17節 経験と実戦
街道を少し外れ、まばらに生えた木の陰に大男を寝かせた私は、そこで彼の治療を続けていた。
怪我の影響もあるのだろうが、男は目を閉じて静かに手当を受け入れている。
おかげで治療は順調に進み、容体も安定してきた。とりあえずは一安心か。
アレニエさんは、「あっちで寝てる人たち縛ってくる」と言い残してこの場を去ったため、ここには私と大男の二人だけが残されていた。
「……出血は止まったみたいです。激しく体を動かさなければ、傷も開かないと思います」
「……ああ、ありがとよ」
「……」
「……」
始めのうちはただただ助かるようにと集中していたが、状況が落ち着いてくれば、さっきまで敵対していた相手と二人きり、という事実に意識が向いてしまう。
気まずい沈黙。……いや、居心地の悪さを感じているのは私だけなのかもしれないが。
静寂に耐えかね、私はなんでもいいからと話の種を探し、ふと思いつく。
「あの……少し、聞いてもいいですか?」
「ん? なんだ、嬢ちゃん」
閉じていた瞼を開き、男は視線をこちらに向ける。
「さっき……どうして、あんなに剣での勝負にこだわっていたんですか?」
先刻の決闘から感じていた疑問。
彼は、渋っていたアレニエさんに強引に剣を抜かせてまで、命懸けの勝負を挑んでいた。それが、私には理解できなかった。
こちらの疑問に、男は傍に置いていた大剣を軽く叩きながら応じる。
「あん? そんなもん、こいつで強くなるために決まってんだろ」
答えは簡潔だった。簡潔すぎて納得できない。
「強く、って……それなら、命を懸ける必要はないじゃないですか……〈選別者の橋〉に迎えられたら――死んでしまったら、それだって全部……」
死を迎えた者は生前の善行によって、〈選別者の橋〉と呼ばれる橋を渡れるか否か、試されるという。
十分に善行を蓄えていれば無事に橋を渡り、アスタリアの元へ導かれ幸福な暮らしを。足りなければ橋を渡り切れず、アスティマの元へ引きずり落とされ責め苦を味わう。その後、それぞれの被造物として生まれ変わる。
ただし現在の神殿の教義では、神殿に多額の寄進を納めるか、または誰の目にも明らかな偉業――例えば守護者の任を全うするといったような――を成すことでしか、必要な善行の量には届かないとされた(この取り決めで多くの貧しい人が信仰から離れたとも)。
あるいは橋を渡りアスタリアの元に導かれたとしても、その際には肉体も記憶も新しい、次なる生を迎えることになる。
どちらにしろそれは、生前とは全く別の生に他ならない。
ならばいくら強さを求めても、どれだけ鍛えたとしても、今ある命が終われば全て無駄になってしまう。なのにどうしてそれを粗末に――
「あのなぁ、嬢ちゃん」
その声音には少しの呆れと同時に、教え諭すような響きが含まれていた。
「実戦で強くなりてえなら、実戦を重ねるしかねぇんだよ」
「――……!」
「普段の鍛錬や模擬戦なんかも確かに重要だがな。その成果を実戦でそのまま出せるって奴は滅多にいねぇ」
「……そう、ですね……」
それはつい先刻、身をもって味わった。アレニエさんの励ましがなければおそらくまともに動くこともできず、それこそ私が『橋』に送られていただろう。
「武器を使っての勝負ならなおさらだ。分かりやすい命の危険だからな。いくら才能があって稽古で負けなしだろうと関係ねえ。慣れるまではどうしたって身がすくんじまう。慣れたいなら、そこに繰り返し飛び込むしかねえ。経験ってのはそうやって飛び込んで、自分の中に刻み込んだものを言うんだ。雑魚とばかりやり合ってもなんの経験にもならねえんだよ」
「……だから……アレニエさんが強かったから、勝負を……?」
「そういうこった。あれだけの奴と本気でやり合える機会は逃せねえ。街中じゃ、命まで懸けるのは難しいしな」
「…………」
男の言葉には奇妙な説得力と、なにより実感があった。
それは正に彼が、自身に刻み付けた経験から来る重み、なのだろう。少なくとも彼にとっては、それは揺るぎない事実であるのだ。
しかしだからといって、自ら命を捨てるような生き方を素直に肯定する気には、私はどうしてもなれなかった。いや、そもそもどうして……
「……どうして、そこまでして強くなりたいんですか?」
気づけば、抱いた疑問をそのまま口に出していた。
大男は虚を突かれたような表情を見せた後……なぜか少し顔を赤くしながら、逆に尋ねてくる。
「……笑わねえか?」
「? はい」
よく分からないが頷く。
「……〈剣帝〉みてぇになりてぇんだよ」
「……え?」
思わぬ答えだったため、つい聞き返してしまった。
その反応をどう受け取ったのか、男はさらに顔を赤くしながらまくしたてる。
「~~ああそうだよ、悪いかよ。ガキの頃からずっと目指してんだよ。くそっ、こう言うとどいつもこいつもバカにしてきやが――」
「?」
「――らないな。……笑わねぇのか、嬢ちゃん」
