28節 望まぬ帰郷
夕日に照らされた広場の一角。居住地域から少し離れた、開けた空間。
辺りは一面繁茂した下草に占領され、長い間誰も足を踏み入れていないのが見て取れる。
中央には簡素な石碑のようなものが一つだけポツンと置かれており、下半分は周囲と同じように緑に覆われている。
風雨に晒され、所どころ掠れていたが、石碑の上部には短い文章が刻まれていた。
『フェルムの民、眠る』
「(これ、誰が書いたんだろう……)」
どうでもいい疑問が、頭を過る。
碑文が語る通り、ここは私の故郷フェルム村であり……この村の住人達の、共同墓地だった。
石碑の下には私の両親も含めた、村の住人たちの遺体が収められている。この中に入っていないのは、今ではたったの一人。
手を組み合わせ、目を閉じて祈る。
村の皆が安らかに眠れるように。叶うなら、無事に『橋』を渡れているように。
それから――……
祈りを終え、ゆっくりと瞳を開く。
顔を上げ振り向くと、離れた場所で待っていたアレニエさんと目が合った。
「終わった?」
「……はい」
「じゃあ、行こっか」
彼女は広場に背を向け歩き出す。
私も続こうと足を上げかけたが、その前にもう一度石碑のほうに振り向き、その下の住人たちに視線を向けた。
「(――それから……ごめんなさい……)」
胸中で謝罪し、私もアレニエさんを追って広場を離れる。
無人の墓地は静寂に包まれていたはずだが、私の耳には彼らの悲鳴が。怨嗟の声が。辺りに響き渡っているように感じられた。
***
クランの街に宿泊した翌日、私たちはフェルム村へ向けて馬を走らせた。
橋までは遠く、一日ではとても辿り着けない。途中、どうしても宿泊できる場所が必要になってくる。
けれど他の町や村を経由する場合、地理的にどうしても遅れが出てしまう。
クランから船に乗ることもできたが、その先の港から『森』までには距離がある。結局、最短の道はフェルム村を中継する進路になる。
アレニエさんは別のルートも提示してくれたし、村に立ち寄らず野営するという選択もあった。しかし夜間の安全や今後の天候を考えれば、いくらかでも建物が、せめて屋根がある場所のほうがいい。
そもそも、私の個人的な感情で任務を遅らせるわけにもいかない。一刻も早く辿りつくためにもこのまま進むべきだ。私のことは気にしないでほしい。そう、彼女に進言した。
……いや。私はむしろ、ここに来ることに固執していたのかもしれない。
理由をつけて彼女の申し出を断ったのは、故郷の今を知りたかっただけかもしれない。
アレニエさんは私の内心を知ってか知らずか、村に向かうことを反対しなかった。
早朝から馬を走らせ、陽が中天を過ぎたあたりで、私の故郷、フェルム村に到着した。
そして、村の現状を目の当たりにする。
***
建物はそのほとんどが、なにかで殴りつけて破壊されたような痕跡や、巨大なひっかき傷などが残ったまま打ち捨てられていた。完全に倒壊しているものも少なくない。
村の生計を賄っていた田畑はどれも枯れ果て、雑草が生い茂っている。再び農地として使えるようにするのに、どれだけの労力がかかるだろう。
そして子供の遊び場や祭りの会場になっていた広場は、今や住人全員の共同墓地に変わってしまった。
誰もいない荒廃した故郷は、一見しただけでは自分の記憶と一致してくれない。
こうして見回っている今も、まるで別世界のように感じられてしまい、帰って来たという実感は湧かなかった。
――――
村の惨状に思うところはあるものの、とりあえずは休める場所を探す必要がある。
見上げれば、にわかに暗い雲が出始めている。これから大きく崩れるかもしれない。降り出さないうちに、雨風をしのげる建物を見つけておきたかった。
それに私たちもだが、馬も休ませなければいけない。
到着するまでわずかな休憩で急がせてしまったため、そろそろ彼らの体力も心配だった。
本格的な探索の前に共同墓地で祈りを捧げ、「わたしは余所者だから」と広場の外で待っていたアレニエさんと合流し、一夜の宿を探しに向かう。
小さな村だが、建物の数はそれなりに多い。
けれど多くが一目で分かるほど倒壊していたし、一見無事に見えても内部の損壊が激しい家屋などもあり、思った以上に探索は難航した。
途中、おぼつかない記憶を頼りに、自分が暮らしていた家も発見したが、他の建物と同じか、あるいはそれ以上に壊され、崩れていた。
「(……私の家、こんなだったかな……)」
生家を見ても、やはり実感は湧かない。
幼い頃の記憶とは変わり果ててしまったせいもあるが……いや、今はそれは置いておく。
夕刻に差し掛かるあたりで、他の家屋とは一回り大きさが違う建物に辿りつく。平屋ばかりのこの村には珍しい、二階建ての建物だ。
ここは……確か、村長の家だったろうか。村で暮らしていた頃もあまり立ち寄る機会はなかったが、多分そうだ。
周囲の柵や入り口は壊れていたが、その他の箇所は損傷が少ない。それにここには、厩舎もあった。
大まかに見回ったが、ここが一番建物としての機能を残しているようだ。少なくとも、雨風は問題なくしのげると思う。
「お邪魔します……」
誰もいないのは分かっているが、一言断ってから中に入る。
内部は(当然だが)人の気配もなく、内装も風化しており、埃まみれだった。
各部屋や屋根を確認し、無事に使えそうな一階のリビングに荷物を降ろし、簡単に掃除をして寝床を整える。
