30 ダークエルフの里へ
夜は更けたが、今日は満月だ。まだ外の街の様子がよく見える。白の騎士団団長のジルは自室で休んでいた。ここのところ、町の治安は落ち着いている。政変の直後はかなり町の治安が荒れたが、『このまま国王の政策を続けると、ドラゴンの怒りに触れる可能性がある』と触れ込んで回ったら、皆一様に黙った。やはり何だかんだと言って、国民はドラゴンが怖いのだ。『もういなくなってしまったのだ』と、普段は偉そうにしている貴族連中も内心ではビクビクしている。
この国はドラゴンに支配されているといっていい。いないはずのドラゴンがこの国を支配している。ドラゴンの存在が恐怖である限り、我々の統治はしやすくなる。そのためには、『ドラゴンに対抗できる』と希望を抱きそうになるものは排除せねばならない。
その筆頭がゾール紙だ。最初は子供の遊びのようなものだと高を括っていた。が、ゾール紙の魔法が、小さな森を焼き払ったと聞いたときは、肝を冷やした。現地に確認に行くと、小さな森が焦土のようになっていた。これは危険すぎる。この威力を国民が目の当たりにすると、『ドラゴンに勝てるのではないか』という希望を抱いてしまう。
ジルは、大司教のボニファスに、ゾール紙の開発中止を国王に進言するよう嘆願書を書いた。このまま開発が進めば、国民の期待がゾール紙に集まってしまう。ボニファスは幸い俗物だ。『このままでは龍神教の権威が地に落ちる』と言うと、必死になって抵抗した。
先日会ったエルフ族が面白いことを企んでいた。ダークエルフ族とエルフ族の溝は深い。それを利用すれば、我々騎士団が国を思いのままに操れることができるかも知れない。我々が、ゾール紙など霞んでしまうほどの大きな力を手にすることができれば、もう何も恐れる必要はない。この国は簡単だ。ドラゴンの存在さえ無くさなければ良いのだ。
そのためには、すこしでも不安要素は早めに消しておきたい。あの魔法を使うという少女。あれは危険だ。オットー山脈に住むという魔法使いたち。やつらも危険だ。こちらに恭順を示す気がないのであれば、消えてもらわなければならない。
そろそろ、ブランニットたちの戦いは終わっている頃か。あれだけの数のゾール紙を持っていけば、負けることはないだろう。こちらとしても、国王派の象徴であるゾール紙は、早くに処分しておきたかったので都合が良い。アコーニットの周囲に間者をつけていて正解だった。アコーニットは我々を出し抜こうとしていたが、奴も爪が甘かった。ちょうど汚名返上に燃えていたブランニットには、うってつけの任務だったと言えよう。
と、そこへ扉を叩く音がした。
「何だ、こんな時間に」
扉の向こうの部下が緊急の要件を伝える。
「はっ、夜分遅くに失礼いたします。先ほど、エマ王女の監視役から連絡が入ったのですが」
「エマ王女? エマ王女がどうした?」
「はっ、部屋からいなくなったとのことです」
「な、なんだと? どういうことだ」
エマ王女がいなくなった。これが何を意味するかを、ジルは咄嗟に判断できなかった。何か事を起こすとしたら国王しかあり得ない。
「はっ、つい先刻、監視役が、就寝前の確認でエマ王女の部屋の前で声をかけたところ、中から反応がなかったため、そのまま部屋に入ると、既に誰もいなかったとのことです」
「ばかな……。エマ王女が、何のために。……とりあえず、分かった。下がっていいぞ」
「はっ、それと、もう一つ気になるご報告があります」
「何だ、まだあるのか」
「申し訳ございません。先ほど、街中で小さな騒動がありまして、騎士団の者が三人組の不審者を発見しました。声をかけたところ、光を放って、そのまま逃げました。追いかけようとしたところ、急に強い風が吹いてきて、不審者をそのまま逃がしてしまったようです」
「その不審者の顔は見たのか?」
「いえ。ただ、一人は男、もう二人は女だったようです」
「そうか、分かった。とりあえず街中の警戒を怠るな。また、外壁周囲の探索をしろ。何か出て来るかもしれん」
「はっ、かしこまりました」
扉の向こうの部下は、部屋の前から離れていった。
