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17 王女と少女

 『龍の爪痕』での戦闘が始まろうとしていた頃、エストーレ王国の王宮内は静けさに包まれていた。エストーレ王国第二王女のエマは、幽閉先の自室で外を眺めながら考えごとをしていた。


 龍神教に幽閉されてから一ヶ月。龍神教からは何の音沙汰もない。自分は自室に幽閉されているから、生活には何の不自由もないが、父のファニールや兄のカラッドに関する情報は一切入ってこない。


 カラッドはどうでもいいのだが、父にはまだ死なれては困る。まだまだ聞かなければならないことが多くあるのだ。このままこの国が龍神教の手に落ちてしまっては、この国がどうなってしまうか分からない。


 父にも内緒で囲っていた自らの近衛兵たちも、政変の際に殺されるか捕えられてしまった。白の騎士団団長であるジルは実に抜け目がない。王国のことを隅々まで調べ尽くしてある。


 王国の他の兵士たちも多くが殺されてしまい、今や王宮内は白の騎士団が制圧しているといっても過言ではない。不自由なく生活できてはいるが、見えない鉄格子に囲まれているみたいで苦しい。ただ生きているだけで、何もさせて貰えない。


 夜が更けてしまうと、あたりは真っ暗になる。政変が起こる前は、城下町では夜遅くまでかがり火が焚かれていたのだが、ここ最近は国民も静かなものだ。


 外を眺めていると、ふと窓の下に気配を感じた。


「誰?」

「私です。エマ王女」

「ノクリア、ですか? 久しぶりね。この落ち目の元王女に何か用かしら?」


 エマは政変前からダークエルフ族を密偵として雇っていた。ダークエルフ族はゾール紙の作り方を支援してくれた、王国に友好的な部族である。国の中には、多くのダークエルフ族が生活をしている。


 彼らはエルフ族の中で唯一、人間との共存を選んだとして、森で暮らす他のエルフ族からは異端者扱いされている。だが、表向きは人間の国に対して距離を置きながらも、密かに龍神教との繋がりを持っているエルフ族がいることは分かっている。ノクリアには彼らが何を企んでいるのかの調査を指示している。


「何をおっしゃいます。まだ私の主人は王女様です。国王陛下が捕らえられた以上、エマ王女だけが我々ダークエルフ族の希望なのですから」

「それは買い被り過ぎよ。ところで何か分かったことはあるかしら?」


「はい、先般アマリスの部隊が向かった方面を調査していたら、面白いものを発見しました」

「アマリス? 黒の騎士団の連中ね。エクレル兄さんは……。ごめんなさい、そのことはいいわ。面白いものって何かしら?」


 ノクリアは、エマが本当はエクレルが無事である報告を聞きたがっていることを知っていた。エマは病的な程、エクレルのことを大事に思っている。いや、大事に思っているというよりも慕っている、と言い換えた方が正確かも知れない。周りには隠しているつもりだが、すぐ態度に表れるのでバレバレである。


 現に今もエクレルのことを思い出して、顔を赤らめている。顔を赤らめながら、にやけている。とても国民には見せられない顔だ。国民から『王国に咲く一輪の美しい花』として慕われている王女にはこんな一面がある。


 エクレルが側室の子であり、兄のカラッドとエマが正室の子だ。二人が異母姉弟であることは公然の事実だが、エマがここまでエクレルに入れ込む理由は分からない。だが、エクレルのことを除けばとても頭の切れる王女だ。この王国にはまだこの方が必要だ。ノクリアは気を取り直して報告を続ける。


「はい、彼らが向かったオットー山脈の麓の森の中にロクミル草の生息地がございました。」

「あら、それはまだ手つかずの?」

「はい、そうです」

「それは、アマリスには察知されなかったのかしら?」

「はい、周りに人が近づいた痕跡はありませんでした」


「そう、分かったわ。とても興味深いけど、今はどうすることもできないわね。――それで? まさか面白いものってそれだけじゃないわよね?」

「はい。実は、その森で魔法を使う人間を見ました」

「なっ、人間? エルフではなく? それは確かなの?」

「はい。私どもでも使うのが難しい風魔法で上空を滑空しているのが見えました。見たところ、エルフではありませんでした。もしかしたら、人間の生き残りかもしれません」


「魔法……、人間…‥!? 分かりました。ありがとう。今日はもう遅いからゆっくり休んでいいわよ。その、魔法を使える人間とやらの調査を継続してちょうだい」

「はい。では龍神教の調査は別の者に任せまして、私はその人間の調査に向かいます。では失礼」


 窓の下から人の気配が消えた。ダークエルフは簡単なものだけだが、魔法が使える。使えるといっても何かを発現させるだけだったり、発現を抑える程度のものだ。先ほどもノクリアは気配を消す魔法を使っていた。


 古来からエルフ族はヒト族の中で唯一魔法を使える部族であった。かつてはもっと魔法を使えたそうだが、その技術はドラゴンによって潰されてしまったのは言うまでもない。


 エマは考えていた。それにしても信じられない。人間がまだ自分たち以外にもいたなんて、しかも魔法が使えるという。人間とは魔法が使えないものだ。どうしてそんなことが起こる。


 そう言えば昨日、白の騎士団から百名程度が遠征に出発したと世話係の少女から聞いた。エクレルの確保にしては大袈裟な数だなと思っていたが、もしかしたら魔法を使える人間たちにエクレルが匿ってもらっているとしたら……。いや、それは考え過ぎか。


 ただ、それだけの人数を派遣するからには、相手はそれ相応の者たちと言うことだ。悔しいが、ここにいてはこれ以上は情報を掴むことができない。エクレルの情報も入ってこない。やはりダークエルフ族に匿ってもらうことを本気で考えた方がよさそうだ。


