26 王女の脱出1
ヨナとノクリアは二人で王都の入口の近くまでやってきた。二人で王都の外壁に背を預けて並んだまま、時間が来るのを待っていた。水浴びと食事は無事に終わり、準備は万端だ。
それにしても王都は大きい。円形の外壁に覆われており、その外壁は石造りで、ヨナの三人分の高さをゆうに超えていた。かなり古そうだが、まだまだ頑丈そうだ。大きさに関しては、一周するのにどれだけかかるか想像もつかなかった。
ノクリアに聞いてみると、実は円形ではなく、半円のような形をしているらしい。半円の向こう側は険しい山になっているため、一般人が王都に入れるのは、正面からしかないそうだ。それにしても、これだけの大きな石壁を作らないといけないのは、どうしてだろうか。
「さて、ヨナ。改めてよろしく。もう少しで日が完全に落ちる。その時点で出発だ」
「は、はい、よろしくお願いします。」
初めての王都。初めての夜間の侵入。ヨナには初めてのことばかりだ。
「あ、あの、どうやってこの石壁を登るのですか?」
「何を言っている。飛ぶに決まっているじゃないか」
「え、それは、ちょっと僕には無理かと……」
「お前、支援魔法は使えないのか?」
「支援魔法って、気配消すやつだけじゃないんですかね……」
「筋力を上げる支援魔法がある」
そう言って、ノクリアは支援魔法を詠唱して自らにかけた。そして、軽く自分の身長以上の高さまで跳躍してみせた。
「おおっ」
「これは、力を付与させたい筋肉に、魔力を流すことをイメージするとできる。でもコツがあってな。簡単には習得でき……」
「精霊たちよ。我が魔力を糧に、我が力を向上させ給え……」
「お、おい、ヨナ、それ……」
「よし、じゃあいきますね」
ヨナは軽く飛んでみた。いつもよりも足に力が入る感覚を感じることができる。そして、簡単に石壁の上まで跳躍した。着地の時も、足の筋力が増していることで、衝撃はほとんど感じない。
これはいい。この魔法があれば、遠くまで軽く走っていけるし、風魔法のように変に集中力が奪われることもない。カルロにかければ、凄いことになりそうだ。
「どうですか? こんな感じですよね?」
「お、おい。ヨナ、何でそんなことができる?」
「えっ、なんでって? コツを教えて頂きましたし、イメージしやすい魔法だったので」
「いや、そっちもそうだが、そうじゃない。お前の魔法は……」
と、壁の向こうから物音がした。何人かで何かしているようだ。
「まずい、静かに!」
「な、なんですか? 今のは」
ノクリアは手でヨナの口を塞いだ。小声で話す。
「多分、さっきお前が飛んだとき、誰かに見られたんだろう。少しでも不審な者はすぐに通報されるようになっているからな」
「えっ、さっきのが誰かに見られてたんですか? 一瞬でしたよ」
「分からない。だが、人が集まってきてるのは確かだ。一旦ここから離れよう」
そう言って、ノクリアは外壁沿いに、静かに走り始めた。
「こっちからでも大丈夫なのですか?」
「ああ、少し遠回りになるが大丈夫だ。見つからない方が大事だからな」
ノクリアはある程度走ったところで止まった。よく見ると、もう完全に日が落ちかけている。日が落ちても、今夜は満月だから完全な暗闇とはならない。そろそろ侵入の時間だ。
ノクリアは、壁に耳を当てて、外壁の向こう側の物音を確認している。これも支援魔法を使って聴力を上げているのだろうか。しばらくすると、ノクリアが合図を出してきた。
「よし、行くぞ。支援魔法を使う」
一気に緊張感が増してきた。ヨナもノクリアに合わせて魔法を使う。これで二人の気配はほぼなくなった。そのまま先程の、脚力の上昇魔法を使い、外壁の上に登る。
すると、月明かりに照らされたエストーレ王国が一望できた。圧巻だった。外から見ただけでは分からない。巨大な街だった。
夜のせいか、人出は少ない。隙間なく建てられた家と、そこから漏れる生活の光。それが、無数に広がっている。ヨナが立っている位置の、ちょうど反対側の外壁沿いに、大きな建物が見えた。その建物の後ろには背の高い山がそびえ立っている。
