24節 深夜の問いかけ
食事を終え、私たちは野営の準備をしていた。
夜の寒さと野生動物対策に、火はそのままつけておく。
……魔物は警戒しないのか? 全くしていないわけではありませんが……
パルティール王国周辺には、『アスタリアの威光によって護られており、魔物や魔族は近づけない』、というおとぎ話や伝承が伝わっています。女神が自身の眠るオーブ山を中心に結界を施した、という説も。
実際には何度か述べた通り、侵攻を許した記録もありますが……それでも王国周辺に現れる魔物は他国と比べて少なく、また力も弱いものばかり、なのだそうです。魔族に至っては、過去の侵略以降、この地では数百年ほど目撃されていないと。
その侵略された過去の反動から、また、女神の寝所を清浄に保つという理由から、周辺の魔物は人の手で定期的に、徹底的に駆除もされています。
他所から流れついた魔物が、いつの間にか小規模な巣を形成する場合もありますが……
それらは活動期である冬を迎えたり、彼らの巣まで深追いしたりしない限り、駆け出しの冒険者でも対処は難しくありません。
だからこの辺りでは、野盗や野生の獣のほうが余程危険だと言われています。これは、襲われたばかりの私には、特に納得のいく話になってしまいましたが。
――――
就寝中の襲撃を警戒し、二人で交互に見張り番に立つ。
後の番になった私は就寝前の祈りを済ませ、先に焚き火の傍で横になろうとしていたのだけど――
「――食事の時も思ったけど、マメだね、リュイスちゃん」
「アレニエさん……」
付近の見回りを終えたのだろう。アレニエさんがこちらに歩み寄ってくる。
「それこそ、うちのとーさんみたいに習慣?」
「習慣……も確かにありますが……祈りは、神々への信仰や感謝の表れでもありますし……天則の維持に必要な、供物、ですから」
「世界の仕組みを支えてるのが神さまで、その神さまを支えてるのが信徒の祈り、ね。どこまでほんとかは知らないけど」
教義に懐疑的な言が多いと感じるのは、彼女が下層の住人だからだろうか。
現世で終始苦しい生活を強いられ、『橋』を渡る寄進も納められない――死後の希望を見い出せない、と初めから決められているのでは、信仰から離れる人が多いのも仕方がないのかもしれない。
「あの、さ」
本来なら、次に顔を合わせるのは見張りの交代時のはずだった。
「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど……いいかな」
「聞きたいこと……ですか?」
なのに声をかけてきたのは、それでも話したい何かがあったからだろう。
彼女は小さく頷くと、今も燃え続ける焚き火を挟み、私の正面に腰を下ろす。表情は揺れる炎に遮られ、はっきりとは見えない。
しばらく、火の爆ぜる音だけが辺りに響く。
それが印象に残ったのは、アレニエさんが声を発するまでに、珍しく間が空いたからかもしれない。実際には、わずかな沈黙だったのだろうけど。
やがて彼女は静かに、そしてどこか躊躇いがちに、口を開いた。
「その……リュイスちゃん、あの時、『目の前で人が死にそうなのに黙って見てられない』、って言ったよね」
「……はい……」
それは、彼女とジャイールさんの決闘に割り込んだ際、確かに自分が口にした言葉だ。
半人前の勝手な言い草に、やはり気を悪くしていたのだろうか。
急に不安が広がり始めた私に掛けられたのは、しかし全く予期していない問いだった。
「……――黙って見てられないのは、人だけ?」
「……え?」
虚を突かれ、喉から疑問の声が漏れる。……人だけ、というのは、どういう意味だろう。
返答を思いつけずにいる私の様子を見てか、彼女は慌てて補足しようとする。
「あぁ、ん、と、んー……例えば、さっき食べたお肉とか野菜とか。元々は生きてて、食べるために殺されたわけだけど……そういうの、どう、思う?」
「???」
今も考えながら喋っているのか、いまいち要領を得ない質問。いつも簡潔に受け答えするアレニエさんにしては、非常に遠回りな言い方だった。
