふはははははっ、あっはっは。あの父上が落ち度を認めた! 私の意見など一つも耳を貸さなかったあの父上が! 気分がいい。とても気分がいい。父上、馬鹿息子でも放ったらかしにしておけば牙を剥くこともあるのですよ。以後、お気を付け下さいませ」
「ふんっ、お前は自分が何をしたのか分かっているのか! ゾール紙なくしてはこの国の未来などあり得んぞ!」
カラッドは完全に悦に入っていた。自分の劣等感の象徴でもある自らの父が、我が策に完全に嵌ってしまったことが気持ちよくて仕方ないといった様子だ。
「父上、ご心配には及びません。この国は私とジルでちゃんと統治していきますので」
「お前たちに何が分かる? この国の何が」
「分かりますとも。この国はドラゴンに支配されている。それだけだ。国民の心を掌握さえすれば、統治など容易いことですよ」
「そうではない! この国に必要なのは……」
「カラッド様、そろそろ。お時間がありませんので」
ファニールの言葉をジルが遮った。
「そうであったな。ジルよ、すまない」
「いえ」
「話し足りないが仕方ありません。今日は父上に聞きたいことがあって参ったのです」
今さら何を聞くと言うのだろうか。ファニールには全く想像もつかなかった。
「お聞きしたいことは、ゾール紙の在庫です。まだまだ隠し持っているでしょう? どこにあるか教えて頂けませんか?」
「ゾール紙は全てお前たちが回収したじゃろうが」
「いえ、まだまだこんな数ではなかったはずです。どこに隠してあるか教えて頂きます」
「城の隠し部屋は知っておろう? まだあるとしたら、そこにしかないわい」
「おかしいですね、そこは先程確認に行きましたところ、ゾール紙は一つも置いてませんでしたよ」
「それは知らん。わしが捕まった時にはちゃんと保管していた。今ないのであれば誰か持ち去ったのじゃろう」
すると、ジルがカラッドに小声で話す。
「カラッド様、恐らく、これ以上は分かりません。引き上げましょう」
「仕方ないな、分かった」
「了解致しました。父上がないと言うのであればないのでしょう。それでは父上、私はこれにて失礼致します」
カラッドはファニールに向き直り、別れの挨拶を述べて部屋を去っていこうとした。
「待て! お前たちは何を企んでおる? エルフと通じておるのは知っているのだ」
すると、今度はジルが不敵な笑みを浮かべながら答えた。
「ファニールさま。それをお話しする訳にはいきません。ただ一つ言えるのは、ゾール紙なんかよりももっと強力なものですよ。我々が作り出したいのは」
そう言い残して二人は部屋から去っていった。
「な……ん……じゃと。もっと強力とは、まさか、召喚……。まさかな。じゃが、そうだとしたら危険過ぎる。阻止せねばならない。しかし、どうやって……。いや、待て、そう言えばカラッドは『私とジルで』と言ったな。ボニファスのやつはどこに行ったのだ? くそっ」
ファニールは自分の机に拳を叩きつけた。悔しいが、ここにいては何も出来ない。何もできず、ただ座して成り行きを見守るしかできない。そう思うと、無力感に苛まれる。
ファニールが深呼吸で気持ちを落ち着かせようとしたところに、再び扉を叩く音がした。
「何用じゃ、先程の続きを話してくれに来たのかの?」
すると、扉の向こうにいる男は意外なことを口にした。
「ファニールさま、お静かに願います。助けに参りました」
『龍の爪痕』。アラマンは自室でリュクスとの話の内容を整理していた。とても信じられないような内容だった。『召喚魔法』というものがあるとは、完全に盲点だった。しかも生物まで呼び出すことができるという。
リュクスとの会談のあと、すぐにミサリアのところへ報告に行った。ミサリアの第一声は『胡散臭いわね』だった。無理もない。魔獣を呼び出すなんて、荒唐無稽にしか聞こえないのが普通だ。しかも、まだ爪痕の外の片付けが終わっていない段階でこの話だ。まともに聞く気になれないのも理解できる。ミサリアへの説得の結果、片付けが終わる予定の二日後に、エルフの里の調査に向かうことになった。リュクスも感謝してくれた。
アラマンにはリュクスの話は納得できるものだった。理屈の上で火炎が召喚できるなら、動物や魔獣が召喚できても不思議ではない。ただ、相当な魔力の消費が予想される。リュクスの話では、そのエルフはロクミル草を大量に使うと言っていた。『龍の爪痕』の常識から考えると、ロクミル草が魔力を溜め込んでいる、というのは分かるが、魔力源になるということはない。我々もロクミル草を利用すれば、召喚魔法が使えるのだろうか。アラマンは早速、明日からリュクスを連れて召喚魔法の練習をしてみようと思った。
次の日の朝、アラマンはリュクスを連れてロクミル草の生息地へ向かった。何かあったときのためにコウシュウを誘ったが、後片付けが忙しくて断られてしまった。それだけでなく『半分はお前がやったのに、どうして手伝わないんだ』というお説教を聞く羽目になってしまった。しばらく聞いてると、コウシュウは諦めたかのように、シュリを貸してくれた。シュリがいてくれたら十分に心強い。シュリは連日の後片付けに少し辟易としていたため、喜んで付いてきてくれた。
