星降る夜街の一等星
「そうですね、朝晩は本当に寒くて── 」
月に数回行うLIVE配信。
土曜日の朝とあってか、視聴者は数万を超えチャット欄も賑わっている。
彼女はポンちゃんと息を潜めながらタブレット端末で動画を視聴中。
「……今日ですか? 今日はお休みをいただいているので……どこかに出かけようかな、なんて思ってます。えっと、“どこに行くんですか?”……ふふっ、もう少しで決まりそう……かな?」
チラッと彼女の方を見ると、ノートを私に見せてニコニコと微笑んでいる。
今日は雫がデートプランを考えてくれる日。数日前からあのノートの前でにらめっこをしていて……あれだけ愛らしい顔をしているのだから、私の一日は素敵になるに違いない。
「“普段はどんな休日の過ごし方をしているんですか?” ふふっ、私はどんな風に過ごしていると思います?」
ボロが出るから、質問には質問で返せと栞から口酸っぱく言われている。
チャット欄では一部大喜利を始める賑やかしはいるものの、大半の人達は彼女がよく言っている“おまちのキラキラした生活”を想像しているらしい。
彼女と出会う前は、多忙ながらもそんな休日を過ごしていた。
日向晴はそういうものだって自覚してたから。
演じてはいたけれど、女優日向晴も私の一部だから……キラキラした生活も嫌いじゃなかった。
でも今は……ふふっ、顔に出ちゃうから止めておこう。
「ではでは……お休みの方もお仕事の方も、そうでない方も、今日という日が皆さんにとって良い日になるように願っています。バイバイ♪」
無事配信を終え彼女の下へ向かうと、慌ててノートを隠し顔を見せないよう俯いていた。
「雫……?」
「す、すみません……その……よ、予定を新しくしようと思うので、もう少し……待っていただければ……」
机の上にポロポロと涙が滴っていき、ノートを握る彼女。
どうしたらいいのかは分からないけど……どうしたいかは分かるから、抱き抱えて朝風呂で使った湯が残る浴槽へ彼女諸共飛び込んだ。
「は、晴さん!?」
「ふふっ、服がくっついて変な感じ。ねぇ、なんで予定変えちゃうの?」
全開にしたシャワーが雨を降らせて、あまりの強さに二人して笑ってしまう。
シャワーを止めると、彼女の心も陽が差し始めた。
「……先程の配信で皆さんのお言葉を読んでいたのですが……やはり晴さんはキラキラしたおまちのお洒落な場所に居なければいけないと思ってしまいました。こんなにも美しくて……こんなにもおまちの空気が似合う方はいらっしゃいませんから」
「ノートに書いてあったプランは?」
「…………つまらない女だって、思われちゃいますよ?」
「ふふっ。あなた程私を楽しませてくれる人はいないし、あなた程キラキラした世界を見させてくれる人はいないし……あなた程、私を好きな人はいないから。私が一番似合う場所は雫、あなたの隣だよ」
照れを隠すように鼻まで湯に浸かる彼女。
真似するように視線を合わせると、湯の中で重なる唇たち。
雨のち晴れて……暫しの間、蕩け合う。
◇ ◇ ◇ ◇
本日のデートスポットは彼女の故郷。
お昼過ぎに到着し、彼女は自室へと何かを取りに行った。
動きやすい格好で……なんて指定されたのでワーキングウェアを着てきたけど、お父さんは怪訝な目で私を見ている。
「お待たせしました。あっ、お父さん……あの……」
「……連絡は入れておいた。構わないそうだ」
「ありがとう。携帯電話は置いていくから、何かあったら晴さんに掛けてね」
私を睨みつけぶっきらぼうに紙袋を渡してきたお父さん。中身は……熊撃退スプレー。
「えっ? 出るの?」
「基本的には出ない。まぁ……その……用心だ。気をつけて行ってきなさい」
恥ずかしいのかそそくさと姿を消して……思わず彼女と笑ってしまい、懐にしまっていたせいで温かくなったクシャクシャの紙袋に二度笑った。
◇ ◇ ◇ ◇
彼女に手を引かれ、気が付けば小さな山の麓へ。どこを見渡しても……野山の錦が美しい。
「……晴さん、今から私達は小学2年生です。ですが今日は17時まで、時報が鳴ったら解ける魔法付きです」
