29 初めての旅
「ええっ、魔力が切れかけている?」
王都から無事にエマを連れ出すことに成功したヨナたち一行は、その日の内にできるだけ王都から離れておくため、一日中歩いた。最初の野営をする場所まで辿り着いて、一息つこうと皆が腰かけた。その流れで、ウィステリアが話し始めたのだ。
「そう、みたい。ヨナもそうみたいだけど。私も同じようなことになっているみたいなの」
「そう、だね。昔はもっと魔法を使っても、何も問題なかったのに……」
「私もよ。昨日は、ヨナたちを助けなきゃって思って、全力で風魔法を使ったわ。でも、いつもならその位では魔力は切れないはずなのよ」
ウィステリアにも魔力切れが起こっている。理由は分からないが、旅をして体が疲れているからだろうか。一晩休んで回復したらいいのだが、『龍の爪痕』にいたときの経験則から、そこまでは期待できない。あそこでは、魔力は常に満ちていたような感覚だった。
「あのー、みなさん、私、話にまったく付いていけないんですけど……」
エマが話に入ってきた。ヨナたち一行は、エマが合流してから話もせずにひたすら歩いてきた。エマが話に付いていけないのも無理はない。
「そうでした。大変失礼いたしました。エマ様、ここで皆を紹介したいと思います」
「待って、ノクリア。礼儀としてはまず、私から話します」
「エマ様、それは……」
「いいのです、この者たちは我が国民ではないのでしょう? それなら、堅苦しい話は抜きの方がこちらも楽でいいですわ」
「エマさまがそうおっしゃるなら、私は構いません」
エマは、ヨナたちに向き直って、改めて挨拶をした。
「私の名前はエマ・エストーレと申します。ご存知の通り、あのエストーレ王国の王女ですわ。この度は私の計画に賛同頂き、また危険を冒してまで脱出を手伝って頂き、心より感謝申し上げます。皆さまがいなければ、このようには上手くいかなかったでしょう。感謝してもし切れません」
「あっ、い、いえ……」
ヨナたちは少し圧倒されていた。こんなにも礼儀を尽くした挨拶を目の当たりにしたのは、初めてだったからだ。『龍の爪痕』にも簡単な儀礼や挨拶はあるが、そんなに重視されていないため、目にすることは稀だ。
「堅苦しい挨拶は抜きでいい。俺たちはエストーレ王国の内情を知るためにこの計画に乗ったまでだ」
「おおー」
サーシャが感嘆の声を上げた。流石のカルロでも、お姫様の前では畏まるかと思いきや、まったく平常運転であった。むしろ清々しい。
「はい、私も堅苦しい関係は望んでませんわ。それと、我が国のことでしたら、何なりとお聞きください。私が分かる範囲でお答えいたしますわ」
「そう言ってもらえると助かる。エマさん、だったな。俺はカルロ、よろしく頼む」
「ちょちょちょちょーっと、待ってよ。カルロさん」
「何だ、サーシャ。気味の悪い声を出すな」
「いやいやいやいや、エマさんは仮にも一国のお姫様ですよ。お、わ、か、り? ちょぉっと、言葉遣いが砕け過ぎじゃありませんかー?」
「えっ、そうなのか? 年下っぽいし。でも一応敬意を表して『さん』付けだぞ」
「オオ、神ヨ。コノモノニモットイロイロオシエテアゲテクダサイマセ」
二人のやり取りを聞いて、エマが声をかけてくれた。
「サーシャ。さっきも言いましたが、私にそんなに気を使ってもらうことはないです。皆さんは王国民ではないのですから、立場は同じですよ」
「えっ、そんな、ものです、か?」
サーシャはなぜか恐縮している。エクレルもこの国の王子なのに、扱いに天と地ほどの差があるのはどうしてだろうか。
「あ、あの、私はウィステリアです。よ、よろしくお願いします」
「ウィステリアですね。よろしくお願いします。あなたの魔法はとても凄かったです。あの時は本当に助かりました」
「あ、いえ……」
珍しくウィステリアも恐縮している。こんなウィステリアを見るのは初めてだ。いつも自信満々で厚顔無恥といった感じなのだが。
「あ、あの、エマさん。僕はヨナです。一度部屋で挨拶しましたが、改めてよろしくお願いします」
「ああ、ヨナでしたわね。よろしくお願いします。この度はありがとうございました。」
「あ、いえ」
皆が恐縮するのが分かった。エマはとても美人なのだ。ヨナと同じ年なのにも関わらず、大人っぽくて、とても清楚な雰囲気を醸し出している。髪色は明るく、透き通るような目。この目に見つめられたら、誰でも吸い込まれそうになる。