「? どうしてですか?」
『勇者を間接的に殺した』として、〈剣帝〉に批判を向ける人が多いのは承知している。
しかし未だその武勇に憧れ、剣を志す人々が存在しているのもまた事実だ。彼がそうした人間の一人だとしても、おかしいとは思わない。
かく言う私自身は剣士ではないが、時折司祭さまが話してくださるその冒険譚に、密かな憧れを抱いていた。
行方を探していたのは、もちろん任務のためでもあったのだけど……正直に言えば、少し私情も混じっていました。
「……俺がこう言うと大概の連中は、『無理』『ガキか』『現実見ろ』とかなんとか好き勝手言ってきやがる。ムカつくから、最近じゃほとんど口にもしてなかったんだが……やっぱ変わってるな、嬢ちゃん」
あまり面と向かって言われたことはないが、変わってるんだろうか、私(アレニエさんやユティルさんにも言われはしたが、あれは『総本山の神官としては』という意味合いだろう)。
「……まぁ、つまりそれが理由だ。いつか〈剣帝〉ぐらいに……いや、〈剣帝〉よりも強くなるために、俺は剣の腕を鍛えてる。途中で死ぬならそれまで、ってやつだ」
「〈剣帝〉さまより、強く……」
憧れの剣士に近づき、並び、追い越したい……その気持ちは、私でも理解できる気がする。
しかしそのための手段については、依然として納得できない。神官としては教義と穢れを見過ごせず、個人としては目の前で死なれるのに耐えられない。
とはいえ、それはあくまで私の価値観であり、それこそただのわがままにすぎないことも、自覚している。だけど――……でも――……
「……あー、だが、まあ」
思考がループしていた私に、どことなく遠慮がちな様子で男が口を開いた。
「死んじまったら結局意味がねぇってのは、嬢ちゃんの言うとおりだ。ただのわがままだ、ってのもな。……だから、もう少しくらいは、慎重にやっていくさ」
それは単に、目の前で難しい顔をしていた私を慮っての台詞だったのかもしれない。いや、たとえそうだとしても――
「――はい……ありがとうございます」
不器用なその気遣いを嬉しく感じて、私は彼に礼を述べていた。
「話終わったー?」
「わぁっ!?」
「うぉっ!?」
突然背後から聞こえたその声に、二人揃って飛び上がりそうなほど驚く。
振り返れば、男を寝かせていた木陰の裏から、先刻までは確かにこの場にいなかったはずの彼女が、顔を覗かせていた。
「ア、アレニエさん……もう、終わったんですか?」
「縛って一か所に纏めるだけだしね。それで戻ってみたら二人して話し込んでるから、ここで待ってたんだよ」
……全然気づかなかった。……ん? 待ってた……?
「……あの、アレニエさん。いつからそこに……?」
「ん? 結構前から」
……ということはひょっとして……
「てめ……てめえ……まさか、聞いて……!?」
「うん。聞いてたけど」
彼女は至極あっさりと頷く。つまり件の強くなりたい理由もしっかりと聞いていたらしく。
……かぁぁぁっ、と、怒りか、羞恥か、男の顔が再三真っ赤に染まる。
「あ、あの、体に障りますから、抑えて!」
「うるせぇ! バカにしたけりゃしろや!」
なんとか落ち着かせようとするが、男は興奮しながらなぜかこちらを怒鳴りつける。ああもう、もはや誰に怒ってるのか……
「なんで? かわいい理由だなぁとは思ったけど、別にバカにする気はないよ?」
男の動きがピタリと止まる。
「……う、嘘つけ。油断させてから、こき下ろすんだろ」
「しないってば」
警戒する男の様子に、彼女が苦笑する。
「なにか始める動機なんて、人それぞれでしょ? いちいちからかったりしないよ」
彼はなおもアレニエさんをジト目で見ていたが……しばらくして目を閉じ、長い息を吐いた。
「………どうも調子が狂うな、お前らは」
「あなたの周りにひねくれた人が多かっただけじゃない?」
「うるせぇ。……まあ、実際そうなのかもな」
傷口が開かないかとハラハラしていたが、とりあえずは沈静化したようでホっとする。
「さてと。さっきも言ったけど、とりあえず全員縛ってきたし、そっち行こっか。歩ける?」
「ああ、問題ねえ」
最後の問いは男に向けてだった。歩くのはまだ難しいかと思ったが、男はゆっくり体を起こし、少しふらつきながらも自力で立ち上がる。
ちらりとその様子を確認すると、アレニエさんはそのまま先に歩いてゆく。あっ、と声を上げ、私はそれを慌てて追いかけた。
「すみません、あの人にかかりきりになってしまいましたけど、アレニエさんも傷を負ってましたよね。手当するので見せてください」
「え? あー……いいよ、わたしは。かすり傷だし。すぐに塞がるから」
「駄目です。傷口から穢れが入り込むこと(注:この世界での破傷風)もあるんですから。いいから見せてくださ――」
彼女の顔に目を向けながらそこまで口にしたところで、気づく。
「――え……?」




