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令嬢のピュアなストーカー

「おお、これが噂の学生街……!」


 街に着いた私は感嘆の声を上げた。

 ここは学園に近い『学生街』と言われる区域である。貴族の子息子女が気軽に出かける街のため、警備の兵も他の場所より多く、治安もいい。

 学園での二年と数ヶ月……放課後もエミリー様のお取り巻きをしていたから、街に出る機会なんてなかったんだよね。


 ……そうだ。明日にでも「しばらく放課後の付き合いが減ります」ってエミリー様に言っておかないとなぁ。


 あんな会話を聞いた後にエミリー様としゃべるのは、とても億劫だけれど。

 とにかく、今日は街の下見である。

 男女が行きそうなスポットを巡り、彼らはどのような動きをしているのか探るのだ。そして自然な平民の恋愛作法を身に着けよう。


 舞踏会では私はいつも壁の花だった。

 貧乏子爵家のご令嬢なので、婚約者なんてものも当然いない。我が家と縁を結んでメリットがある家なんて皆無なのだ。

 学園ではエミリー様のお取り巻きとして過ごし、クラスメイトの男性ともあまり接点がなかった。


 ――つまり私に、恋愛経験は一切ない。


 そんな私が誰かに見向きしてもらえるのかと考えると、少し不安ではある。

 だけど一人で知らない世界で生きていくのは……正直怖いのだ。


 できれば利用するためじゃなくて、恋をした結果の恋人が欲しいな。


 そんな贅沢なことを考えてしまう私は、身の程知らずというヤツなのだろうか。いや、頑張ったらいけるはず!

 洋服屋、人気のありそうな食べ物屋、煙草の煙と喧騒に溢れるパブ。いろいろなお店に入ったり、外から見たりしながら観察をする。どこの店でも腕を組んだり、肩に頭を乗せたりという充実してらっしゃる男女の姿が見えて、世界は恋人たちで溢れているのだなということを私は痛感した。

 ちなみに、こっそり期待していたナンパには遭っていない。

 

 まぁいい、今日は勘弁しておいてやろう。

 

 数時間徘徊してさすがに歩き疲れたのでカフェに入って席に着く。するとそこでも複数のカップルが愛を深め合っていた。

 いいなぁ……貴方たちはもう番いがいて。

 そんな拗ねた気持ちになりながら少し薄めの珈琲を飲んでいると……ふと、影が差した。

 顔を上げると、一人の男性が正面に立っている。

 その綺麗な顔に――私は見入ってしまった。

 高い背、繊細な雰囲気の整った顔。長めの前髪はピンで留めて上げられていて、目は綺麗な金色をしている。服装はシャツにトラウザーズという簡素なものだけれど、それは彼の細い腰や手足を引き立てていた。