彼女はなおも苦労しながら言葉を探し、再びこちらに問いかける。
「だから、その……動物とか、なんなら植物とか、人間以外のものが目の前で殺されそうになっていたら……リュイスちゃんは、止める?」
今の質問で、なんとなく問いの方向性は見えてきた気がする。
意図自体は依然として不明だが、彼女の瞳は真剣だった。心なしか緊張しているようにも見える。
なにかを期待するような。不安を抑えこんでいるような。あるいはその両者が混じり合ったような。普段の彼女からは感じられない、複雑に揺らいだ眼差し。
よくは分からないが、さりとて適当に流していいものにも思えず、私も真剣に答えを探す。とはいえ……
「……正直に言えば、分かりません。あの時も、ちゃんとした考えがあってああ言ったわけじゃないんです。ただ、とにかくじっとしてられなくて……」
あの時は反射的に体が、感情が爆発してしまったけれど、他の生物に対しても同じように感じるかは……その時になってみないと、分からなかった。
頭では、理解している、と思う。
私たちは他の生物の命を食べて生きているし、自分の命を守るために、時に相手の命を奪うしかない場合もある。死を植え付けられた私たちは、他者の死によって生かされている。
「それでも、実際に目の前で失われそうになるなら……もしかしたら、人の時と同じように、止めようとする、かも、しれません」
「そう……」
こんな答えでいいのだろうか、と少し不安に思いながら視線を向けると……炎の向こうで揺れる彼女の表情は、むしろ先ほどより緊張が増しているように見えた。
そして、問いには続きがあった。
「…………じゃあ――魔物は?」
「――!?」
魔物……!?
「神官にとって、排除すべき悪だっていうのは分かってる。教義的に許せないのも知ってる。あ、魔物に肩入れしてるとか悪魔信仰者とかじゃないよ、念のため。……でも、実際この世界に生きて存在する以上、魔物も一応一つの命、だよね? それが、例えば目の前で死にかけて、助けを求めてたりしたら……リュイスちゃんは、自分でどうすると思う? 助ける? ……それとも、殺す?」
「それ、は……、…………」
由来を理由に魔術を禁じている――間接的に関わることすら忌避する神殿にとって、穢れそのものと言える魔物は、敵と呼ぶのも生温い嫌悪・憎悪の対象だ。
その存在自体が邪悪であり、有害であり、許容できない。
魔物を滅ぼすのは、世界から悪を減少させる善行の一つとさえされている。
幸か不幸か、今まで魔物と直接相対する機会のなかった私も、その教えに特別疑問を抱いたことはなかった。が……
「…………分かり、ません……」
しばらく悩んだ末、私は正直な思いを口にした。
彼女の問いかけ。私の答え。どちらも、他の神官には聞かせられないものかもしれない。
それは私にとって完全に考慮の外で、神官としての認識を揺さぶる危険な問いで……けれど、それでも無視できない現実、のように思えた。
こちらの命を奪おうと襲ってくるなら、自衛のためにも応戦せざるを得ない。
けれどそうでない場合は? 敵意も無く――そんな魔物がいるかは分からないが――、目の前で死に瀕していたら?
私は、人と同様に彼らを助けるだろうか。反対に、敵と見做して切り捨てるだろうか。
直前の質問と同様、今ここで考えただけでは、すぐに答えを得られそうになかった。
「そっか……うん、わかった」
答えを見い出せず悩む私を、アレニエさんが眺める。その表情は、どことなく安堵した様子にも見える。
彼女が本当に聞きたかったのは、おそらく最後の問いの答えだったのだろうけど……
「あの……どうして、こんな質問を……?」
「へ? あー……その……これから魔族を倒しに行くわけだし、リュイスちゃんがどう思うか聞いておきたくて?」
「なるほ、ど……?」
なんだか如何にもとってつけた理由な気がする。疑問形だし。
結局、彼女がどういう意図でそれらの質問をしたのか分からず、頭に疑問符を浮かべたまま、その日は床についた。
眠れないかとも思ったが、溜まった疲労と満腹感から、ほどなくして私は眠りに落ちていた。