その後、村の入り口に繋いでいた馬を、厩舎まで連れてきた。これで、ようやく少し落ち着けるだろう。
リビングの暖炉(煙突は煤と埃だらけだったが、アレニエさんがなんか蹴って出した風で吹き飛ばしていた)に枯れ木を集め火をつけ、簡単に食事を取り、私たちは一日を終える。
最初の見張りは、私がすることにした。
先日は結局朝まで眠ってしまったので、今回は自分が最初にやると強く主張したのだ。彼女は苦笑しながらも了承してくれた。
少しすると、目の前で目を閉じていたアレニエさんから、穏やかな呼吸音が聞こえてくる。もう眠りについたらしい。
スー、スー、と、静かな寝息を立てて眠る姿は、同性の私から見ても可愛らしいと思う。この寝顔だけを見たら、冒険者としての彼女とは結び付かないかもしれない。
しばらく、ぼんやりとその様子を眺めていたが……
やがて私は静かにその場を立ち、彼女を起こさないように足音を忍ばせ、そっと出口に向かった。
***
夜の空気は、思った以上に冷たいものだった。
先刻まで暖かい部屋の中にいたのもあり、余計に寒く感じてしまう。吐き出した息は、白く染まっていた。
上昇する呼気を追いかけるようにして、私はすっかり暗くなった空を見上げた。
月が、星が、まばらに暗闇を照らしていたが、先刻より量を増した雲がそれらを度々遮ってもいた。やはり、明日の天候は芳しくないかもしれない。
「はぁ……」
怪しい雲行きに、自然と口からため息が漏れてしまう。
……いや、それだけじゃないのは、自分で分かっている。
私は、幼少時を過ごした故郷に帰ってきた。住人は誰もおらず、地図上ではすでに廃村となった村へ(今思えば、〈剣の継承亭〉のマスターが私の名に怪訝な反応を見せたのは、村の現状をどこかで聞いていたからなのだろう)。
普通の人ならこんな時、どんな気持ちを抱くだろう。
悲しみ。寂しさ。懐かしさ。そういったものだろうか。
通常湧き上がるだろうそれらの感情は、けれど私の中には生まれてこない。
半壊した自分の家を目の当たりにしても、それは変わらなかった。代わりに浮かび上がってくるのは――虚無感と、罪悪感。
「はぁ……」
再び、ため息がこぼれる。
「リュイスちゃん?」
「ひゃいっ!?」
その声は、背後から聞こえてきた。
慌てて振り向くと、黒髪を夜闇に溶け込ませ、気配もなく無音でその場に立つ女性の輪郭が、少し離れた位置に浮かび上がる。アレニエさんだ。
彼女に驚かすつもりはなかったのだろうが、中で寝ているものとばかり思っていたので完全に油断していた。……心臓が飛び出るかと思った。
「外に出ていくのが見えたからさ。近くに魔物とかはいないみたいだけど、念のため」
「すみません、起こしてしまって……」
気を付けたつもりだったが、結局部屋を出る際に眠りを妨げてしまったようだ。
「あぁ、平気平気。元から外だとぐっすり眠れないんだ」
「え……」
むしろ平気に思えない台詞を口にしながら、彼女はこちらに歩み寄る。
思い浮かんだのは、初めて会った際にテーブルでぐっすり眠っていた姿だった。もしかして、自宅じゃないと安心して眠れない、とか……?
隣に来ると、彼女はつい先刻私がそうしていたように、雲に覆われつつある空を見上げる。私も釣られて、再度夜空を見上げた。
「雲が増えてるし、明日は降るかもね」
「そう、ですね……」
わずかな沈黙の後、気持ちに引きずられるように下を向いてしまう。
彼女はなにも聞いてこない。私が黙って外に出たことを咎める様子もない。彼女なりに気を遣ってくれているのだろう。
けれど今の私は、その優しさに耐えられそうにない。
早く切り替えるべきだと頭で考えても、一度沈んでしまった心は浮かんできてくれない。
しばらく顔を伏せたまま、夜風に頬を撫でられていたが、やがて私は、自分から沈黙を破ることを選んだ。
「……なにも、聞かないんですか?」
「なにか、聞いてほしい?」
即座に、そう返される。
「……分かりません」
「わたしも、聞いていいのか分からなくて」
彼女も、どうするべきか迷っていたのだろうか。
「でも、もし、リュイスちゃんが話してすっきりするんだったら、聞くよ? ……隠し事抱えるのって、結構疲れるしね」
どこか実感がこもっているようなその言葉に、心が揺れる。
過去を、秘密を知られる恐怖。誰にも話せず抱え込む苦痛。
他人に知られるわけにはいかない。でも、誰かに全部話してしまいたい。
どちらが本心か、自分でも分からない。あるいは、両方とも本心かもしれない。
理性が覆い隠していただけで、水面下では常にせめぎ合っていたのだろう。
冒険という異質な環境。不意に聞いた故郷の名。直接目の当たりにした村の惨状。
それらが崩した均衡は、底に沈めていた罪悪感を、目を逸らせないほど膨れ上がらせていた。
もう、抑え込んでおけない。少しでもいいから楽になりたい。……たとえ、その先で断罪されると分かっていても。
それに、「ここまで付き合わせた彼女になにも話さないのは不誠実では」、という、少々場違いながら、(私にとっては)もっともらしい理由もあった。
「……じゃあ、聞いてもらえますか……?」
正常な判断はできていなかったと思う。けれど一度流れ出した言葉は、もう、止まりそうになかった。
彼女の厚意に甘えるかたちで、私は胸に溢れたものを吐き出し始める。
「――……この村は、私が滅ぼしたんです」




