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幸せの物差し


 午前十一時、お菓子を食べようと台所へ向かうと、カウンターテーブルの上に見慣れない紙が置いてあった。


「お品書き……?」


「気分転換にどうかなと思いまして。家にある食材で作れそうな品を書いてみました」


 和紙に筆で書かれているそれは相変わらずの達筆で、文字だけで否応なく高揚してしまう。


「ふふっ、全部美味しそう。でも大変じゃない?」


「これくらいしか出来ませんから。少しでも喜んでいただければと……」


 尻窄みになっていく言葉が愛しくて、カウンター越しにキスをした。

 気が付けば割烹着を着ている彼女。

 何をしても可愛い子。


「似合ってるよ」


「ありがとうございます。これは母が使っていた物なんです」


 彼女の母は、彼女が十歳になる頃に亡くなったらしい。

 らしいというのは、チラッと聞いただけで、深く聞けるような話題ではなかったから。

 好きな人の事だから知っておきたいけど、その時になれば彼女から話してくれると思っているから心の中に閉まっておいた。


 私の言葉を聞いて嬉しそうに割烹着を見つめる。

 その瞳に、彼女がどれ程母親を想っているのかが伝わってくる。


「今日は母の命日でして……」


 ずっと、心残りな事がある。


 このままでいいの?


 好きだから私の手元に縛り付けていいの?


 私がやっている事は、あの人と同じ事じゃないの?



「……雫、行こっか」


「えっ? どこにですか?」


「雫の── 」


 勢いよく開いた玄関ドア。

 タイミングが良いのか悪いのか。


「おーっす! 彩ちゃんの御成だよー!」

「お母さんも来ちゃった♪」


「ハァ……じゃ、みんなで行きますか」


「どこどこー?」

「あら、忙しかったの?」


「それで日向さん、どちらに?」


「ふふっ、雫の実家」


 ◇  ◇  ◇


 高速道路に乗り、SAで昼食。

 家族で遠出するなんて、何時ぶりだろう。

 私が有名になれば家族は喜んでくれると思っていたけれど……

 本当に必要なものは、そんな事では無かったのかもしれない。


「ねぇ雫、今度はあっちのお店見てみよ。ほら、早く早く」

「ふふっ、そんなに急がなくてもお店は逃げませんよ?」


 まるで姉妹のように、彩は雫に懐いている。

 私が彩にしなきゃいけなかった事なんだろうな……


「雫さんはみんなを笑顔にしてくれる素敵な人ね」


「……母さんはこれで良かったと思う?」


 思わず出てしまった言葉。

 彼女と暮らす事は幸せなんだけど、でもそれだけじゃ拭えない世の中が存在する。

 向き合ってるつもりでも、どこかで目を背けて……

 それを誤魔化すように彼女を求め続けている。

 顔作りは得意な筈なのに、きっと今は情けない顔をしているんだろうな。


「それは晴が決める事だよ? 晴の人生なんだから、晴が生きたいように生きて欲しい。だって、幸せの物差しなんて存在しないんだから。ね?」


「母さん……」


「私の幸せはね、あなた達三人が幸せになってくれる事。晴は優しい子だからきっと色々な事を考えちゃうと思うけど……でもね、晴が今まで選んできた道はどれも間違ってないと思うよ。だって、晴が決めた事なんだから」


 私が悩んでいた時、母はいつも優しく背中を押してくれた。

 私が彼女にしてあげる様に、一歩踏み出す勇気を貰っていた。

 その行動も、今私に向けられた笑顔も、我ながらよく似てると思うよ。

 だって、親子だもの。


「それに、どうしようもない位困った事が起きても……晴はひとりじゃないでしょ?」


 見つめる先に、彼女がいた。

 嬉しそうな顔をしてこちらに向かってくる。


「日向さん、このカエルの卵みたいな飲み物美味しいですよ!!」

「雫……他の表現にしてくんない?」


 二人だから悩む事もあるけど、二人だから乗り越えられる事もあると思う。

 私の幸せは、彼女に幸せになって欲しい。私が彼女を幸せにしたい。


「泣いてるんですか……? なにかありましたか?」


「ふふっ、好きすぎちゃってね。カエルの卵、飲もっか」

 

「もうそれでいいや……」

「本当、仲が良いのね」


 SAを後にして車を走らせる。

 今日は長い一日になりそうだ。


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