 美形だ。町中にこんな美形が転がってるなんて。


「……相席しても?」

「ナンパ!?」

「……いえ。満席なので」


 美形は身も蓋もないことを言うと、私の正面に腰掛けた。

 なんだ、ナンパじゃないのか。周囲を見るとたしかに他のテーブルは埋まっている。

 彼は綺麗な動作で珈琲を頼むと――沈黙した。

 まぁ、そうだよね。モテそうな彼が、たまたま相席になった地味な女と話すことなんてないだろう。

 だけどこれは、私にとってはチャンスなのだ。


「あ、あの。お名前は!」


 訊ねると美形は困った顔をする。

 そしてしばらく沈黙を続けた後に、口を開いた。


「エディとでも」


 とでも、ってなんだ。明らかに偽名じゃないか。そんなに私に名乗るのが嫌か、ふーん。しかも、こっちの名前は訊きもしない。


 ――現実なんて、こんなものだ。


 私は遠い目をしながら珈琲を啜る。

 そしてエディとはなんの会話もなく過ごし、別れの挨拶もなくカフェを出て、寮への帰途に就いたのだった。


「お嬢様、収穫は?」

「なーんにもなかった!」


 寮に戻るとシャンタルに収穫を訊かれ、私は即座に答えた。シャンタルは私の言葉を聞いて、こてんと首を傾げる。


「ものすごい美形に、出会ったりとかしませんでしたかぁ?」

「……美形?」


 なんだか悪戯っぽい口調で訊かれて、今度は私が首を傾げた。

 そして少し考えて、エディのことを思い出した。


「カフェで相席になったエディとかいう美形がいたけど」

「エディ……?」

「なんにも話さずで終わって、それだけだった」


 うん、本当にそれだけだった。対面であのお顔を眺めていられるのは眼福ではあったけれど、本当にそれだけだったのだ。


「……あんのへたれ」


 シャンタルが舌打ちをしてから、鬼気迫る表情でつぶやく。


「へたれ?」

「なぁんでもありません~」


 彼女はにぱっと笑ってから、手際よく私を部屋着に着替えさせた。シャンタルはお口は軽率だけれど、仕事ができるメイドなのだ。


「誰か、私を見てくれる人が見つかるといいな……」


 小さなため息をともに、そんな言葉が零れてしまう。

 ……私は、誰にも選ばれたことがない。

 自分のことは嫌いではないけれど、もっと誰かに好かれるような見目だと良かったのに、とは思ってしまう。

 思い出すのは、着飾っても壁の花になるしかない舞踏会。従僕のエイナルと並んで流行りのドレスを眺めながら過ごす時間は、虚しいの一言だ。

 エミリー様のように華やかに、なんて贅沢は言わない。


 だけど。誰か一人だけでも振り向いてくれるような、そんな女の子になりたかった。


 ☆


「こんのへたれ! なにしてるのよぉ!」

「……シャンタル、痛い」


 お嬢様の部屋を退出し、使用人用の寮へ戻った後。

 私――シャンタルはエイナルの頭をがつんと殴った。するとエイナルは小さく呻き、不満げな声を漏らす。

 なんであんたが不満げなのよ! 不満なのは私の方だ。


 この男は、お嬢様の筋金入りのストーカーだ。


 鈍いお嬢様は気づいていないけれど、おはようからおやすみまで、この男はお嬢様をねっとりと見守っている。

 それは最近の話ではなく、彼女の幼少期からだ。

 そしてエイナルは……実にさりげなくお嬢様から殿方を遠ざけてきた。

 包み隠さず言ってしまうと、お嬢様に出会いがないのはこの男のせいだ。

 数少ない見合いの釣書が来ても、お嬢様のものに完璧に似せた筆跡で勝手にお断りの返事を返してしまうし! そのせいでお嬢様には釣書が一切来なくなってしまった。

 そんなストーカーだが、見守ることができれば満足という奥手な思考らしく、お嬢様に手を出すようなことはしていない。


 ――いや、むしろ出しなさいよぉ!


 あんた子爵家の三男でしょう! 身分的には釣り合いが取れてるじゃない!


「あんたお嬢様のこと、好きなんでしょう! エイナル!」

「好き、ではない。愛している」


 エイナルはそう言うと、キリリと表情を引き締める。と言っても腹が立つくらいに整った顔は、長い前髪に隠れてほとんど見えないのだけれど。

 この男は『顔を出していると周囲がなんだかうるさい』という理由で、昔から前髪を伸ばしっぱなしにしているのだ。だからお嬢様はコイツの素顔を知らない。


 本当に美形の無駄遣いよね……


 お嬢様が街に行くことを伝えると、エイナルは風のような速さでその後をつけに行こうとした。私はそれを引き止め、不満そうなエイナルの髪やら服装やらを急いで整えた。


『お嬢様は未来を考えて、切実に恋人を欲しがっているの。その相手になれるように少しは頑張ってきなさいよ』


 と、発破をかけながら。

 エイナルは顔だけはいいのだ。そしてお嬢様は、女の子らしく美形に弱い。

 素顔丸出しで迫れば楽勝でしょう!

 なのに、なんで……


「なんでなにもしない上に、偽名を名乗るのかなぁ!?」

「……恥ずかしかったんだ。しかし今日はお嬢様と、一日に四言も話した。しかも同じテーブルに着けた。進展だ」


 エイナルはそう言うと、口元をゆるませた。

 長く一緒に勤めているけれど、この男の思考はまったくわからない。私からすると、進展どころか一ミリも近づいていないように思えるのだけど!


「お嬢様は、今日も可愛らしかった」


 そう言ってさらにだらしなく口元をゆるませるコイツを見ていると……私の怒る気力はすっかり萎えて、どこかに失せてしまった。


 ピュアなストーカーって、なんなんだろうな……

シャンタルは裏で苦労をしているのです。

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