季節の香り 秋分の日
最近の朝晩は冷房をつけなくても過ごしやすくなってきて……カレンダーを見ると今日の日付は赤く染まっており、秋分の日と書かれている。
束の間の連休も今日で終わり、少しだけ憂鬱な火曜日の朝。リビングを見回すと彼女の姿が見えなくて、階段上からパタパタと降りてくる足音が聞こえた。
「おはようございます。お目覚めはいかがですか?」
一瞬だけ私の何かは停止して……その後直ぐ、血流と共に感じる高揚感。身体中に巡る、好きというふた文字。
「……うん。ふふっ、凄く良い朝」
まだ七時なのに、髪もメイクも仕上げて……今シーズン着れていなかった新しい夏服を纏う彼女。
それから、珍しくクリアレンズのサングラスを掛けている。
こういうのは苦手な彼女だから……溢れる程伝わってくる想いに耐えきれず、視界が滲む。
「こんなに可愛くなられたら……もっと好きになっちゃう」
「あ、ありがとうございます……その、新涼を感じにお散歩しませんか? 晴さんの好きなパストラミのホットサンドを作ったので、朝食を兼ねて…………晴さん?」
どうしたの?って気にはなるけど、それは感じれば良いことだから……立膝をついて、彼女の胸へ顔を埋めた。
「とびきり可愛くなるから、ちょっと待ってて」
「……ふふっ、お待ちしてます」
◇ ◇ ◇ ◇
最高気温だけみればまだまだ夏の出口なんだろうけど、暑すぎた反動か……確かに秋を、新涼を感じる。
ただ、隣にいる彼女を見ると途端に顔が熱くなり……私の夏はまだまだ終わりそうにないなと笑ってしまう。
「あ、彼岸花だ。春もお彼岸ってあるけど、彼岸花が咲いてる秋の方がお彼岸って感じするよね」
「…………ふふっ、そうですね」
取り分けて何かある場所ではない遊歩道で彼女は立ち止まり、手を合わせ目を瞑っていた。
何となく理解して、私も手を合わせる。
「…………一度だけ、春彼岸を忘れてしまったことがあるんです」
「……お彼岸って何をするんだっけ?」
「故人を偲ぶ日だと、私は解釈してます」
雫がお母様のことを忘れる筈は無いから……でもどうして…………
「……その年の秋も忘れかけていて、こうして彼岸花を見て思い出したんです。ダメだな私って思い空を見たら……母が “良かったね” と言ってくれた気がしました」
そう語る彼女の瞳は在りし日を見つめていて、その中には私が映っていた。
「ふふっ、あなたが忘れさせてくれたんですよ? 四年前あなたと出逢い……あの年の秋、私は本当の意味でお彼岸を迎えられました。改めると余計照れてしまいますが………」
彼女はそう言って、掛けていた眼鏡を外し私へと掛けて……一呼吸し、微笑んだ。
「晴さん、私の晴になってくれてありがとう。何時までも……お慕いしています」
雫と出会ってからは……何時も思うよ。
女優としてどれだけ磨いて、どれだけなりきって愛を語っても……それはただの愛のようなものだって。
だから取り繕う必要も無いし、気の利いた台詞も要らない。
愛している、愛されている。
言葉って……愛って、自然と流れ出るものだから。
「私も……ずっと、ずーっと大好き。これからも一緒にいてくれる?」
だから、こんな私の生馴な言葉でも……
「……はい♪」
彼女を愛らしく、笑わせられる。
◇ ◇ ◇ ◇
「ただいまー。お日様が出るとまだちょっと暑いね」
「ふふっ、そうですね。シャワーにしますか?」
「……一緒に入る?」
「そ、その……パソコンで作業をしたくてですね……勿論ご一緒させていただきたいのですが……その……」
「その?」
「…………あまり長くはダメですよ?」
彼女がそうやって唆すから、浴室から出たのはお昼過ぎ。茹でダコになりながらも、彼女はパソコンに向かって作業している。
珍しい景色だけど……気が付かないように、気にしないように、いつも通り彼女と過ごす。
早起きして散歩をし、浴室で戯れた結果……ウトウトと昼寝をしてしまった。
気がつけばポンちゃんが私のお腹の上に乗っていて、窓の外は少しずつ色付き始めている。
そっと出されたホットココアを啜り耽ていると、マジックアワーと共に襲い来る焦燥感に、小さく首を横に振る。
心配そうに見つめる彼女の頬を撫で、唇を重ね合わせた。
「……休みは終わっちゃうけどさ、今日は秋分の日で祝日でしょ? 季節も気持ちも切り替えて、明日から頑張りなさいってカレンダーも言ってるのかなって…………雫?」
顔を真っ赤にして差し出されたのは……VRゴーグル。わけも分からず掛け彼女がボタンを押すと……全てが繋がっていく。
『と、撮れてるのかな? き、今日は九月二十三日火曜日、秋分の日です。四連休……とても幸せな日々でした。……もしこれを晴さんが見ているのでしたら、少しでも……あなたの心に寄り添えればと思います』
それは、自室の姿見に映る彼女の映像。
『あなたに喜んでもらいたくて、私なりにお洒落してみました。どう……でしょうか? 気に入ってくださると嬉しいです』
でも、彼女の手にはカメラなんて無くて……
『実はですね、こちらの眼鏡は小さな小さな高性能なカメラさんが付いているんです。栞さんにいただいたのですが……今日はこのVナントカカントカと組み合わせて、私の視線を……あなたに届けたいと思います』
ひとり言も息づかいも……まるで彼女になったように感じる。
『わっ、晴さんが起きてきました。で、では行ってまいります。恥ずかしいな……』
一つ一つの仕草が愛しくて……
『おはようございます。お目覚めはいかがですか?』
『……うん。ふふっ、凄く良い朝』
彼女から見た私。
私は彼女といる時……こんなに可愛い顔してるんだ。
『朝晩は本当に心地よい季節になりまし……ふぇぇ、パン屋さんからいい匂いがしますねぇ。もう少し歩いたら朝食にしましょうか』
いつもより低い視線。
数秒に一回は私を見つめていて……
『晴さん、私の晴になってくれてありがとう。何時までも……お慕いしています』
『私も……ずっと、ずーっと大好き。これからも一緒にいてくれる?』
この時どうして私にサングラスを掛けてくれたのか、漸く理解した。
『……はい♪』
いつもの視線。私の視界、私の雫。
焦がれて堪らずゴーグルを外すと……秋物の服を身に纏い、秋らしくお団子を作ったハーフアップの髪型で微笑む彼女が目の前に映っていた。
「おかえりなさい。如何……でしたか?」
情けないけど、“好き”って言葉しか出てこない。もっともっと伝えたいのに……そう思うと涙が止まらなくて、彼女は優しく拭ってくれた。
「私も……大好きです」
目の前に訪れた秋を強く抱きしめると……思い出す季節の香り。
春の長閑さも夏の喧噪も、秋の煢然も冬の凛冽も……どの季節でも、その隣には彼女の香りがした。
そう……だから、今日からは──
「……この秋を感じたら、明日から頑張れそう。ダメ……?」
髪も服も、その吐息も、秋色に染まる彼女。
おでこ同士をつけて彼女は首を横に振った。
「大好き。今度は……長くなってもいいよね?」
「…………はい。秋の夜は長いので」
秋の夜長……甘い甘い秋の香りに、包まれる。