不審者だと。恐らく、エマ王女だ。しかも取り逃がした。これは大きな失態だ。しかも、光を放ったというのはどういうことだ。まさか、魔法。もしかしてフランコフ領のあの少女なのか。そうだとしたら、ブランニットが遠征に行ったところには、その少女はいないことになる。見当違いだったということか。だが、あそこにいる魔法使いたちを消してしまえば、残る不安要素はあの少女だけとなる。なぜ王女と少女が結びつくのかが分からない。エクレル王子が絡んでいるのは間違いないが、エクレル王子とその少女に、夜に紛れて王宮に忍び込むことができるとは思えない。先ほどの不審者の中に手引きした者がいるということになる。何者だ。
「どうした? お前らしくもない」
扉を開けて入ってきたのは、黒の騎士団団長アコーニットだった。
「アコーニット、何をしに来た?」
「いや、エマ王女の件でな」
「もう知っているのか。耳が早いな。それで、何か手がかりを教えに来てくれたのか?」
「ダークエルフだ」
「なんだと? ダークエルフ……まさか」
「そうだ、ダークエルフがエマ王女を手引きしたと考えるのが一番自然だ」
「ダークエルフは国王と繋がっていたからな。確かにそうかも知れない。で、ダークエルフの里はどこにあるのかは分かっているのだろうな?」
「それが、まだ見つかっていない」
「なぜだ! ゾール紙の開発を支援したダークエルフは断罪しなければならない。政変前から捜索していただろう! なぜ未だに見つかっていないのだ!」
「政変前に、里を捨てて移動していたからな。痕跡も何もない。手がかりがない以上、時間はかかってしまう」
「すぐに我々も人員を割いて捜索することにする。お前には任せてはおけない」
「好きにしろ、それよりも」
アコーニットがジルに向き直って、強い視線を向けてきた。
「何だ? 改まって」
「お前、エルフ族と何をしようとしている?」
「エルフ族? 何のことだ?」
「とぼけても無駄だ。先日、エルフ族の者と密会していたのは知っている」
「さすが、黒の騎士団様だ。何でも筒抜けだな」
「お前ほどではない。ブランニットをうちの隊に仕向けたのはお前だろう。急いで用意させたのだが、間に合わなかった」
「まあな、こちらも仕事なのでな」
「俺もそれと同じだ。で、エルフ族とは何をするつもりだ?」
ジルはこれ以上隠しても無駄だと諦めた。アコーニットが自ら聞きに来たのだ。話の内容まで漏れてしまっているに違いない。
「君が、聞いた通りさ」
「お前……本気なのか?」
「ああ、本気さ」
「何のためにそこまでする?」
「国を統治するためだよ。分からないのか。上手くいけば、この国は安泰だ。これ程素晴らしいことはない」
「大司教には?」
「もちろん内緒だよ。言ったら卒倒するかもね。で、君はどうする? 私を斬るか?」
「俺は、国政の事は興味がない。自分の仕事をするまでだ。だが、お前が国を傾かせようとするなら、迷わず斬らせてもらう」
「……アコーニット。思い出さないか、孤児院にいた頃のことをだ。ドラゴンがいるか、いないのって、それだけで争って、親を失って。もうそんなことはこりごりなんだよ、僕は。本当に、それだけさ」
「……俺は警告はしたぞ」
そう言い残してアコーニットは部屋を出て行った。あの計画をアコーニットに聞かれてしまったのは想定外だった。まさか、そこまで警戒されているとは思ってもみなかった。が、大きな問題はない。とにかくまずはダークエルフの里が先決だ。捜索隊を作って、必ず見つけてやる。ブランニットの方は大丈夫だろうから、こちらで早急にエマ王女と魔法を使う少女を狩ることにしよう。
ジルが、『龍の爪痕』から帰ってきた早馬から、大敗北の報告を聞いたのはその二日後のことであった。
エストーレ王都から、遥か南に三日間歩き続けると、そこには大森林があった。それは、東のオットー山脈の麓から広がる大森林の一部だった。ヨナたちにはこの大森林が、『龍の爪痕』の外の森と繋がっているということが、とても信じられなかった。
ヨナたちは辿り着いたのである。ノクリアが先頭まで走り、皆に振り向いて両手を広げた。
「ようこそ、ここがダークエルフの里だ」