三人で東門の近くの生息地に向かった。辿り着くなりすぐ、アラマンはまずは小さな火炎魔法から使ってみた。指先に小さな炎が出てきた。ここまではいつも通りだ。その感覚をそのままに小さな虫を呼び出そうとしてみた。すると、ロクミル草の周りから一つの小さな光が出てきて、こちらに向かってくるのが分かった。その光が自分の手の平に来たとき、その光が弾けて、小さな虫が出てきた。
「し、信じられない。い、一回で召喚魔法を……」
リュクスは、仲間が苦労して身につけた召喚魔法がいとも簡単に成功したことに驚きを隠せなかった。
「いや、これは成功したというより……。魔力はほとんど使わなくてよい……?」
アラマンは、虫を呼び出すことができたことに喜ぶことなく、小さな疑問を抱いた。もう一度、小さな虫を呼び出してみた。すると、また小さな光が近づいてきて、弾けたと思ったらまた虫が現れた。
「リュクス、この小さな光は見えるか?」
「光? 何のことですか?」
リュクスは首を横に振る。
「シュリはどうだ?」
シュリにも見えてないらしい。この光は何だというのだ。フロワに聞いてみたいが、フロワはあの戦い以降、元気がない。今はかなり回復してると聞くが、まだ無理はさせたくない。アラマンは何度か虫の召喚を試してみた。その結果、分かったことがある。この場所で召喚魔法を使っても魔力はほとんど消費しないということだ。
アラマンは一日中、召喚魔法を試した。流石に魔獣まで召喚するのは難しかったが、呼び出すためのコツがあることが分かった。魔力を必要としないのは、ロクミル草から放たれる光のおかげである。その光は召喚しようと魔力を込めたときに反応して出てくる。この光の正体までは分からなかったが、面白い発見だった。明日は魔獣の召喚を試してみよう。
「リュクス、シュリ、今日はありがとう。また明日も頼むよ」
一日中付き合わされたシュリは、そう言えばアラマンはこういう人間だったということを思い出して、少しげんなりした。
その頃、黒の騎士団のロズド隊は、エストーレ王国から西に向かって、荷馬車を走らせていた。
「なあ、ロズド」
「なんだ? ナーシス」
「『なんだ』じゃないよ! 何? また任務なの? 私たち前の戦闘から帰って来て、まだろくに休んでないんだけど! 私の体はもうボロボロなの。ねぇ、パッカスも何か言ってやってよ。この体力馬鹿に」
ナーシスが怒るのも無理はない。彼らは『龍の爪痕』での戦闘のあと、エストーレ王国へ帰還してすぐ、アコーニットに戦闘の報告をした。そして次の日にまた遠征の命令を受けたのである。カーラは先の戦闘で負傷しているため、今回は同行していない。
「そんなことよりも、パッカス。この荷物は何だ?」
「ロズド様、アコーニット様から聞いてなかったのですか……。これはゾール紙ですよ」
「おい! ロズド。『そんなこと』とは何だ? お前はもう少し隊員に、いや私にももっと優しくしてもいいと思うぞ」
ロズドはナーシスの心の叫びを軽く流しながら、パッカスに事情を聞いた。
「ゾール紙? まだそんなにあったのか。そんな数、どこに隠してやがったんだ?」
「残念ながら、私の知るところではありません。アコーニット様から『持っていけ』と預かっただけですから」
ナーシスは、ロズドにこれ以上文句を言っても無駄だと諦めて、改めて任務の内容を確認した。
「で? ロズド隊長、今回の任務のこと詳しく教えなさいよ」
「知らん」
「はぁ? お前、どこまで馬鹿なんだ。じゃあ私たちは今から何をしに行くんだ?」
「落ち着けよ。詳しくは知らん、というだけだ。アコーニットのおっさんは『エルフの里の調査に行け』しか言わねえんだよ」
アコーニットはいつも細かい任務の説明はしてくれない。それは今に始まったことではないが、ここまで何も知らないと不安になる。
「はぁ、分かったよ。で? このゾール紙は何?」
「それも知らねえ。多分、何かあったときに使えってことじゃないか」
「こんなに大量のゾール紙をか?」
「ああ……。もしかして今回もヤバい任務なのかもな」
ナーシスも少し嫌な予感がしていた。ここのところ、危ない任務ばかりしてきた。命の危険もあった。これだけのゾール紙を使わないといけない状況を想像できないが、それだけの準備をしておけ、ということなのだろう。
「で? そのエルフの里はどこにあるの?」
「知らねえ」
「こ、この馬鹿隊長がぁぁぁぁ! さっきから『知らん。知らん』ばっかり言いおって! じゃあ私たちはこんな荷物抱えてどこに向かってるんじぁぁぁい!」
「こら、お、落ち着け。お前最近凶暴になってきたな。大体の場所は聞いているけど、詳しくは分からない。でもおっさんは、『近くに行けばすぐに分かる』って言うんだよ」
相変わらず騒がしい隊だな、と思いながらパッカスは馬に鞭を打って先を急いだ。