 何かが起こっているのに、何もできないまま、成り行きを見守るのは自分が許せない。自分はエストーレ王国の第二王女なのだ。この国は、エクレルは誰にも渡さない。







 ちょうど同じころ、ヨナたち偵察隊はようやく森を抜けることができた。森を抜けるだけで三日もかかるとは思いもしなかった。日も暮れ始めてきたので、最後の森での野営をすることになった。


「やっと森を抜けたわ。誰かさんのせいで余計な道草を食ってしまったけどね」


 ウィステリアがサーシャを見ながら愚痴をこぼした。


「えーん、ヨナ。聞いてよ。ウィステリアが私を虐めるー。悲しくて泣きそう。えーん」


 サーシャはそう言いながら、ヨナに寄りかかって、泣き真似をした。


「ちょ、この尻軽女! どさくさに紛れてなにやってんのよ。羨ましい。さっさとヨナから離れなさい!」

「えーん、またウィステリアが虐めるー」

「ちょ、ちょっと。サーシャ。ふざけてないで野営の準備をしよ、ね?」

「おいっ、ふざけてないで。さっさと準備を始めるぞ」


 カルロの掛け声でやっとサーシャはふざけるのをやめた。こういうやり取りは、この旅の定番になっていて、カルロもあしらうのが上手くなってきた。



 ヨナが野営のための枝木を探してうろうろしていると、太い木の向こうに人影らしきものが見えた。


「誰?」


 警戒しつつ声をかけても返事がなかった。返事がなかったというよりも、まったく反応がなかったという方が正しい。確かにそこに人がいるのに声をかけても反応が返ってこないということは……。


 ヨナは恐る恐るその木の裏側が見える位置に近づいていくと、予感は的中した。それは死体だった。三人の男女が、一人は木にもたれ掛かって、残りの二人は木に対してうつ伏せに倒れたまま死んでいた。


 三人とも背中や肩に大きな傷があった。恐らくそれが致命傷となり、死に至ったのだろう。着ている服がサーシャのものとそっくりだ。


 エストーレ王国では一般的な服装なのだろうか。どうしてこんなところにいるのだろう。旅をしていたのだろうか。何のために。魔獣に襲われる危険があることは分かっていなかったのだろうか。


 ヨナはカルロたちを呼びに行って、彼らを供養することにした。ウィステリアもサーシャも彼らを見て、少なからずショックを受けているようだった。無理もない、こんな森の中で魔獣に襲われて死んでしまったのだから。


「恐らく森の外で魔獣に襲われたのだろう。この森まで逃げ込んできたが、傷が深くて、ここで事切れたようだな。かわいそうだが、仕方がない。埋めてやろう」


 カルロが死体を運ぼうと近づいたとき、何かに気づいたようだ。


「ん? これは……、彼らにはまだもう一人仲間がいたのかも知れないぞ」

「えっ、どういうこと?」


 ウィステリアが訊ねる。


「ここを見てみろ。ここに大きな血痕があるが、この部分だけ明らかに別人だ。この血の持ち主はどこかに行ったのかも知れない。この出血量だと助かる見込みはないだろうが」

「どこかに死体があるってことかしら?」

「それは分からない。あるかも知れないし、魔獣に食い尽くされてしまったかも知れない」

「そう……」


 みんなで死体を埋めて簡易のお墓を作った。お墓を作り終えて、野営地の方に戻ろうとしたら、サーシャがまだ一人でお墓に向かって手を合わせていた。よく見るとサーシャの薄赤い目から大粒の涙がこぼれていた。


「ど、どうしたの? サーシャ。」

「うん、ごめん、もう少しだけここにいさせて」

「ヨナ、俺たちは先に戻っておく。サーシャが落ち着いたら一緒に戻って来い」

「分かりました」


 カルロとウィステリアは先に野営地に戻っていった。しばらくサーシャの様子を見ていたが、涙が止まる気配がなさそうだ。


「どうしたの? もしかして彼らのこと知り合いだった?」

「ううん、知らない人。でも知らない人なのか、知っていて忘れてしまったのか、何も分からないの」

「そうか、記憶が……」


「でも、何となく懐かしい気がするし。もしかしたらフランコフ領の人たちなのかなって思って、そうだったら知っている人かも知れないでしょ? でも思い出せないの。私は何にも覚えてない。勝手に想像して、勝手に悲しくなってるの、変、だよね?」


「ううん、そんなことないよ。人は、忘れられてしまったら本当に独りになってしまうけど、誰かに覚えてもらっていたら、独りじゃないからね。でも覚えていなくてもいい、自分を思ってくれる人がいるだけで、人は嬉しんだよ。きっとこの人たちは、サーシャにここまで思ってもらって嬉しいと思うよ」

「うん。ありがとう。ヨナ」


 サーシャはそのまましばらく静かに泣いていた。隣りで見ていたヨナには、涙がこぼれるような感情は湧き上がってこなかった。隣で、こんなに近くで感情が揺さぶられている人がいるのに、自分にはまったく伝わってこない。人の想いは、難しい。


 伝えないと伝わらないこともあるし、言わなくても伝わることもある。でも今サーシャが抱えている想いは、ヨナには想像することすらできなかった。


「……そろそろ、行こうか」

「うん、そうだね。みんなが待ってるもんね」


 サーシャは立ちあがって、野営地の方へ一人で歩き始めた。ヨナはちょっと立ち尽くしたあと、サーシャに続いて歩き始めた。



「明日からは私が道案内しなくちゃね」

「それ、心配でしかないんだけど……」



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