彼女は積み重なった椛の葉を両手いっぱいに抱え、空へ放った。
ひらひらと覆う椛の帳が開けると……狐と狸に抓まれるように、あどけない笑い声が聞こえ始めた。
「ふふっ。あなた、こんなところで何をしてるの? この村の子じゃないよね?」
嗅いだことの無い筈なのに……何処か知っている懐かしい匂いに釣られて、小学2年生の私が顔を出す。
「親戚のお葬式だって。つまんないから私は抜け出して来ちゃった。私、晴。あなたは?」
「雫だよ。ふふっ、私のお母さんと同じ名前。ねぇ晴ちゃん、とっておきの場所があるんだけど、一緒に行かない?」
私が頷くと、彼女は元気に手を取って山道を走り始めた。
落葉を踏みしめる音、耳が悴む程の風切音。時折振り返っては笑う幼い彼女。
淡く美しい世界が、パート・ド・ヴェールの様にキラキラと輝いている。
「ここから見る村が一番綺麗なんだよ。今はお山がお化粧してるから……ふふっ、素敵でしょ?」
郷愁を誘う……何処にでもある、何処にでもあった当たり前の世界。
「ねぇ晴ちゃん、美味しい蜜柑探し対決しない?」
段々畑、蜜柑の木々に誘われて……彼女は無垢に笑う。
「でも勝手に取ったら怒られない?」
「ふふっ、いいのいいの。皆んなよくこうやって食べてるし。じゃあ対決スタート♪」
お父さんが言っていた「構わない」とは、このことだったのだろう。
遠慮なく、一番大きく形の良い蜜柑を選んだ。
対する彼女はボコボコで皮の剥きづらい蜜柑。なのに……
「甘っ! えっ、雫の蜜柑どうしてこんなに甘いの!?」
「ふふっ、私の勝ち♪」
それが菊蜜柑といって、降水量が少ない夏を越した特別甘い蜜柑だってことは後から知ったけど……きっとここの子供達は、そんな講釈抜きにこの甘い蜜柑を選ぶのだろう。
山の岩肌から湧く水が作る小さな沢。
周囲の枯れ葉と石ころを退かし、冬眠中の沢蟹を見つけ楽しそうに笑う彼女。
良さげな木の棒を見つけ、私にくれる。
持つと妙にしっくりときて、何処までも行けそうな気になってブンブンと振り回す私。
風冷えも気にならない程、季節と彼女に触れ合って……気が付けばこの村の一等地、最初に訪れた見晴らしの良い場所へ戻って来た。
彼女がチラッと腕時計を確認する。
時刻は16時57分。それは彼女の言っていた魔法が解ける3分前…………ふふっ、そっか。小学2年生なんだから、17時にはお家に帰らないとだよね。
小学2年生らしく頬に可愛くキスをすると……見開いた瞳を何度も瞬きさせて、繋がる手を強く握り返してくれた。
「……ねぇ晴ちゃん、横浜のおまちってキラキラしてる?」
「……うん。今はクリスマス近いし、イルミネーションが凄いよ」
「そうなんだ……きっと晴ちゃんに似合うだろうなぁ」
“キラキラしたおまちのお洒落な場所に居なければいけない”
彼女が朝言ってた言葉を思い出し、思わず大人の私に戻りかけてしまった時……隣で微笑む彼女に、魔法は掛け直される。
「晴ちゃん、空見てみて」
「…………わぁ、凄い── 」
星降る夜の住人達が、一斉に明かりを灯す。
その街並みは言葉が出ない程美しく……只々、吐息が漏れる。
スマホで撮ろうと思ったけれど首を横に振ってそっとしまい……彼女がスマホを置いてきた理由も同じだと分かって、頬が熱くなる。
「あと30秒。この景色を見させてくれる為に……冬がお日様を短くしてくれたんだね」
積もる椛の葉を空高く舞わせ、17時の時報が鳴り響く。
あどけない笑顔は木ノ葉に紛れ、解けかける魔法は媚眼冬波で私の心を弄ぶ。
舞い散る椛は流れ星。
星の欠片を一枚取った彼女は、私に手渡し愛らしいポージングで微笑んだ。
「ふふっ、どうかな……似合いますか?」
「綺麗。誰よりも似合ってる」
その美しき姿は星の街を従えて……何よりも、誰よりもキラキラと輝いている。
「つまらなく……なかったですか?」
スマホ片手に俯いたままでは……両手も心も自由でなければ、抱きしめることさえ出来なかった花鳥風月。
ワクワクもドキドキもキラキラも……全部、彼女が教えてくれる。
「あなたじゃなきゃ満足出来ないの。責任取ってくれる?」
「……はい。生涯掛けて」