「見とれてる暇はないぞ。さぁ、こっちだ」
「あっ、はい」
ノクリアに急かされて、後を追う。石の外壁の上をひたすら走る。街の中はまだ光があり、人は少ないがゼロではない。この場所の移動が、一番誰にも見つからずに済みそうだ。
「ノクリアさん、王宮はどこですか?」
「あの先に見える尖った屋根のある、大きな建物だ」
先程確認できた大きな建物だ。やはりあれが王宮だった。
「気配を消していると言っても、物音には気づかれる。気を付けて走ってくれ」
「はい、了解です」
二人で前屈みになりながら、外壁の上を走る。支援魔法で脚力の強化をしているため、いつもの倍以上の速さで進んでいる。このまま行けば、そんなに時間がかかることなく王宮の近くまで辿り着けそうだ。
エマはいつものように、王宮の自室で外の景色を眺めていた。今日は満月だから、日が落ちても月明かりのせいで、街並みがよく見える。日が落ちると、街は急に静かになる。
かつては日が落ちても、ゾール紙でかがり火を焚いて、遅くまで仕事をしたり、外で食事をする者が多くいた。ゾール紙を禁じられた今は、高い油を使わないといけない火が貴重になったため、そんなことはできなくなってしまった。
民は、龍神教の考えに賛同していると聞く。果たして本当にそうなのだろうか。街の活気はかつての方があったように思える。なぜ、民衆は龍神教に付いていくのだろうか。魔法の力がそんなに恐ろしいのだろうか。
いや、違う。何よりも恐ろしいのはドラゴンだ。この国は、建国されてからずっとドラゴンの恐怖に怯えてきた。もうこれだけ長い間現れてないのだから、既に滅んでしまっているだろう。という楽観的な考えも分かる。もう既に伝説上の生き物なのだ、と考える者は貴族の中でも多い。
だが、一度、空が荒れ、大きな風が吹くと、彼らは心臓を鷲掴みにされたような鈍い痛みを感じ、頭の中がある一つの恐怖に支配されてしまう。『もしかしてドラゴンが復活したのではないか』と。
その度に、龍神教の考えに賛同する者が増えていく。ドラゴンが現れない期間が長ければ長いほど、『もしかしてそろそろ現れるのではないか』という考えに信憑性が出てくる。民は不安なのだ。恐怖から解放されたいのだ。その目の前に『ドラゴンこそが神。神を敬愛して祈りましょう。さすれば我々には慈悲が与えられる』という者が現れたら、すがりたくもなる。
一番怖いのは『ドラゴン』ではなく、『ドラゴンに怯える心』なのかも知れない。現に、我が国は外部との争いはなく、農地も十分にあるため、極めて平和である。誰も争う必要がない。だが今はどうだ。国は、龍神教によって政変が起きて、国が割れてしまっている。争う必要もないはずの国で内乱が起きている。
父は、神のような目に見えないものにすがるのではなく、確固たる力を持つことで民を救おうとした。そのためのゾール紙の開発だった。だが、それが奇しくも国を二分する要因となってしまった。
父は、王はそうなることをある程度予想できたはずだったが、そこには目もくれず、一心にゾール紙の開発を進めていった。今考えてみると、その盲目的な意欲には違和感がある。龍神教に大きく反発されていたのにも関わらず、どうしてあれだけ急進的にゾール紙の開発を進めたのか。もっとちゃんと父から話を聞かなければいけなかった。今思うと悔やまれる。
陰で、龍神教と繋がっているというエルフ族のことも気になる。どちらにしても早く行動を起こさなければいけない。
と、ふと窓の下に気配を感じた。
「エマ王女、お待たせしました」
「ノクリアか、首を長くして待っていましたよ。ん? その者は協力者ですか?」
「はい、そうです。ヨナと言う者です」
「分かった。まずは中に入ってちょうだい」
ノクリアとヨナはそのまま、エマの自室の中に入ろうとした。が、ヨナが窓枠に足を躓かせて転んでしまい、そのままエマの胸に飛び込んでしまった。




