22節 アレニエの依頼②
「……あの、アレニエさん。本当に、大丈夫なんでしょうか……?」
声を潜めつつ、再度確認を取る。
もし彼らが捕まって洗いざらい白状してしまえば、私たちも罪に問われてしまうのでは……
いや、そもそも……実際に、言った通りに動いてくれるのだろうか。
契約は神聖なもの。この世界の多くは人同士の、または共同体との契約・約束事で成り立っている。法や規則はもちろん、結婚、あるいは友情などもある種の契約であり、侵してはならない神聖なものだ。契約を司る神まで存在している。
今回のような口約束であっても、約束は約束だ。破れば他者からの信用を失い、場合によっては社会での居場所も失う。行きつく先は下層のような訳ありの住処か。街を追われ穢れた骸を晒すか。
とはいえ、罰などなんら構わず破る人々もまた存在するし、下層の住人は特にそうした噂に事欠かない。彼らは既に社会を追われた身であり、現状の取り決めでは死後の希望すら抱けないのだから。
「多分、大丈夫だよ。依頼って形にしておけば、その分はちゃんと働いてくれる。他に行く当てがない下層の冒険者にとっては、引き受けた依頼をこなすのが最後の一線だからね。それに、騎士団に引き渡すような暇、わたしたちにはないんじゃない? ここから街に戻ってまた出発するって、結構時間かかるよ?」
……言われてみれば、捕縛には成功したものの、その後をなにも考えていなかったことに、今さら気が付く。
「随分簡単に解放するものだな。我々が報復する可能性は考えなかったのか?」
縄の痕の残る腕をさすり、返却された指輪を填めながら、フードの男が呟く。……そういえばその可能性もあった。
「考えないでもなかったけど、その怪我ですぐには襲ってこないと思って。それに………………――――――もう、同じことはしない……でしょ?」
彼女の笑顔と声音に、男たちが背筋を震わせる。しっかりと釘は刺していた。
「フっ、そうだな。君たちを敵に回すリスクはこの身で思い知った。なにより前金とはいえ報酬を受け取ったからな。その分は働くさ」
他の男たちも後ろのほうでコクコク頷いている。約束を違えた際の報復を想像したのかもしれない。加えて発揮されたのは彼女が言った通り、冒険者の矜持、だろうか。
「なあ、そういや肝心の勇者は今どこにいんだ?」
「知らないけど」
「なんでだよ!? てめぇが依頼したんだろ!?」
「さっき思いついたのに居場所知ってるわけないでしょ? 道々噂拾って自分たちで探してね」
「情報料の払いは?」
「さっきの金貨から」
「てめ」
口々に文句は言うものの、存外彼らもやる気になっているようだ。この分なら、心配ないだろうか?
「あっ、と、そうだ」
不意に、アレニエさんがなにかを思い出したように声を上げる。
「誰か一人には、ちょっとうちに行ってきてほしいんだけど。えーと……そこの盗賊っぽいあなた」
「……俺のことか?」
私が戦った盗賊風の男を指すアレニエさん。うちというのは、〈剣の継承亭〉のことだろう。
「うちのとーさんに、事情説明してきてくれないかな。とーさんに言えば、多分あの司祭さんにも伝わるから」
そうか、マスターと司祭さまに繋がりがあるなら、間接的に事態を知らせることができる。情報が伝われば、後は司祭さまが対処してくださるかもしれない。
「……俺たち、お前らを襲ってた張本人なんだが……説明しに行ったら、その場でお縄じゃねえか?」
「わたしがあなたたちに襲われたのはわたしの責任。それに失敗してこういう状況になったのはあなたたちの責任。責任はちゃんと取ってね」
「結局捕まるのかよ」
「まあ、上手くぼかして説明してみて。バレたとしても、多分、騎士団に突き出されるよりはマシな扱いだと思うよ。それに、伝えた情報で首尾よく首謀者が捕まれば、あなたたちもこの先安心でしょ?」
「それは……まぁ、そうか」
次いで彼女は、懐から使い込まれた短剣を取り出し、男に手渡す。
「これ持ってって。これを見せれば多分わたしからだって分かるし、話聞いてくれるから」
「ああ。分かった」
「ちなみに大切なものだから失くしたりしたら絶対に絶対にユルサナイから気をつけてね?」
「分かったよおっかねーな!」
そうして、襲撃者たちのうち七人は勇者の足止めに、一人は王都下層へと、それぞれ旅立ったのだった。
***
私たちは、彼らが乗っていた馬を〝譲り受けて〟次の街までの道のりを急いでいた。
当たり前だが、馬の足は徒歩に比べれば段違いに速い。これなら、目的地まで思った以上に早く着けるかもしれない。
雲もまばらな陽の光の下を、馬上で風を受けながら疾走する。
しかし穏やかな天候とは裏腹に、私の胸の内は暗い雲に覆われていた。
彼らと別れ、落ち着いて冷静になると、今さらのように、自身が明確に命を狙われていたという恐怖が湧き上がってくる。
街の外に出る危険性も、生きて帰れない可能性も、理解しているつもりだった。
けれど、『命を落とすかもしれない』のと、『命を狙われる』のとでは、意味するところが全く違う。
しかもそれは――推測ではあるけれど――、私と同じ人間が。善を為し、悪を否定するべき神官が、画策した可能性が高い。
つい先刻の実戦で味わった、眼前に迫りくる死とは全く違う。地の底から立ち昇る冷たい悪意が、静かに臓腑に触れてくるような心地。それが、胸の内から消えてくれない。
「…………」
「――スちゃん。リュイスちゃん」
「っ――。あ……」
並走するアレニエさんの呼びかけで、正気に返る。彼女は併走しながら、こちらを窺うように視線を向けていた。
「大丈夫? あとから怖さが来ちゃった?」
……どうして分かったんだろう。ひょっとして表情に出やすいのだろうか、私。
「そう、みたいです……なにしろ、色んなことが初めてでしたから……」
あまり心配をかけたくなくて笑顔で繕うも、結局は力ないものにしかならなかった。手綱を握る手も、かすかに震えている。
「無理ないよ。命を狙われる経験なんてそうそうあるもんじゃないし。普通に暮らしてれば、慣れる必要もないものだしね」
彼女の言う通りだ。人が人を謀り殺すなど本来あるべきではないし、この恐ろしさに慣れるなんて想像もできない。
……けれど、そうだ。彼女だって、同じように命を狙われていたのだ。私ばかりが不安がっていられない。
標的にされたと怯えるだけの私でも、人のためなら――彼女のためと思えば、耐えられる。
「まあ、とーさんに事情伝えたから、そんなに心配しなくてもいいと思うよ。帰る頃には、犯人見つけて捕まえてるかも」
彼女は言いながら柔らかく微笑む。それはここまで感じていた恐怖を、わずかではあれど和らげてくれるような、そんな笑顔だった。
「ほら、まずは次の街まで急がないと。ね」
「……はい!」