「エマ様、部屋での一件について、ここでヨナに処断されてはいかがでしょうか?」
「ああ、そう言えば、そんなこともありましたね。私への破廉恥な行為。でも、あ……」
「ヨナさん? 今のはどういうことかしら?」
ウィステリアが体を震わせながら、こちらを睨んでいる。完全に怒っている。
「えっえー、ヨナさん。お姫様に何したのー?」
サーシャが話に乗ってきた。それに呼応してノクリアも乗ってきた。ヨナには嫌な予感しかしなかった。
「サーシャよ、それは詳しく言う訳にはいかないのだ」
「わお、もしかして口に出すのも憚れるような破廉恥なことを……」
「わー、違うよ。あれは全然わざとではなくて、ちょっと躓いてしまっただけだよ」
「ほう、ちょっと躓いてどうしたというのだね、ヨナくん」
「私は全然気にしてませんよ、ヨナ。あれは事故でしたし。ちょっと私に飛び込んで押し倒そうとしたくらいでは怒ったりしませんわ。ヨナは私の恩人。そのくらいでは……うっ」
エマは泣いているような仕草をした。
「な、なんてことを。ヨナくん。見損なったぞ。一国のお姫様を手籠めにしようとするなんて。男の風上にもおけないやつだな」
サーシャはヨナを指さして、まるで凶悪犯扱いだ。
「サーシャ、違うって。信じてよ。エマさんもそれはないですよ。押し倒してなんかいませんよね」
「うっ、でも、私の胸に飛び込んできたのは嘘ではありませんわ」
「まあ、それは、そうですが……」
「ヨ・ナ・さ・ん、そうなの。そうだったのね」
ふと不穏な雰囲気を感じて振り向くと、ウィステリアが自分の足元の地面を震わせながらヨナに近づいてきていた。
「ヨナの馬鹿馬鹿馬鹿-。あんた、何てことしてくれたのよ。一国のお姫様にそんなことして許されると思ってるの? あんたそれでも『龍の爪痕』の人間なの? 恥を知りなさい。フロワにも言うわよ。いや、私がここで正義の鉄槌を食らわせてあげる。『大地よ…‥』」
「わー、待って待って。フロワに言うのはやめて。ご、ごめん。謝るけど、わざとじゃないんだ。信じてよ。っていうかさっき魔力はもうないって言ってなかった?」
「うるさい! 馬鹿ヨナ!」
サーシャの作った小さな岩が無数にヨナに放たれた。ヨナもとっさに風魔法でそれを防ぐ。ヨナの魔力もまだ少しだけ残っていたようだ。
「ふふっ、あはははっ」
そんな二人を見ながら、エマが満面の笑みで笑っていた。それはお姫様としての上品なものではなく、一人の少女として、心の底から笑っているようだった。
「え、エマ様、どうされましたか?」
「ノクリア、ああ、ごめんなさい。こんなに心の底から笑ったのは久しぶりですわ」
エマの笑い声に押されて、ウィステリアとヨナは動きを止めて固まっていた。
「ヨナ、からかってごめんなさい。ウィステリアも心配いりませんわ。あれはただの事故です。ちょっとびっくりしたけど。ヨナを許してやって下さい。サーシャも悪い奴ですね。一緒に悪ノリしてきて、ノクリアも」
「い、いやー、これはいつもの定番のやつなんですよねー」
「わ、私はサーシャが目で合図を送ってきたので……つい」
エマは、思ったよりも気さくな人なのかも知れない。サーシャもウィステリアもヨナも同じことを思った。エクレルと同じでいいやつだ。
「おい、お前たち、いつまで遊んでいるんだ。まずは飯だ飯。魔力の話とエストーレ王国の話は飯を食いながら話そう」
「はーい」
みんなで準備を始める。それぞれが動き始めたが、エマは手持ち無沙汰のまま立ち尽くしていた。するとカルロが寄ってきて声をかけた。
「ほら、お前も手伝え。その辺で枯れた木を拾ってくるくらいできるだろう。ノクリアも付いて行ってやれ」
「……分かったわ。行ってくる! ノクリア、私たちも行きましょう」
エマは火を起こすための枯れ木を探しに行く。これから、少しの間ここにいる者達との旅が始まる。
王宮を出てからずっと緊張していた。王宮を出たとき、大通りでノクリアが少し急ぎ始めたとき、騎士団に声を掛けられたとき、ヨナの魔力が切れてしまったとき。エマはどの状況でも何もできず、ずっと流れに身を任せていた。そうすることしかできなかった。不安を感じ、いつ見つかるかも分からない、という緊張感に飲まれてしまっていた。だが今となっては、今回の旅の不安と緊張は、いつの間にかどこかに消えてしまっていたことにすら、気づいていなかった。
エマは『王国』と言う名の檻から抜け出して、新たな世界への小さな一歩を踏み出したのだ。




